※ネタバレ込み「仮面ライダージオウ」とは一体なんだったのか?
2019年8月25日(日)、記念すべき平成仮面ライダー第20作品目である仮面ライダージオウが終了した。
記念作として、かつての平成仮面ライダー(を演じた役者達)がゲスト出演する非常に派手な作品であるのと同時に、1つの独立した作品としてのオリジナリティも模索した意欲的な作品であった。
ただ、説明不足な部分も多く、初期の設定が展開に合わせて変わったとしか思えなかったり、個別作品としての評価が難しい作品とも感じられた。
とはいえ、最終話を見て、説明不足に伴うモヤモヤ感とともに、何かすがすがしい気持ちを感じたのも確かで、それは、本作の複雑な構造の末にジオウが1つの作品としての価値を見出したからだと気付いた。
そこで、本稿では仮面ライダージオウの作品世界を(解釈を含む)整理しながら、どこに感動を感じたのかひも解いてみたい。
※ちなみに本稿は、全話視聴者が読むの前提のつくりになっています。
1.ジオウの作品世界整理
仮面ライダーのいない世界とは?
◼︎スウォルツ(以下ス氏)、ツクヨミ達のいる世界。仮面ライダーがいるソウゴやゲイツ達の世界とは次元も含めて異なる。
◼︎ス氏のいる世界は恐らく時間の進み方が異なる、ないしは時間の観念が存在しない(劇中でも年齢を超越しているような描写がある)。
◼︎タイムジャッカーもこちらの世界出身。
◼︎ライドウォッチなどの技術はこちらの世界由来のもの?
◼︎ス氏は、自身より能力の高いツクヨミから能力と記憶を奪い、ライダーのいる世界に追放した。
◼︎世界自体が崩壊の危機に瀕しており、それを回避するためにス氏はライダーのいる世界に干渉。
仮面ライダーのいる世界とは?
◼︎ソウゴやゲイツ達のいる世界。2000年を境に1年ごと世界が分岐。2019年までに計20の世界に分岐しており、それぞれに1人の仮面ライダーが存在。
◼︎ジオウの世界がライドウォッチを通して、各ライダーの世界に干渉。能力を引き継ぐことで、それぞれの世界を統合。
◼︎19のライダーの世界を統合することで、ソウゴはオーマジオウとなり、魔王として世界を蹂躙。ゲイツと(ス氏から追放された)ツクヨミは2068年にオーマジオウのレジスタンスとして活動。
◼︎19の世界が統合されなかった世界線では翌年以降仮面ライダーが1年ごとに出現。白ウォズが誕生する(作中のミライダー編)。
劇中で起きた出来事
〜ライダーのいない世界
◼︎ス氏、ツクヨミをオーマジオウが支配する2068年(周辺)に追放。
◼︎ス氏の世界崩壊の危機に。
〜ライダーのいる世界
◼︎2009年にス氏、ここまで仮面ライダーが発生していない時間軸(ジオウの時間軸)にてバス事故を起こし、魔王の資質を持つ常盤ソウゴを発見。
◼︎バス事故きっかけで加古川飛流(アナザージオウ)がソウゴに恨み抱く。
◼︎2018年10月、タイムジャッカーが侵攻。ライドウォッチを通して過去の仮面ライダーの世界とジオウの世界をつなぎ、アナザーライダーを魔王にしようと画策(実際にはス氏の策略で、ソウゴ=ジオウにライダーの力を統合するための行為)。
◼︎同じ時期、2068年からゲイツ、ツクヨミがソウゴ=オーマジオウを抹殺し歴史を改変するためにやってくる。
◼︎ソウゴ、仮面ライダージオウになり過去の平成ライダーの力を継承。世界を統合していく。
◼︎(白ウォズ、ミライダー編、アナザージオウ編などを挟み)、ソウゴ、全平成ライダーの世界を統合。
◼︎ス氏、ディケイドの力を吸収しアナザーディケイドに。ソウゴ=ジオウ(+全平成ライダー)の力を奪おうとジオウ世界に本格的に侵攻をかける。
◼︎ジオウ世界が崩壊に向かう中、ツクヨミを仮面ライダーツクヨミにすることでス氏の世界を崩壊から救い(ライダーがいないことが崩壊の理由だった)ジオウ世界の人々をス氏の世界に移動させる作戦が始動(するがツクヨミの裏切り(のフリ)に伴い)失敗。
◼︎ソウゴ、ゲイツの死をきっかけにオーマジオウの力に覚醒。アナザーディケイドを破る。魔王としての力(破壊と創造)を得るが、その力を使い世界を再編。それぞれのライダーの世界を元に戻し、ジオウの世界もオーマジオウの世界に繋がらない世界に(=仮面ライダージオウの世界)。ソウゴはオーマジオウの力を手放し記憶も失う。(ゲイツ、ツクヨミ他の登場人物も転生。ス氏の世界も統合される?)
まとめ
仮面ライダージオウは、平成仮面ライダーを総括する特別作というベクトルと、1つの独立した作品としてのベクトルとが絶えず衝突し続けた作品だ。
その方向の異なるベクトルにそれぞれ力が加わった結果、作品をトータルで見たときにぼんやりとした印象になってしまった感じは否めない。
しかし、上記で整理した構造を踏まえて改めて作品を俯瞰するとわかることがある。それは、本作は仮面ライダーが”いない”世界から、仮面ライダーが”いる”世界に対する侵攻の話である、ということだ。
”いない”世界の住人は時間を前後して、異なる仮面ライダー同士を1つの文脈(世界)に収めようとしてくる。これは現実の特撮オタクの視線、あるいはおもちゃ会社含めた思惑を持った外部の視線といえるのではないか。
この、平成仮面ライダーを整地しようとする視線に対して、単体の作品として痛烈なカウンターをかましたのが夏映画として公開された「仮面ライダージオウ Over Quartzer」だった。ただしこれは、メタネタ上等のギリギリの取組であった。
しかし、そもそも「仮面ライダージオウ」という作品の構造自体が、この抑圧に対する戦いとして表れていたのではないか、と思う。
一度は仮面ライダーを整地する試み(各平成ライダーのライドウォッチを集め、力を継承する)に乗ったソウゴたちであったが、最終的に彼はその力を手放した。
いわばそれは、記念作としての総括、総括が主目的として宿命づけられた記念作、としての枠から作品自体を開放するこころみであった。
ゆえに世界は一周し、ソウゴたちは、オーマジオウ=平成仮面ライダーを統合した記念作としての世界、から独立した自分たちの世界を得た。
これから先彼らがどのような作品世界を歩みだすか、は過去の平成ライダーに捉われず自由だ(とVシネ公開前の今の時点では言っておく)。
その爽快さ、軽やかさこそが、本作の最後で抱いたさわやかな感動につながっているのだと思う。
現に、本作のプロデューサーである白倉伸一郎氏はジオウの最後にあたって、以下の様に記している。
「オーマジオウは墓守りだ!」
企画会議の席上、誰かが言いました。
なぜオーマジオウは魔王なのか。平成ライダーの王だからだ。
ソウゴ初変身の像を取り巻くライダーたちのモニュメント。あれはある種の墓標。五十年後まで、とっくに忘れ去られてしかるべき平成ライダーたちの記憶を、世界の中心に据えつづけようと、オーマジオウはたったひとり、戦いつづけているのだと。
それは善か、悪か?
悪にはちがいない。たとえどんなに輝かしくても、過去を理想化することは、現在をおとしめ、未来を否定することだから。
だから、オーマジオウはサイテーサイアクの魔王なのだと。
そんな未来を変えるため、やってきたゲイツとツクヨミ。
彼らの目的が本当に達成されるのは、『仮面ライダージオウ』が、“記念作”みたいな過去目線の墓標にとどまらず、未来に向けての第一歩になったときなのでしょう。
https://www.kamen-rider-official.com/collections/20/50
常に平成仮面ライダーは独立した射程を持った未来を見据えた作品なのである。そのメッセージにのって、私自身も過去に撞着せずに次を楽しむことに専念しようと思う。
仮面ライダーゼロワンが楽しみな限りだ。
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