インファイトリー・レポート:アーカイブレポート Note01:F-4
アーカイブレポート最初の機体はF-4です。ちなみにアーカイブレポートに書く機体の順番は本編と同じにします。
F-4は世界で最も製造された歩兵戦闘機として有名です。設計当初は、米軍の掲げるミサイル万能論によって歩兵戦闘機の標準装備であったバルカン砲や近接戦闘刀といった近距離戦闘用の装備が搭載されていませんでした。そしてF-4が本格的に投入されたベトナム戦争ではその性質が災いし、近接戦に長けていた旧ソ連軍の旧世代戦闘機、場合によっては歩兵戦闘機よりも性能が劣っているはずの航空戦闘機までもに劣勢を強いられる始末でした。ミサイルが万能と言ってもそれは技術が発展したミサイルがあって初めて実現出来るものであって、ベトナム戦争期の性能が低いモノでは実現できませんでした。その結果、F-4は遠距離戦でも大した戦果を挙げることが出来ませんでした。
こうしたベトナム戦争で辛酸を舐めまくった米軍は再び近距離戦に特化した戦闘機を作ることになりますがそれは別の機会にお話することとします。
しかし、この発想はF-4へとフィードバックされていきます。まずは機体制御の根幹をなすOSのアップデートが行われました。そして既に生産されたF-4には胸部にガンポッドを、新規製造されるF-4には胴体にバルカン砲が新たに搭載されることとなりました。さらに背部ウェポンラックには近接戦闘刀のラックが追加されました。ミサイルの性能もベトナム戦争期から向上し、F-4は陸上、海上、空中問わずあらゆる任務に就くことができる汎用機となりました。
改良されたF-4はその汎用性から同盟国へ続々と輸出されていきます。
日本の自衛隊が保有するF-4EJ、F-4EJ改は特に有名でしょう。日本の専守防衛の思想のもと、F-4Eから対地爆弾の使用能力を排除し、代わりに近距離戦へ特化した改造が行われました。これにより、自衛隊の保有するF-4はF-4の中で最強の近接戦闘能力を手にしました。また、F-4EJ改はその改造度合いからF-4の姿をした別物と言えるもので、アメリカ軍のF-4パイロットに「これはファントムじゃない」と言わせた程だと言います。
F-4はその数から多くの作戦に投入されました。もちろん成功したものもあれば、失敗に終わり部隊が全滅したものもありました。
F-4は長きに渡り運用されましたが、多くの国では基礎設計の古さから既に退役しています。