【ミステリゲーム感想】未解決事件は終わらせないといけないから - A Literal Puzzler
今回はゲームのレビューです。
しかしこれも遊び終わって2週間くらい経ってようやく記事が出来上がってるのです。遅え。
あれやこれやとミステリ小説等を読んではレビューを書こうとしているのですが、完成までは結構すんなりとはいかないのですよ。
書き方としては内容を覚えてるうちに考えたことをメモ書きして、後で整えるという形が多いです。
しかし、それを読み返して整えていると更に書きたいことが思い浮かぶので、また書いて整理してまた何か思いついて…
そんなループに突入し、こうして私の記事はブクブクと肥大化していくわけですね\( 'ω' )/ブクブクッ
というわけで抱えるのは大量の下書き、おまけに開いてみると
「上巻末尾1節 分冊 意図言及」
こんな謎のメモ書きが散見するという惨状。
ダイイングメッセージかよ。
そんな記事はちゃんと書き上げなければいけません。
終わらせなければいけませんね。
というわけで(??)今回はミステリゲーム作品「未解決事件は終わらせないといけないから」です。
ミステリゲームとしてはトップレベルの大当たりでした。
はじめに:ゲームでミステリをやるということ
さて、早速このゲームの話……が中々始まらないのです。
まずはゲームでのミステリに、個人的に抱えていたモヤモヤというか不満があったという話からさせてください。
ミステリノベルゲームへのモヤモヤ
ゲームでミステリものというと、ノベルゲームがほとんど、たまに少し探索等の要素があるアドベンチャーゲームがあるくらいでしょう。
しかし私は、ノベルゲームでのミステリ作品にはちょっと煮えきらないものを抱えていたのです。
古めなところで「Ever17」とか最近では「パラノマサイト」あたりに目を通したのですが、しかしいまいちピンとくるものがない。
(具体的な問題を取り上げるため、ここは敢えて特定の作品名を挙げました。ファンの方はご容赦くださいね)
「Ever17」は中心となるネタの成立させ方が強引すぎで、大掛かりな仕掛けはいいのですがもう少し丁寧に仕込みをしてほしいところでした。といっても丁寧にやるとあのネタはすぐにバレそうな気もするのが難しい。
あと、とある理由でゲームをやる前にネタの見当がついてしまうのはいくらなんでも勘弁してほしかったです(プレイ済の人は何の事か分かる筈)。
「パラノマサイト」は中心となるネタに依存しすぎて幕引きが雑になった印象で、トゥルーエンドがクリア後のオマケみたいな内容になってしまった脱力感がありました。
これをより効果的にするなら例えば、
一つ別のエンディングがあり、例のエンディングはその後に見られるようになる。
……なんて落とし所にするならこのネタはもう少し活きるんじゃないかと思うのですよね。
ただし、そうするとこのネタは薄まってしまうのでしょう。
ネタを印象付けたいならその落とし所は避けなければならない。そういうことになってしまうのかもしれません。
……と、各作品のファンはもう記事を閉じたでしょうね(´ω`)
一応言っておくと、私はこれらの作品をディスりたいわけではありません(各々意欲的な部分のある作品ではあると思います)。
もうちょっと広い観点で、ノベルゲーム・アドベンチャーゲームとしてミステリを作ることの問題、というか限界をちょっと考えていたのです。
先ほど、両作品について執拗に「ネタ」とネチャネチャ書きました。
ノベルゲームでのミステリには、こうした
「ある大ネタを中心にする」=「ネタ中心」
というつくりへの偏重があるように思えるのです。
引っかかるのは個々の作品というより、その「ネタ中心」傾向そのもの。
一応言っておくと、「ネタ中心」だと厳しい、ということ自体はミステリ小説もおそらく同じではあります。
小説でも一発ネタよりは既存のネタの使い方を工夫した作品が増えていますし、ネタ自体を主眼とした作品は少なくなっている。
ただし、ノベルゲームであることがミステリとしては「ネタ中心」に偏らせているのではないか?ということも考えてしまうのです。
ノベルゲームである以上、「選択肢orプレイヤーの行動によりゲームが進み、意外な真相が明かされたりする」という以外にはゲームとしてできることは限られます。
要するにストーリーは違ってもシステムは大して変わりません。
というかゲームとしては基本、何十年も前からある地味なシステムです。
これでは、システム(ゲーム性)でインパクトを与えることは難しい。
インパクトを与えられるかどうかはストーリーにかかっている。
展開が派手になりがちなのは、これが理由ではないか。
それミステリ小説と何が違うんだよ。
と言われそうですが、ここでゲームはそもそも派手な作品形式であるという点を考える必要があります。
ゲームには絵があるし、音があります。
その絵にしても、大抵は目を惹きやすいイラストやCGです。
であればミステリとしての驚きどころではイラストやアニメ、BGMにSE、ボイスを駆使して驚かせたくなるわけですね。
演出が派手なら、ストーリーにもそれに見合った派手な仕掛けが求められる。ということです。
一方で、小説には基本的に文字しかありません。
地味な作品形式なのでストーリーも地味でもすんなり受け入れられる。
この辺が、ゲームと小説との違いではないか。
こうしたことからノベルゲームにおけるミステリは、いわゆる「大どんでん返し」的な、つまり「ネタ中心」のそれに偏ってしまう。
……のではないかなあ、と思ってしまうのですよ。
ノベルゲームという形を取る限り、ミステリゲームは大ネタに偏ってしまいそうに思える。
では、ミステリゲームへなにか別なアプローチがないでしょうか。
ノベルゲームは基本、ストーリーを読むのが中心になります。
ミステリであるからには、プレイヤーによる謎解きを主体にするとか。
ちょっと言い換えると、ゲーム性自体をもっとミステリ的にするということはできないか。
……といっても、そういうゲームはもうありますよね。
ミステリゲームの壁
ゲーム性を本格ミステリに近づけるとなると、まず思いつくのは先述の通り、プレイヤー自身に推理をさせる、例えば犯人を当てさせるという仕組みです。
となるとまず、ゲームに近いミステリ小説があることに気づきます。
「これで手がかりは全て与えられた。さて犯人は誰か?」といった、いわゆる「読者への挑戦状」が挟まれるような、エラリー・クイーンの長編を代表格とする読者参加型のミステリ(いわゆる「犯人当てミステリ」)です。
しかしですね、そうした犯人当てミステリをゲームにする、という試みは結構ハードルが高いのです。
何故かと言うと、そうした作品の代表格としてミステリゲームの古典的傑作「かまいたちの夜」が存在するから。
30年も前のゲームですが、これが高い壁なのです。
これもちょうどSwitch版(続編とのセット)が出たところですね。
ここでは基本的に一作目の話になります。
これもノベルゲームではありますが、「ネタ中心」的なものとは異なります。犯人当てに的を絞ったミステリで、一発ネタ的な大仕掛けはありません。
犯人当てミステリをゲームとして作るということに特化した理想的なゲーム性を持っているが故に、大仕掛けは不要なのです。
ゲーム内の手がかりを元に推理し、プレイヤー自ら犯人を指摘する。
当たりならグッドエンド、外れればもちろんバッドエンドに分岐。
バッドエンドは推理のヒントにもなっている。
ヒントを元に推理をやり直し、正解に至ることができる。
「かまいたちの夜」では上記のような作品構造をシンプルかつ高いレベルで完成させています。
これを更にブラッシュアップしたり新しいものを付け加えたりする、というのはなかなか難しいのです。
なぜかというと、ゲームバランスとしても「かまいたちの夜」でほぼ完成しているからです。
ゲームバランスって何やねん。
要するに、犯人当てミステリは難易度が高すぎてはいけないということです。
例えば極端な話、「正答率0.000000001%」なんてのは犯人当てミステリとしてはダメダメです。
それは一部の廃人しかクリアできない異常な難ゲーか、まともにはクリアできない運ゲーのどっちかですからね。いずれにせよクソゲーです。
その点でも「かまいたちの夜」は難易度のほどよさが優れています。
ミステリ慣れしていない人はほどほどに苦戦しつつ、バッドエンドのヒント(モロ答えもある)で次第に真相に近づける。
ミステリ慣れした人なら、ほぼ「セオリー通り」の状況や手がかりをもとにサクッと真相に至ることができ、あとは気まぐれシェフ・我孫子"今回だけシャレで"武丸による色んな日替りメニュー = 分岐を楽しめる。
間口が広く、隙がない作品です。
「初心者向けの本格ミステリ」とはまさにこういう作品のことを言うのですよ。
※我孫子"今回だけシャレで"武丸については「弥勒の手」の巽昌章解説を参照してください
我孫子武丸の作品は「殺戮に至る病」ばっかり、ほんとにそればっっっっっかりしか話題に出ないのですが、このひとはサイコスリラー屋さんではありません。色んなミステリを書いている気まぐれシェフです。
というかそれ以前に30年以上前の作品しか語られないってどうなんですか。
というわけでこんなのも読んでみてくださいね。
えーと、「かまいたちの夜」や我孫子武丸の話でしたっけ。
違うわ。
要するに、「かまいたちの夜」と同じ路線のゲームでは、先行作を越えることや差別化は難しいということです。
それをどうにか差別化しようとすると、結局派手なネタや展開に頼ったものになりそうじゃ?ということも気になります。
話を色々分岐させるにしても、シナリオライターには我孫子"今回だけシャレで"武丸レベルの多彩さが要求されかねない。
ハードルはやはり高いのです。
では。それとは異なるアプローチで本格ミステリをゲーム化できないか。
つまり、「犯人当て小説のゲーム化」以外の形で、ミステリをゲームとして作ることはできないか。
なんてことを考えてしまうわけです。
といってもどんなやり方があるでしょうね?
……というわけでようやくとうとう今回のお題「未解決事件は終わらせないといけないから」の話になるのです。
これがひとつの新しいミステリゲームの形を見せてくれました。
本作はノベルゲームやアドベンチャーゲームではありません。
これはパズルゲームです。
ネタバレなし感想
Steam版はここ。
Switch版はこれ。
私はSwitch版をプレイしましたが、Steam版も大きな違いはないはず。
本作は韓国のインディーゲーム作家・Somi氏の制作した作品ですが、ローカライズにあたり人物名等も日本のものになっています。以下でも人名等はこの日本名で記載します。
本作は主人公となる"おばあさん"と、彼女を訪ねた女性警官("おばあさん"が呼ぶには"審判者")の対話から開幕します。
"審判者"が切り出す話題は、12年前に発生した「犀華ちゃん誘拐事件」。
"おばあさん"は記憶が混濁しており、自分が誘拐事件を担当した元刑事・清崎蒼であるということを思い出すものの、それ以外はごく断片的な記憶しかありません。
そんな状況の中、"おばあさん"は"審判者"の誘導により、ある事件に関する断片的な記憶を再構成することとなります(要するにこの2人の会話はチュートリアルです)。
このように刑事・清崎の引退後という時系列から、「誘拐事件」が過去の事件の回想という形式で進行する作品となっています。
断片的記憶は最初にごく一部が開示されます。
そこでまず「犀華の父親は誘拐事件を未解決とするよう要望した」という奇妙な事実が明かされる。
本作はまず、この奇妙な要望、また清崎が何故記憶の混濁した"おばあさん"となったのか、そうしたことを巡るミステリとして始まります。
システム面について
前述の通り、本作はノベルゲーム等ではなく、敢えてジャンル分けするならパズルゲームです。
ゲーム画面では各登場人物の証言が、聞き手の清崎の発言と併せて縦に並んでいます。
Lineとか、DiscordやSlackみたいなタイムラインに似てますね。
こうした事件の関係者達による証言は、当初バラバラに、いわば断片的なパズルピースとしていくつか登場します。
その中にはハッシュタグのような形で記されたキーワードがいくつか登場し、そこからの連想という形で共通のキーワードを持つ証言を開放していきます。
要はパズルピース集めです。
しかしこれら証言は断片的なため、当初は誰が、いつ、そしてなぜ(Who/When/Why)そう言ったかということがわかりません。
そのWho/When/Whyを推測しつつ、各証言の発言者や話された時系列を入れ替え・当てはめて行くことでゲームは進行します。
つまり、バラバラのピースを眺めながら、はめる向きや場所を検証していくのです。
この作業によって、各人の証言がタイムラインとして構築されていくことになります。
こうして段々とパズルの絵柄がわかってくるわけですね。
というわけで、本作は事件の全体像を断片から組み上げていくというゲームになっていることがわかると思います。
文字が多いので一見ノベルゲームのように見えますが、こうして見てみると本作のゲーム性はジグソーパズルそのものです。
最初はとっつきづらさもありますが、慣れると証言を吟味しつつ直感的に遊べて快適です。
しかし、ジグソーパズルであれば適当にパチパチとピースの組み合わせを試していけば解けてしまいそうなところ。
それではミステリにならないのですが……と、ここに本作をしっかりミステリにしているシステムが登場します。
一部の証言にはロックがかかっており、そのままでは証言の開放やキーワードとのつなぎ合わせができません。
これらは下記の条件でつなぎ合わせが可能になります。
赤:探すべき情報が提示されるので、対応する証言を探す
黃:証言の発言者・時系列確定を繰り返すと貰える「鍵」を使用
紫:4桁の数字錠と条件が提示されるので、対応する数値を探す
このロックのシステムが様々な面で効果的に機能しており、かなり計算されたものとなっています。
特に赤・紫のロックの存在によって、発言者と順番をコロコロ入れ替えて総当たりするだけではクリアできないようになっている点がまずよいところ。
このシステムによって、プレイヤーはしっかりと証言の内容を吟味し、真相を推理することを求められるわけです。
さらにこれによって証言を開示するタイミングがコントロールされている点にも注目。
重要な証言の開示が早すぎると真相が見えた状態でプレイが作業的になってしまう可能性があります。
このシステムのお陰でそれを回避し、終盤に行くほど重要な証言を開放して真相に近づく楽しみを味わえるようになっています。
またこのロック、一部は真相へのヒントとしても利用されているのではないかと思われる部分もあります。
このゲームシステムを活用した手がかりの与え方には感心させられました。
という感じで、コツがわかると快調に進行するため、若干詰まるところがあっても全体で2〜3時間程度でクリアできると思います。
薄めの長編ミステリくらいの程々のボリュームですね。
これは薄味とかボリューム不足ではなく、読者参加型(犯人当て)ミステリとして絶妙な塩梅です。
先述した通り、読者参加型のミステリは難易度が高すぎてはいけません。
この1プレイで無理なく結末まで到れるボリュームと難易度のほどよさ、これは素晴らしい。
誰もが結末までプレイし、ゲーム自体も真相の持つ味も楽しめるさじ加減で優れた作品となっていると思います。
前述した「かまいたちの夜」と形は全く異なりますが、本作もゲームとしての「初心者向けの本格ミステリ」を高いレベルで達成できているのではないでしょうか。
というところで、ゲームとしての話はとりあえずここまで。
では、肝心のミステリとしてはどうなのでしょうか。
ミステリとして
本作をミステリとして見ると、「一発ネタ」と言えるような大仕掛けはありません。
なので「大どんでん返し」的なものを求める人には向かないでしょう。
ネタバレ感想で後述しますが、本作はいくつかの細かい仕掛けを組み合わせたような形をとっています。
こうした仕掛けを実現できたのは、ゲーム性をパズルゲームとして、事象のつなぎ合わせと全体像の解明に主眼を置いたからではないかと思います。
事件の真相については、おそらく中盤に差し掛かる頃には大まかなところが見えてくると思います(ミステリに慣れた人なら序盤で見当がつくかも)。
しかしそれが本作のドラマ面にむしろ好影響を与えている印象があります。
これはストアページに書いてしまってあるのでこちらに記載しますが、
各証言には嘘の部分が含まれています。
誰もがなにかの嘘をついているのですが、といっても本作は「逆転裁判」のような嘘を暴いて進めるゲームではありません。
嘘は過去の清崎によって既に暴かれており、パズルを解くことによってその過程と内容が明らかになるのみです。
ここで重要なのは、誰もが嘘をついているということがミステリならではのドラマ性にーー「ミステリで人間を描く」ことに奉仕していること。
証言を吟味する過程で必然的に、誰が、なぜその嘘をついたかを考えることになります。
本作に単なるイタズラや嫌がらせで嘘をついている人間はいません。各々に明確な理由があり、また切実さが存在する。
そうしたことがゲームの中で必然的にわかってきます。
こうしたことが、ミステリでしか表現できない人間ドラマを描き出しているのです。
(ネタバレ感想で言及しますが、これはあるミステリ作家の影響を大きく感じる部分です)
このドラマ性が活かされているのは、本作が一発ネタに頼らない作りになっているのが大きいように思います。
しかし、最初のほうで書いた通り、ゲームは一発ネタに偏りがちな形式のはず。
本作はなぜそれを回避できているのでしょうか。
……それは、ここまで貼ってきた画像を見れば一目瞭然ですね。
グラフィックについて
ここまで貼ってきた画像を見ると分かる通り、本作の画面はほとんどが文字、一枚絵もモノトーンのドット絵で統一されています。
非常に地味な画面です。
この、抑えに抑えた地味な画面は、「ゲームは派手な展開に偏りがち」問題を解決するものではないかと思うのです。
本作の地味なミステリ性は、演出から派手さを省いたことで可能になっているのではないか。
音楽も抑制されたメロディが終始なり続けるため、こちらも非常に抑えた演出となっています(真相に近づいていくと少しずつ盛り上がっていきますが)。
絵と音の両面で抑えた演出を行うことで、ミステリとしての大仕掛けは要求されることなく、過去の事件を扱った物語らしい静謐さを保ったものになっています。
ここもなにげに、ミステリゲームとしては珍しいものなのではないでしょうか。
本作の特質をミステリによる人間ドラマと言いましたが、この演出からもわかるとおり、大げさな感動シーン等があるわけではありません。
あくまで抑えた演出に留まるのです。
でも、それは当然のことです。ミステリによるドラマ性は、仕掛けの裏側から立ち上がってくるものだからです。
その意味で本作は、ゲームとしての演出を抑えることで現代ミステリとして完成できているのです。
ネタバレ無し感想まとめ
謎解きを主眼とするミステリは、断片的な手がかりを整理し、組み合わせることで事件を再構成するという構造を持ちます。
だからパズラーと言うんですね。
その作りをゲームに落とし込むには、ピースをあるべき場所に嵌めていき、ある大きな絵柄を描き出すジグソーパズル的な作りはまさにぴったり。
ミステリをゲームとして作るにあたってのアプローチとして納得感がありつつ、ゲーム性としては非常に革新的な作品といって間違いないでしょう。
物語がどういった形を取るべきか、ミステリをどうやって作品化するか、そういったものをよく考えて作られた作品といえるのではないでしょうか。
このような形をとることで、ミステリゲームにおける「ネタ中心」からも脱却し、現代ミステリ的なドラマ性を獲得しているといえます。
細かい意外性や構図の面白さという点に着目したミステリゲームという観点でも興味深い作品、なのではないでしょうか。
さて、言いたいことはほぼ言ってしまいましたが、残りはネタバレ感想で。
!以下はネタバレ感想になります!
作品の詳細部分に触れるため、未プレイの方はお気をつけください。
ネタバレ感想
未解決な解決のまとめ
全体の時系列をまとめるとこのようになります。
原島公正・理佐子夫妻に娘の原島犀華が誕生
未熟児として生まれた原島犀華は程なくして死亡
出生届が提出され、死亡届が提出されなかったため原島犀華は生きていることになった
理佐子は次第に原島犀華が生きているという妄想を抱くようになる
原島夫妻が離婚、理佐子は旧姓の松田理佐子となる
宮城哲郎の娘・宮城犀華が松田理佐子により誘拐
名前が同じため、原島犀華と思い込んでのこと
宮城哲郎は警察に通報
「宮城犀華誘拐事件」が発生
清崎蒼が捜査の一環で松田理佐子を訪問
理佐子による略取を知った原島公正の母・原島貴子は、公正に犀華の誘拐(保護)を指示
原島公正は保護した宮城犀華を宮城宅へ帰す
宮城犀華がいなくなったことで、松田理佐子は原島犀華が誘拐されたとして清崎に通報。
「原島犀華誘拐事件」が発生
原島犀華の捜索願が提出・受理され、原島犀華が行方不明者となる
原島公正が宮城犀華の誘拐犯として自首
金目的と主張するが、金銭の要求は行われていなかった
二人の犀華の名前の一致等から調査が進められる
原島貴子が、宮城犀華の誘拐が松田理佐子によること、原島犀華が死亡した事実を証言
「宮城犀華誘拐事件」は松田理佐子の犯行として解決した
原島公正は原島犀華が行方不明者として認定されたことを確認し、「原島犀華誘拐事件」を未解決とするよう要望
「原島犀華誘拐事件」は未解決事件として処理され、原島犀華は行方不明者として記録が残された
ちょっと記憶違いがあるかもしれませんがこんなところでしょう。
これを踏まえて細かい部分について。
ミステリとしての構図はシンプルです。
切り分けると下記の仕掛けを組み合わせたものになります。
2人の犀華を1人に見せる
=二人一役
宮城犀華と原島犀華を一人の人間に偽装
2組の両親を1組に見せる
=人間関係の偽装
宮城哲郎(宮城犀華の父)と松田理佐子(原島犀華の母)を元夫婦に偽装
2つの事件を1つに見せる
=構図の隠蔽
「宮城犀華誘拐事件」と「原島犀華誘拐事件」をひとつの事件に偽装
「2つを1つに見せる」ミステリとしてはよくある仕掛けの組み合わせだとわかりますね。
1.の偽装を行うために、必然的に2.と3.の仕掛けが組み合わせられています。
特に2.は"(宮城)犀華の父"宮城哲郎と"(原島)犀華の母"松田理佐子をゲーム画面上で横に並べるというシステムを悪用した手口で、思わず笑わされます。
とはいえ、犀華という珍しい名前が2人(松田理佐子の行動範囲内に)いることは流石にアンフェア気味でしょうか(これは翻訳の限界でしょう)。
もっとも同じ名前の人物を使った仕掛けはもっとヒドいミステリがいくつかありますから、このくらいまあええか……という感じ_('ω' _)
ただ、不自然なくらい「犀華ちゃん」の名字が(宮城とも松田とも)表記されないため、序盤からこうした構図に勘づく人も多いと思います。
事実上、この微妙な表記もヒントのひとつですかね。
さらに松田理佐子が原島犀華の誘拐を訴える以前に清崎の訪問を受けていた(=「原島犀華誘拐事件」以前に警察が動いていた)ことが分かる証言、
つまり「2つの事件」の存在を示す大きな手がかりも比較的早くに手に入ります。
これも真相を見えやすくしているところでしょう。
というわけで意外性はさほどではありませんが、読者参加型ミステリとしてはなかなかの完成度を持っています。
「犀華」が2人いる事実(前述の1.)に気づければ、芋づる式に残りの仕掛け(同じく2.と3.)も分かるため、ひとつの気づきがあれば一気に真相に到達できる作りになっています。
この気づきのポイントの設定がうまく作られており、難易度のほどよさと終盤一気に解明の進む楽しさを両立できているのではないでしょうか。
「意外性はさほどではない」と言ってしまいましたが、本作が意外性だけを狙った作品ではないことは明らかでして、ゲームとしてもこのことを積極的にバラしていく構成になっているようです。
たとえばロック付きの証言の開放条件はなかなか絶妙で、
「(原島)犀華が死亡した日」を入力させたかと思うと「(宮城)犀華が生きている根拠」を探させるなどしてきます。
このため最重要の事実となる「2人の犀華」の存在には否応なく気づいていけるような構成になっているわけです。
このへんはゲームとしてのシステムを巧みにミステリ性に活用しているところで、感心しました。
「本作は意外性だけを狙った作品ではない」というのはドラマ性にあります。
「二人の犀華」の構図が見え透いているからこそ、この見え見えの真実にまつわる人々がいかに振る舞うか、そのドラマが活きてくるという計算のようにも思えます。
ミステリで人間を描く、という行為の真骨頂は描かれない姿、語られない言葉、隠された真実は何故隠されているかーーにこそあります。
次第に真実が明らかになる中、各登場人物の内面も語られない言葉の裡にどんどんと明らかになっていきます。
ここが本作の読みどころでしょう。
ゲームとして何度も証言を確認することで、後半に向けて各人の内面が必然的に迫ってくるものになっているのも特徴的。
ここもゲームシステムを現代ミステリとして有効に活用している点であると言えそうです。
そしてそうしたドラマとしては、読後感も印象的です。
作中人物のほぼ全員が何らかの嘘をついている一方で、悪意をもった人物が存在しないあたり、後味の良い作品になっている点といえるでしょう。
ということでここからは概ね余談(例によってバカ長い)です。
Dead or Alive
本作の結末について少し補足しておきます。
行方不明者は、死亡するのではないか?という点について。
上記の通り、12年後の"現在"まで行方不明となっている原島犀華は、この認定に基づくなら、法律上死亡することになります。
この法律については言及されるミステリ作品も多いので、ちょっと引っかかりそうなところですね。
ただし重要なのは下記の部分。
行方不明者を法的に死亡させるには、上記のような申立人が裁判所に届け出る必要があります。検察等がこの申立てをすることはできないようです。
つまり、申立人となる原島公正や原島貴子、松田理佐子が失踪宣告の届け出を行わない限り、原島犀華は法的に生き続けることになります。
元々日本のゲームではないため元は違う話なのかもしれませんが、日本の法律を考慮しても本作の結末に矛盾は生じない点は明記しておきます。
三木彦連蔵って誰だよ
本作は前述の通り韓国で開発されたのですが、日本の本格ミステリに近いものをひしひしと感じる作品になっています。
韓国のミステリはサイコスリラーかクライムフィクションのイメージが強かったのでこれは意外。
ひょっとして日本のミステリへの意識があったのでしょうか。
と思ったら、それについては作者本人がインタビューで言及してくれているのでした。
インタビューはこのGame*Sparkの記事。
三木彦連蔵って誰だよGame*Spark。
連城三紀彦だよGame*Spark。
まじめな話、Game*Sparkのスタッフは日本ミステリについての知識が韓国のSomi氏よりも劣っているのか?と私は猛烈な不安に襲われています。
知識云々以前にこれじゃインタビュー相手に失礼すぎますよ。
というわけでこの連城三紀彦と本作の関係について少し書きます。
連城三紀彦はトリッキーで先鋭的な仕掛けを自在に操る一方で、濃密な人間心理の描写を得意としたミステリ作家です。
一見した物語の構図を鮮やかにひっくり返して見せ、その仕掛けを通して人間の秘められた心理を描き出し、人物像をもひっくり返す。
この、物語の構図と人物像の反転。
これが連城ミステリの特色です。
私の知る限り、「ミステリで人間を描く」すなわち、「ミステリでしか描けない人間性を描く」という芸当を日本で、いえ世界で初めて完全な形で達成したのがこの連城三紀彦です。
そういえばその才能の特異さが伝わるでしょうか。
こうした構図の反転、人物像の反転によりミステリでしか描けない人間ドラマを描く、そんなミステリ作品は、当の連城氏(1977年デビュー、2013年没)よりずっと後の世代、つまり近年になってミステリシーンの中心に多く現れるようになったと私は感じています。そしておそらくそれらは連城氏の影響を少なからず受けたものであるとも。
例えばパッと思いつくところだと芦沢央、道尾秀介、米澤穂信あたり。
このへん↓の作品が個人的に連城ミステリの系譜と思います。
というわけで、連城三紀彦は現代日本ミステリを語る上でも絶対に外せない超重要作家なのですよ。覚えとけよGame*Spark。
Game*Sparkを擦るのはこのへんまでにしましょう。
インタビューの話に出たのはこの作品。
この「白光」は子どもの失踪を導入として、多数の人物の視点が切り替わりながら進行し、何が起こったかという事件の構図が次第に明らかになっていくというミステリです。
未読の方のためネタバレは避けますが、子どもが被害者となる事件、複数の関係者の証言で展開、各々の言葉に潜む嘘、などなどたしかに共通点が多い作品です。
ただ、「白光」は冒頭あっさりと子供の死体が転がるうえ、やがて明かされる事件の構図は異様そのもの。
「未解決事件は〜」に比べものにならないほど陰惨で、終始息苦しい作品です。
そこは刊行当時の「これほどまでに切なくも、おぞましいミステリーがあっただろうか」という帯の文句が端的に表現していますね。
これ、今なら間違いなくイヤミスとして売られるでしょうねえ。
とまあ、そんなわけで「未解決事件は〜」が気に入っても「白光」は全くの別物。というわけで取扱注意です。
その辺には東野圭吾「新参者」にも触れられている通り人情モノテイストを取り込んだ、と言えそうでしょうか。
ともあれ、東野圭吾はともかく連城三紀彦の名前と作品がポンと出てくるあたり、Somi氏は日本ミステリに中々詳しいようです。本作の出来も納得なところ。
連城三紀彦は東野圭吾のようないわゆるベストセラー作家とは言えないですからね……。
三木彦連蔵なんて知らねーよ、という方も本作が気に入ったなら連城ミステリを手にとってみてはいかがでしょうか。
上記の「白光」はクセが強いので、ひとまず代表的なところから。
本作に連城ミステリがいかなる影響を与えたかの一端がわかると思います。
さて本作ですが、さすがに連城三紀彦ほどのトリッキーな技巧があるわけではないものの、いろいろな点でたしかに連城ミステリのエッセンスが感じられます。
構図の反転はもちろんのこと、(宮城犀華)誘拐事件の真犯人である松田理佐子の異様ながら切実な心理は確かに連城三紀彦の影響をうかがわせるもの。
あと、ミスディレクションの一つとして連城ミステリの定番である男女関係、とくに不倫(「白光」がそんな話)をちらつかせているあたりもニヤリとさせます。
といっても、心理面の掘り下げも連城ミステリに比べればあっさりめの人情話寄りではあります。
しかしやはり考えるべきはこれがゲームであるという点。
自分の手で構図を解明していくゲームであるということを考えると、このあっさりめがちょうどいい塩梅なんじゃないかなと思います。
連城ミステリは理解できない心理を平然と提示して、読者を突き放してしまうことも多いですからね。「白光」はまさにそんな感じ。
多分話まで「白光」似だと、大半が途中でイヤになってやめちゃいます。
ゲームでミステリをやるとしたら、謎解きの難易度だけでなくこうしたとっつきやすさも重要なファクターでしょう。
こうした点からも、本作はオマージュ元に寄りすぎずにバランスが上手く取れた作品ですね。
マルチエンディングのジレンマ
ここはちょっと不満点、つまりグチです。エンディングについて。
ミステリ小説の結末は、ふつうは1つです(たま〜〜〜にそうでないのもあります)。
しかし本作はゲームということもあり、エンディングが複数(2つ)あります。
なのですが、これはちょっと引っかかるところがありました。
全証言のつなぎ合わせを完了し、エンディング時点で「鍵」を2つ所持していると別エンディングが開放されます。
おそらくこちらがトゥルーEND、という位置づけだと思います。
それぞれのエンディングでは、ゲームの外枠部分にあった二人の人物の正体が、下記の通り別々になります。
(各ENDの名称は便宜上のものです)
ノーマルEND
"おばあさん" = 清崎蒼
"審判者" = 宮城犀華
トゥルーEND
"おばあさん" = 松田理佐子
"審判者" = 清崎蒼
というわけで全く別の話となってしまいます。
トゥルーENDでの"審判者"=清崎は「松田は会うたびに別人として振る舞っていた」と言っているため、それだけを考えれば通常ENDの続きと取れなくはありません。
ただしその場合、清崎が宮城犀華として振る舞っていたことが不可解になります。
なので、あくまで2つのエンディングは純粋にパラレルなものと捉えるほうが妥当でしょう。
この点、ミステリとして真相が2つになってしまうこと、更にその説明が不足している点はどうしても引っかかります。
ミステリでマルチエンディングをやるなら、なぜそうなるかのロジックをしっかり固めないといけないと思うのですよ。
でないと、それ以外も含めて何でもありになってしまいかねないからです。
(私の知っているあるミステリ小説では、「マルチエンディングにしかなり得ない」状況をガッチリと固めています)
言うまでもありませんが、事件の真相と顛末から考えるなら、"おばあさん"は清崎ではなく松田だったという方が自然です。
そもそも本作の冒頭では清崎がいかに"おばあさん"となったのかを謎の一つとして置いているふうなのに、結局ノーマルENDではその説明はほとんど与えられません(この出来事によって清崎が精神を病んだと考えるのは困難です)。
松田は元々精神を病んでおり、清崎はそのきっかけが無いとなると、"おばあさん"の正体は松田と考える他はないのです。
誘拐事件は過去の事件であり、その真相自体はエンディングに関わらず同じ(=事件終結時点での清崎及び松田の状況は変わらない)です。
この構成を持つため、本作は複数の結末を想定しづらいものになってしまっているように思います。
両エンディングにそれぞれテーマ的な狙いがあることは承知なのですが、だとしても外枠部分についてはミステリ的な仕掛けへの落とし込みに失敗していると言わざるを得ないでしょう。この点については明らかに練り込み不足です。
ここは「"おばあさん"=清崎ではなく松田」という構図の反転はまず分岐によらず不変として、同じ真相をより深堀りしたトゥルーENDにするという落とし所にしても良かったのではないかと思います。
そのほうがミステリとしてはより納得のいく、自然なものになったのではないかと思うのですが……。
とはいえ。
ゲームとしては明確に別のエンディングにしたい、というのもよく理解できるのです。先述の通り各エンディングのテーマ性もありますからね。
ある意味「派手な展開に偏りがち問題」とは別な場所に、ゲームとミステリの間の問題が見えた感があります。
ゲーム性とミステリ性の間のジレンマといえる部分なのかも。
この引っかかりがなければ文句なしの傑作だと思うのですが、ちょっと悩んでしまうところでした。
余談の果ての余談
各ショップのサムネ、かなりネタバレ臭いのですがこれでいいんでしょうか。エンディングの画像も入ってますよ。
いいのか。