【雑談】それ、"コスト" って呼びますか?
こんにちは、きくちきよみと申します。
税理士です。
今日は「"コスト" という用語の使いどころ」について、思うことを書いてみたいと思います。
注:タイトルに【雑談】が付されている投稿は、今まであまり整理したことがなかったことで、最近ふと考えたことについての投稿です。考えが浅い部分も多分にあると思いますが、雑談の雰囲気で読んで頂けますと幸いです。
"コスト" の考え方は、経営で重要な要素。
自分がここで敢えて書くまでもなく、企業経営においてコストについて考えるのは、非常に重要です。
実際にキャッシュアウトが発生するため、試算表・決算書上に数字として明示されたコスト(=費用)はもちろん今後の検討にいれるべきですし、それはどの企業でもやっていることでしょう。一方、具体的に今すぐ支出する費用ではなかったりする場合は見積計算が必要になるため、経営計画や予算からは抜け落ちてしまいがちです。
中小企業では、下記のようなものは抜け落ちやすいように思います。
①従業員の退職に伴う支出(退職金、引継ぎ、新規採用など)
②従業員の福利厚生に係る支出(育児休暇、時短勤務フォローなど)
③複数業務を兼任している従業員のフォロー支出(長期休暇をとった場合など)
いずれも従業員を採用していたら遅かれ早かれかかるコストですが、抜け落ちやすいです。それは、「タイミングによっては、かからないかもしれないコスト」という気持ちがあるかもしれません。
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"コスト" の範囲。
実際にお金がかかるものは「コスト」と呼びますが、直接的にお金がかからないような「時間・労力・手数」も、コストに含まれます。英語の cost も、元々その意味を含んでいます。
ところが、超過時間・超過手数がかかるのならば、お金が出ていくはずであるものの、実際には少々の超過では追加で支払をしなくて良いような契約や仕組みになっていることも多く、ただちにお金を払わなくても良いことも多いです。これを「超過時間・超過手数がかかっても、契約や交渉でお金は払わなくて良いようにできる」と思い込んでしまうと、コストのあるべき形がわからなくなってしまいます。
これは後々問題になりやすく、特に、会社が大きく成長しようとするとき、成長の阻害要因の一つになります。「あるべき本来のコストの形」に戻そうとしても、想定したことがなかったコストが高すぎる壁となってしまうからです。
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それを "コスト" と呼ぶかな?とモヤモヤすることがある。
前項で「コストの範囲は広い」ことについて書いたものの、自分はたまに「それまで "コスト" と呼んでしまうのかしら」とモヤモヤしてしまうこともあります。
それは、おそらく "コスト" という用語が持つ語感が理由だと思うのですが、日本語ネイティブの自分にとっては、何となく「コスト=金銭的な意味での費用(=お金で解決すること)」のような意味に聞こえてしまうからです。コストの範囲を広く捉えること自体は重要だと思うものの、コストという用語の使い方は、割と注意が必要なように思います。
例えば、従業員が健康を害したとき、治療をすることによって快方に向かい、完全治癒することもあるでしょう。しかし、人によってかかる時間・治療費は違いますし、従前と同じように戻らないこともあります。お金で計測できない要素であり、完全にお金でリカバリーできないかもしれない要素なので、不調・病気で仕事を休む従業員に係る費用を "コスト" と呼ぶことには、何となく違和感を感じます。
また、"コスト" と呼ぶものの多くは、「起きたこと・終わったこと」に対する報酬・補填・補償のような意味を持つものが多いからかもしれません。本来は「起きてしまう前に、起きないように準備する」ために、積極的予防にお金をかけるべき、というような感覚が理由なのかとも思います。
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用語の使い分けも含めて、経営なのかも。
単に「ことばの使い方の問題ではないか」とも思いますが、このようなことばの使い分けも含めて、経営者の考え方が反映されるのかなとも感じています。
普段からことばの使い方が違う人とは、肝心・大事だなと思う場面での判断も異なるからです。
本当に伝えたいことが正しく伝わるようにするためにも、「自分の思いを正しく伝えることばの使い方」を考えて普段から業務を進めるべきだと思いますし、自分もそうありたいと思います。
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"コスト" について考える。
何を自社のコストとして捉え、どのような割合で配分していくかは、各企業の自由です。そして、それが経営そのものでしょう。
コストについてより深く考え、新しい企業のありかたを考えてみてはいかがでしょうか。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
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