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2024.05/30(木) 都響定期#999(A)

はじめに

指揮者・井上道義氏への思い入れ

自分が氏の指揮を初めて拝見したのはテレビでの事であった。2022.12/31に放送されたN響第九。その第九を振っていたのが井上道義であった。彼の踊るような指揮(これは彼の過去にバレエをやっていた経験が影響しているよう)は本当に魅力的なものであった。自分が井上道義という指揮者に注目するようになったのはそこからである。
年が明けた。その頃の自分はストラヴィンスキー「春の祭典」に陶酔していた。そんな中で、3月末に井上道義指揮で「春の祭典」を演奏するコンサートを見つけたのだった。
「春祭」を目当てに聴きに行った自分であったが、完全に彼の指揮の虜になってしまうのであった。指揮の動きは然ることながら、曲の合間に見られる彼のユーモア・エンタメ性にも非常に惹かれた。また、それまで全く知らなかった「シンフォニア・タプカーラ」(伊福部昭)という名曲と出会うこともできた事なども含めて、本当に思い出に残っているコンサートである。

その少し後、色々と調べる中で、2024年末に彼が指揮者を引退するという事を知った。2023年は上に書いたものの他に、5月のLFJでベートーヴェン「運命」を聴くことが出来たが、それ以上は聴けなかった。2024年になってからは2月に行われたN響第2004回定期公演にてショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」を拝聴した。そして今回、ベートーヴェンの第6番とショスタコーヴィチの第6番を拝聴する機会に恵まれた。


コンサート概要

東京都交響楽団 第999回定期演奏会Aシリーズ


曲目

・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 op.68《田園》
・ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 ロ短調 op.54

出演者

指揮:井上道義
管弦楽:東京都交響楽団

会場

東京文化会館 大ホール

座席

1階 6列 31番

感想

ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 op.68《田園》

「1曲目の演奏中は、指揮者の希望により通常よりも客席の照明を落とさせていただきます。」演奏前にこのようなアナウンスが流れた。確かに、通常時に比べかなり暗い印象を受ける。そんな中で道義氏が登場、第1楽章が始まる。第1楽章前半は比較的普通の指揮だと感じた。それでも時々ヴァイオリンの動きに合わせて大きく体を揺らすなど、彼ならではの指揮を見ることが出来た。

個人的に、客席を暗くした効果を最も強く感じたのは第2楽章。終盤にある「カッコウ」の所だ。後から知ったが、フルートがサヨナキドリ、オーボエがウズラ、そしてクラリネットがカッコウの鳴き声をそれぞれ表しているらしい。特にオーボエは突然出てくる高いDを当てなければならない上に目立つ箇所であるため、かなり難しいのではないだろうか。それでも非常に美しいアンサンブルが形成されており、実際に森で鳥の鳴き声を聴いているような気分にさせられた。

道義氏の本性(?)が見られるようになったのは第3楽章からだった。第3楽章はスケルツォに相当する。楽章冒頭に現れる主題はF-Durで始まるもののすぐにD-Durに移行する。それを繰り返した後、次はD-Durで同じフレーズが始まりC-Durに移行。さらに盛り上がりを見せてF-Durに落ち着くという非常に面白い展開になっている。ユニゾンになる部分(ラーー/ソーファ/ミーレ/ドーミ/ファーー/ソーー/ラーー/ソーー/)に入る過程で少しテンポを重くする演奏もよくあるが今回の演奏は一切そこでテンポを緩めることはなかった。自分としてはかなり好みだった。これは儀式ではない。「田舎の人々の楽しい集い」なのだ。それならば自分は、ここで重みを持たせるよりも推進力のある演奏の方が好きだと感じた。
第3楽章途中、上手側に動きが見えた。Timp.奏者とTrp, Trb, Piccが入場してきた。Cb椅子に座って演奏していたのもなかなかレアなシーンだったかもしれない。

第4楽章は「雷雨、嵐」。冒頭から「C→Ges→F」というフレーズを2回繰り返し、不安を感じさせる。段々と盛り上がりを見せ、ピークでは圧巻のティンパニ。オケでは基本的にティンパニはかなり後ろにいるが、今回は管楽器1列目の横くらいにいたため、かなり音がよく聴こえた。プロのティンパニをあそこまで近い距離で聴けたというのも貴重な機会であったかもしれない。
徐々に静かになり(嵐が収まって)第5楽章へ続く。

第5楽章。嵐が過ぎ去った後の平和、人々の喜びというイメージ。牧歌的な印象を受けるメロディー。人々の神への感謝が示されているらしい。ダイナミックに展開した後、冒頭の主題に似たフレーズが再び聞こえ、最後は深い幸福のF-Durで曲を閉じる。最後まで重みがあった。

1曲目にもかかわらず、「ブラボー!」の声や拍手は鳴りやまなかった。

ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 ロ短調 op.54

当時のソビエト連邦は共産党による独裁国家。ショスタコーヴィチはその前衛的な作風により当局から目を付けられるも、第5番「革命」の大成功によって名誉を保っていた。それに続くべき第6番について、ショスタコーヴィチは「レーニンに関連する合唱・独唱付きの交響曲を作る」と宣言していたようだが、実際に出来上がった作品はそれとは程遠いものであった。またこの曲について「春のような、喜びにあふれて、若々しい雰囲気」とも述べているようだが、この曲、とりわけ第1楽章からそのような雰囲気を感じ取るのはなかなか無理があるように感じた。
また交響曲としては珍しく3楽章構成となっているが、これは4楽章構成から第1楽章を除いたもの、ベートーヴェンの「月光」ソナタをモデルにした、など諸説ある。

第1楽章はとにかく暗く沈んだ印象。いや正確に言えば、盛り上がる、明るい部分もあるのだろう。しかしながらそれも含めて偽りの、虚しい明るさのように聞こえてならない。それがショスタコーヴィチの音楽、引いては共産圏の音楽というものなのだろうか。

第2楽章。調はG-Durに移り、冒頭からクラリネットの陽気なソロが鳴り響く。他にも木管、高弦の激しい動きが目立つ。主部が復帰する所では、冒頭の主題を吹くバスクラリネットに対してフルートが同じ旋律の反行形を重ねる形になっているようだ。第1楽章から空気感が急変したのがとにかく印象的。

第3楽章はPresto。Allegroの第2楽章よりさらに速くなる。冒頭の細かいメロディーは非常によく記憶に残る。H-mollで始まるもののF-Durに移行するような動きも見せるのが興味深い。道義氏の指揮も真髄を見せる。途中の水谷コンマスのソロもかなり印象的であった。気付けば同主調のH-Durに転調している。そしてその勢いのまま突然曲は終わりを迎える。どこかまだ続きがあるように思えてしまう終わり方だが、道義氏は少し客の方を向いて終わりの3音を示してくれた。こういうパフォーマンスができる、エンタメ精神的なものを持っているのも彼の魅力なのだと改めて感じさせられた。

おわりに

今回のプログラムは2曲とも(交響曲という部類の中では)演奏時間の短い作品であったため、非常に聴きやすかったとともに、全く客を飽きさせないものだった。
また今回の演奏会は、井上道義氏と都響との最後の共演でもあった。引退は本当に惜しいことだが、この公演が無事に開催されて、素晴らしい演奏を聴けたことに純粋に感謝したい。
井上道義氏の指揮を拝見できる機会はもう多くない。昨日新日フィルとの「みちよし先生の世界漫遊記」が開催されていた。今後の東京近辺の公演としては、サマーミューザ、新日フィルとの定期などが予定されているが、1番の注目は9月下旬の「ラ・ボエーム」だろう。なんと学生券は1000円で購入可能とのことなので是非とも行きたいと思っている。また最後の公演も既に確定している。12/30にサントリーホールで行われる予定で、これは何があっても聴きに行きたい。いずれにしても今年はとにかくミチヨシを追い続けたい。

画像の出典

東京都交響楽団公式X(Twitter)
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東京都交響楽団HP
https://www.tmso.or.jp/

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