虎に翼 第69回 ~寅子の怒りの理由とその限界~ 【すきなもののかんそう】
目の前で理想を叶えることと、いつか理想が叶うことは違う。寅子は”雨垂れ”の価値も認めているが、自ら理想を叶えることも諦めたくない。なにより、女性法律家としての自分を生んだ穂高に、雨垂れの一滴と、つまり彼の理想は叶わなかったと言ってほしくなかったんじゃないか。
穂高という師に寅子自身が求める高邁な理想、生み出された自身を理想の結実であると思ってほしい傲慢さ、更に自らが直面する家事部と少年部の融合という理想を叶えたい願望、これらがないまぜとなった気持ちが、穂高に対してだから出せる「怒り」として表出した。
あるいは、今理想を叶えることをあきらめて、雨垂れの側に、つまり歴史の側に自らを退場させようとする穂高に対してすがるような気持ちもあったかもしれない。
斯様に、今週の虎に翼はマクロな「いつか叶う理想のための一助となること」とミクロな「今ある問題や課題に向き合うこと」を反復する。
尊属殺の重罰規定が違憲であると穂高がその時点での少数意見を投じたことに寅子は理解を示す。一方で、家事部と少年部の融合という理想を叶えるべく、寅子は奔走する。あるいは。高邁な理想や大義をもって仕事にまい進する寅子に対して、今日のテストの点数をほめてほしい優未。
皮肉、というか皮相的に描かれているのは、寅子の掲げる家裁の理想は、1つ1つの家族のミクロな幸せと紐づいていて、少なくとも彼女はそれを佐田家に対して実現できていない、ように見えるところだ。84点をとった優未に対して100点を求める寅子の視点は、いつか自分に返ってくるのではないか?と思わせる。
星前長官が民法を人々の生活に根付かせるべく著した本のその序文には、それらマクロな法律家の理想とミクロな市井の人々の現実とを止揚するようなことが記されている。
法律家と生活者とを反復せざるをえない寅子だからこそ、この序文のように2つの対置を“なじませる”役割を担えるのだろうか。
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