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~15歳の冬、「私はすべてを失った」~ スカビオサ【2024/9/10】

 スカビオサの花言葉は、「私はすべてを失った」。
 はい、そうです。中学を卒業した日、授与されたばかりの卒業証書を廊下に投げ捨てーーーゴツーン、コツーン、コツ、カラカラカラーーー、その足で上京した。15歳の冬だった。

 10歳の春に、20歳まで生きると決めた。

 自分で自分の寿命を定めること。神にのみ与えられたーーーもしかしたら、神にも不可能かもしれない。例え禁忌だとしても、代償はおつりが出るほど前払いしたはず。もしも足らないのなら、命以外であれば、なんでも持ってけドロボー! そう、10歳のわたしは、決意しないと、生きていかれなかった。

 女の子であるわたしを悦ぶ殿方たち。
 女であるわたしを疎む母や叔母。

 愛されたかった。子は愛されるべき存在。宝。
 わたしは、すべてを尽くした。からだはもちろん、精神も魂も。それでも得られなかった。わたしががんばるほどに殿方たちは野蛮になり、母と叔母は憎悪した。子は愛されるべき存在。宝。27歳のわたしは、6歳や10歳は子どもだと定義している。わたしの場合は、例外だったらしいが。子どもではない人間なんていないから、わたしは人間ではないのかもしれない。それこそ、神、とか。

 13歳の春、もう無理だと思った。
 母はわたしを許さない。わたしは、母の男を盗んだそうだ。母の男は女の子みたいなかわいい名前と、性別不詳のきれいな顔の持ち主だった。わたしは、かわいいときれいだけは、ありあまっていた。なのでいらない。いらないので盗むはずがない。説明しても母は泣く。泣き続ける。ついでに叔母が登場。肩からランドセルを下ろしたばかりのわたしに言う。「もっとおかあさんを支えなさい」。母はわたし起因で、泣くだけではなく、呻き、喚き、嘆き、狼狽えーーーエトセトラ。参った。わたしが上京した大きな理由だ。上京するまで、母に渾身的に、またもやすべてを尽くした。わたしは、わたしが今すぐに死ぬことしか考えられなくなっていた。

 だから、冒頭に至る。
 「私はすべてを失った」。
 いや、正しくない。言葉は正しく扱わなければ。

 「わたしはすべてを"捨てた"」。

 20歳まで、生きるため。

 ちなみに、スカビオサの花言葉はもうひとつある。

 【再起】

 ニアリーイコール。表裏一体。似て非なるもの。
 15歳の冬。知識も知恵も人脈もなし。ついでに一文なし。たしかなものは、からだだけ。

 対価は足らなかったようで、数えきれないほどの困難があった気がーーーあれ、どうだったっけ? 忘却した。これはわたしがばかだからではなく、脳の海馬には容量があるためだ。まあ、うん、やはりわたしは神、なのかな? どうにかなっちゃった。そして現在27歳。目標より、7つ多く生きている。

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