【1年越しのリベンジ旅】大雨に挑んだ秘境駅巡りの冒険
あれから1年、リベンジの時
皆さんが覚えているかは分かりませんが、“あの日”から1年が経とうとしています。そう、僕が寝坊したばっかりに臨時急行「飯田線秘境駅号」に乗れなかった日です笑笑笑。
Rさんに切符を手配してもらい、綿密な計画を立てたのにも関わらず、当日新幹線で合流する時間になっても自宅の布団の中にいた恐怖の出来事です。あの日急遽行った富山で食べた寿司は美味かったなぁ…。
あの悪夢から早1年、今回もまた飯田線秘境駅号の運行が行われました。今回こそ1年前の屈辱を果たす時です!!!
※悪夢の原因はあなたです。
夜行バスで寝坊を防ぐ
今回はきちんと対策を講じました。テラヲ伝家の宝刀・夜行バスのお出ましです。バイトが終わったあと、そのまま東京駅八重洲バスターミナルに向かい、アルピコ交通の長野行きバスに乗車。そして翌日の朝、途中の松本バスターミナルで下車しました。所要時間は僅か5時間半、早すぎィ。
飯田線直通の普通列車に乗り、平田駅でRさんと合流しました。Rさんは前日から旅を始めていて、秘境駅号に乗車したあとはなんと九州まで行くそうです。なんとも暇な、いや、行動力のある方です。
ここで飯田線についての簡単なご紹介。飯田線は辰野~豊橋195.7㎞を結ぶロングラン路線です。駅の数は94にも及び、2、3㎞には1駅がある計算です。また昔ながらの線形が多く、勾配や川を避けるように描く大きなカーブがいくつもあります。詳しくは僕が経験した“地獄列車”上諏訪発豊橋行き列車の乗車記をどうぞ!!
そして飯田線で最も有名なのが、何を隠そう秘境駅です。特に飯田から本長篠にかけての線区にはいくつもの有名な秘境駅があり、今回乗車する急行飯田線秘境駅号ではそうした秘境駅たちを巡るものになっています。
ところが今日はあいにくの雨。全くどうしてこうも西へ行くとき雨が降るのでしょうか???これはもはやジンクスではなく“呪い”と言ってもいいかもしれません。
天竜峡から雪辱乗車
平田から飯田線直通飯田行きの列車に乗り、一路天竜峡を目指します。天竜峡は秘境駅号の始発である飯田の一駅先ですが、天竜峡を見物したいがために、今回は一駅先行します。
平田〜飯田の3時間をロングシートで過ごさなければならなかったことにはガッカリしましたが、これからこれよりも大きな災難に遭うとは、まだ2人は知りませんでした。
“呪い”と称した今日の雨でしたが、ここからその呪いの牙を剥きました。南へ進むうちに、雨が強まってきたのです。ここまでは予想通り、天気予報でも確認済みです。
問題はここから。
この強い雨によって、一部区間での徐行運転を車掌が発表しました。単線区間の飯田線は一つの列車が遅れると、そのしわ寄せをくらうようにどんどんと遅延します。
結局飯田には10分弱の遅れで到着。それでも後続の天竜峡行きの接続はできましたし、その列車に関しては遅延することなく天竜峡に到着しました。ノーダメです。わっはっは。
雨のおかげであまり見物することなく、目的の列車・急行飯田線秘境駅号を迎えました。定刻通りです。わっはっは。
こうして1年越しの雪辱乗車に成功。楽しい秘境駅巡りの始まりです!!
…のはずでした。
雨の中での秘境駅巡り
我々を乗せ、天竜峡駅を元気に発車した秘境駅号は早速次の千代駅に停車。5分経ったのち発車しましたが、再び次の金野駅に停車。普段特急では通過するような駅に停まり、普通列車よりも長く留まるのがこの列車の特徴です。
ここは「金」とあるだけに金運祈願の駅と称していて、先の千代と金野を早口で言うと「貯金(ちよきん)」となることから、金運祈願で千代〜金野の乗車券を販売していました。ちょっと無理くりな感じがしないでもないが…。
ともかく、列車は雨の中順調に歩み(?)を続けます。お次は断崖絶壁の駅・田本駅です。崖の下にホームがあり、文字通りの断崖絶壁です。
ここでの長時間停車を利用して、駅の石段を登って上から駅と列車を俯瞰する写真を撮影するべく沢山の人が集まりました。Rさんも傘をさしつつ一眼でパシャリ。僕は気にせずパーカーのフードで雨をしのぎました。
その他にも色々な秘境駅を巡りました。一番の目玉はなんと言っても小和田駅です。ボロっちい木造駅舎の周りには何もなく、ここで降りたらジ・エンドな秘境駅の中の秘境駅です。
駅前には下り坂があり、その先には壊れたミゼットが眠っているそうです。物好きたちは雨の中でもゾロゾロと下っていきましたが、僕はやめました。雨だし、寒いし。
雨はだんだんと強まっていきました。それでも天気予報では16時に十数ミリが降って、あとはだんだん弱まると言っていました。遅延はありません。
ここまでは本当にお気楽な秘境駅巡りでした…。
大大大抑止
列車は定刻通り16:20に浦川駅に停車。ここが最後の停車駅であり、ここを出たらあとは終点の豊橋です。
ところが………
発車時刻の16:30になっても列車は一歩も動きません。ここで車掌からアナウンスが。
「雨量が規定数を超えたため、当駅で運転を見合わせます。」
この大雨で東海エリアの列車は軒並みストップしたのです。もちろん飯田線も例外ではありませんでした。しかし、僕たちは流石にこれは予想していました。「どこかで停まるに違いない。多分30分〜1時間くらいの遅れで豊橋に着くだろう。」と。
しかし、この読みがとんでもなく甘かったことをこのあと知ることとなります。
1回目のアナウンスでは、運転再開時刻は18時前後でした。しかし2回目の報告ではなんと19:30に変更と告げられたのです!!線路上の安全確認がうまく運んでいないようです。
かくして我々御一行は、民家しかない秘境駅に閉ざされることとなりました。食料を調達できるところはありません。強いて言えば、駅前の自販機でコーンポタージュが売られていました。
先ほどまでのほのぼのとした秘境駅巡りはもうありません。この列車の目的は「秘境駅に長く留まろう」という持久ゲーと化しました。
言わずもがなですが、お客さんが大変というよりも、乗務している運転士さんや車掌さん、イベントで駆り出された職員さんたちの方が大変な思いをしていると思いました。そのことをほとんどのお客さんは察していたのか、暴動などは起きませんでした。そもそも大雨が降ること自体分かりきっていたことですし。
再開時刻は21時に延び、ついに払い戻しのボーダーである「2時間遅延」がほぼ確定となりました。お金が戻ってくるのは不幸中の幸いでしょうか。
ところで僕たちはこの遅延に対して慌てはしませんでした。僕は今日中の帰宅が、Rさんは今日中の九州入りが絶望的にはなったものの、「まあいいか」という感じで静かに待っていました。ここまで旅に慣れると、“多少の”大崩れにも動じることはなくなりました。
豊橋停車、◯時間延着。
ついに21時頃、浦川駅を発車。5時間10分にも及ぶ大抑止に終止符を打ちました。一部徐行運転を強いられる場所がありましたが、列車が動いたことこそが大事でした。
列車が動くことは簡単なことではありません。都市だろうが田舎だろうが、列車を一つ走らせるのに多くの人が働いているのだと改めて知ることとなりました。運行及び運転再開を果たしてくださった方々には頭が上がりません。本当にありがとうございました。
こうして長い長い乗車は終わりを迎えました。豊橋22:10着。定刻が17:56着なので、都合4時間14分の遅れとなりました。乗客の皆さま、乗務員の皆さま、大変お疲れ様でした。
僕たちはこのあと豊川のネカフェに泊まり、翌日Rさんは改めて九州へ、僕はお家へ帰りました。
最後に一口メモを。この日は列車にツアー客もいたのですが、この遅延によって帰りの新幹線がなくなったようで、JR東海が便宜をはかって東京行きののぞみ号を本来停車しない豊橋に臨時停車させていました。
大変珍しいものを見れて、他人事で申し訳ありませんが、面白かったです。ともかく、無事に帰れて何よりです。
〔p.s.〕
佐賀バルーンフェスタを見物しに行きましたが、ちょびっとしか見れませんでした。また来年以降リベンジしたいと思います。
《おしまい》