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学ぶことは生きること

わたしの息子は2016年5月に急性リンパ性小児白血病に罹患した。いわゆる小児がんだ。
1年間の入院加療を余儀なくされ、小学校2年生だった長男は地元の学校から病院内にある院内学級に転籍することとなった。
長男はひどくその事を嫌がり、入院から3ヶ月間ほぼ1度も院内学級に通っていない。(院内学級からは病室まで授業をしにきてくれるのだが、どの先生にもほぼ心を開かず実質勉強は全くしていなかった)
「おれの学校は、地元の学校であって、こんなところ(病院)にずっといるつもりはないから、授業は受けたくない」
というのが長男の持論だった。
それもそのはずで、長男はその3ヶ月、自分が小児がんであるということも長期加療が必要なことも理解も納得もしていなかったのだ。
【以下、その時の出来事はチャーミングケアラボで記事にしている】

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「子どもでも、がんになるの?」と長男から質問されたことを機に、入院生活3ヶ月目に彼が小児がんに罹患している説明をした。
小学2年生にはきっと重すぎる話だったに違いない。
しかし彼は
「そうか、それは治療せなしゃあないな。そういうことやったんか」
とその時初めて、自分の置かれている状況を飲み込みある程度「納得」をした。

そこから気持ちの変化があり、院内学級に通ってみると言い出した。大きな一歩だった。
しかし、その頃には抗がん剤治療が進み、気持ちは前を向いても体がついてこない状況だった。
治療が進むごとに、よく知られている抗がん剤の副作用が如実に襲ってくる。嘔吐・40度以上の発熱・精神的な負荷・脱毛やムーンフェイスという顔の浮腫など見た目の変化などだ。

鉛筆を握るのも一苦労で、筆圧が極端になくびっくりするほど字が汚かった。
小学2年生といえば、九九を毎日やる年代だ。思考能力が低下しているので、九九が覚えられない。
今までなんてこともなくできていた事が、できなくなっていることに長男自身も気付きどんどん自信が失われていった。
そんな中、長男が不意に「なぁ、おれって長く生きられるんかな?」と聞いてきた事がある。
「さぁ、どうやろうな?長く生きるってなんか意味あるのかな?長く生きるより、どう生きるのかの方が大切やとわたしは思うけど」
と答えた記憶がある。

白血病と聞くと、生死に関わる病気だというイメージが強いと思う。しかし、子どもの白血病は発症年齢や型にもよるのだけれど、5年生存率は85%以上。治療法もある程度プロトコールがあって、慣れてくれば生活の見通しも立てられるようになる。
長男の場合は、幸いにも順調に治療が進んだタイプだったので、わたしは治療が進むにつれ悲観的になるのではなく今までの暮らしにどうやってうまく戻っていけるのか?ということを念頭に置くようにした。
しかし長男は小学2年生、今の自分の状況が全てで、できないことがどんどん増えていくことに悲観的にならずにはいられなかったようだ。

「できないことをグダグダ言っても仕方なくないか?できる事をやれば良くないか?」というのが、その頃のわたしの口癖だった。
それを自分もして見せた方がいいなと感じたこともあり、病院付き添いをしながら、小児がん専門のお見舞いECショップを制作し運営するようになった。
それが今やっている「チャーミングケア」の基礎になっている。
その頃の話を音声配信で小学校6年生になった本人も振り返っている。

退院しても1年間は服薬という形で抗がん剤を飲み続ける治療をする。体の中の抵抗値をグッと下げて一定にし続ける治療なので、ずっと体がだる重い状況が続くそうだ。もちろんやる気も減退する。
足掛け2年、長男は勉強をまともにできなかった。
勉強についていけない、わからないところすらわからない状況が続き、いつしかその事を隠すようになる。
そうすると、学校での人間関係だったりきょうだい関係だったりにたくさんの支障をきたすようになった。
学校からの呼び出しも頻回にあるようになった。
初めは反抗期が来たのだろうと考えていたのだけれど、今までの彼から考えるとちょっとおかしな行動もある。
一方的に悪者にされている様子だけれど、なんともいえない違和感を感じた。
「もしかして、勉強についていけないの?」と長男に聞いたら
みるみる涙目になりながら
「うん」
と長男は答えた。
「大丈夫だと思ってたんだけど、みんながわかることがわからない事がある。バカにされるような気がして、わからないって言えない。」
とぽつりと言った。
「自分がダメな事をしているのはわかってるんだけど、なんでダメなことばかりするんだ。今の自分を変えろって言われると、そんなにダメなのかな?ってすごく嫌な気分になる。変わるって、人に強要されて変わるんじゃなくて、自分で決めて変わるんだと思う。」
と泣きながら彼は訴えてきた。
「そらそうやな。別に大きく変わる必要ないんやないかな。ただ、変にカッコつけるのを辞めたら、多分めっちゃ楽になると思うけどなぁ。わからなくて当たり前やん。そんなん、大人だって2年も仕事から離れたらできなくなるの普通やしなぁ。見た目が普通だからって、学校に通えてるからって、配慮はしてもらわんとな。」
「せやけど、今のあんただと、どう配慮したらいいのかわからんのだよ。大丈夫じゃないのに大丈夫な風味にしてるから。そんなん損でしかないぞ。とりあえず、学校に一緒に説明しようか。」
学校への説明と同時に、個別の塾に通う事にした。もちろんきちんと事情を話した上で、振り返り中心の指導をお願いした。

「僕は勉強がわからないし、運動だって楽しいと感じられない。だけど、自分のできる事をやろうと思ってる。他の子ができる事をなぜやらないんだ、考え方を変えろって言われるのが本当に嫌だ。変わるとしたら、自分で決めて変わるから、そういう言い方はしないでほしい」
泣きながらそう言うと、校長先生は拍手しながら
「石嶋くん、素晴らしいな。そんなこと小学生でなかなかこんなに大人がいる前で言えるもんじゃない。先生たちもこれでわかったから、教えてくれてありがとうな。」と言ってくれた。
もちろん反抗的な態度であったり、授業妨害などしてはいけないことは改めねばならない。
だけどその根底にあるところが理解してもらえたことが、長男にとってはとても嬉しかったようで、そこから自分なりに努力をして勉強をするようになった。
何よりも友達と仲良くなりたい、違和感なく学校生活を送りたい。それが一番の頑張る理由のようだが、100点取ったら報酬を得られるという我が家のルールも背中を押しているようだ。

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ほんの先週の事だ。家に帰ると返却されたテストが山盛りに積まれていた。
自主的にテスト結果なんてみせた事がない長男が、
「全部100点ばっかりじゃないんやけど、いっぱい100点取れてたんやで。」
とドヤ顔で言ってきた。
長男が勉強に対してドヤ顔になれるようになるまで、4年かかった。
ありがとう。いつも大事なことを教えてくれて。
そう思いながら、100点への報酬を手渡した。

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