SDGs、その心は
昨今叫ばれているSDGsという言葉ですが、内容を見ると「本当に実現可能なのかな?」と思えるような項目がいくつもあります。
とはいえ、理想を掲げるのは悪いことではありません。
今回は、私の取り組みでSDGsが掲げる項目に関わる部分について書きます。
私のSDGsへの向き合っている部分といえば、勿論『第三者向け痴漢抑止バッジ』の普及活動ですが、現状上手くいっているとは言えません。
そもそも名もなき個人の発信で、身内やごく小さい範囲でしか拡散もされていません。
これをもっと大きな輪に広げていくには、痴漢抑止バッジを多くの人が着けるのが当たり前の世の中にするにはどうすればいいかを考え、悩んでいます。
現状でも、被害当事者やそうなり得る(特に)学生が痴漢抑止バッジを着けているのを揶揄したり「自信過剰だ」「被害妄想だ」という心ない中傷を受けている部分も否めない訳で、第三者が抑止バッジを着けるとなると、その反発もより強いものになることは考えられます。
現に、男性用の痴漢抑止バッジを考案したそんきょばさんも心ないバッシングを受けており、それが要因のひとつとして配布活動を一度で終わらせ、続けていくことができなかったのではと思える節がありました。
犯罪被害を減らそうとしているだけなのに、あまりにも理不尽です。
もし私が現在の活動を続け、それが広まっていった先には、またこうした心ない言葉や妨害が出てくる可能性はあります。
それでも私は負けたくない。
負けずに、犯罪抑止の意思表示をすることが当たり前の世の中にしていきたいと、そう考えています。
覚悟は決まっている、けれど方法がないというのが私の現実です。
(SDGsを掲げる企業にコラボを持ち掛けたり、企画をしたりと色々やってはいますが、皆自分の利益にならないと思ったことには冷たいようです。
本当にSDGsって広まってるのかな?
ただ理想をいいように使いたい人の旗頭として利用されてないかな? とも思ってしまうこともあります)
そもそも何故私が第三者向けの痴漢抑止バッジを普及させようとしているかというと、
『私もかつては被害に遭う側だった』ことと、
『被害に遭い難い年齢になったからと言って、若い人たちが自分のように苦しむのを放っておける訳がない』と思ったからでした。
私が痴漢に遭ったのはデパートの人気のない場所でしたが、その経験はあまりにおぞましすぎて数年は人に話すことすらできませんでした。
そんな人ばかりではないと思ってはいても、今でも男性は苦手です。
公共交通機関を使わない田舎の学生ですら、痴漢や変質者に遭う、または身近な人が遭ったという経験があるのです。
毎日多くの人でごった返すような電車などに乗って通勤通学している人たちの危険性は、いかばかりでしょうか。
ひとつの車両に痴漢願望を持っている人がいて、今にも狙いを定めて痴漢行為をしようとしている。
もし、その車両に乗ってきた人たちの多くが『痴漢抑止バッジ』を着けていたとしたら。
「痴漢は許さない」「自分たちが目を光らせている」とはっきりと意思表示するものを持っている大勢の人たちの前で、痴漢したいと思っている人は堂々と犯行を行うことができるでしょうか?
思い留まり、被害がひとつ減るのではないでしょうか。
鉄道痴漢の殆どは、朝の通勤通学時間に集中しています。
例え一件一件でも未然に防ぐことができれば、全体ではどれだけの被害が減るでしょうか。
皆が痴漢の起こりやすい場所で痴漢抑止バッジを着けることが当たり前になれば、被害者の大多数を占める女性や女子児童が痴漢の被害に泣くこともなく、健やかに暮らすことができるようになる筈です。
また、痴漢が減ると同時に痴漢の二次被害ともいえる痴漢冤罪も必然的に減っていくでしょう。
これは社会にとって、大きな益になると思うのですが。
それとも、直接被害が及ばない人間には関係ないということなのでしょうか?
自分や自分の身近な人々、家族や大切な人が被害に遭ったとして、その後も同じようにしていられるのでしょうか。
起きてからでは手遅れなのです。
私は男性不信から、この年まで異性と付き合うことにも消極的で、結婚も望めなかったですから。
皆さんは、どう思われますか?
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