「フェイクドキュメンタリーQ」ミステリ脳で勝手に読み解く: Q3
この感想シリーズ、元々もっとふつうの感想にするつもりだったのですが、ミステリ的な理屈を考えるのがすっかり楽しくなってしまってこんな有り様です。まっとうに怖がっている人達に白い目で見られてそうなことが一番怖いですね(∩'-' ∩ )
ところでグダグダ書いているうちに書籍版が発売されてしまい、扱いに困っている内にさらにグダグダと時間が経ってしまったのですが、書籍についても変な読みを展開した結果、「(ほぼ)考慮不要」と判断しました。このため原則動画の内容のみで検討を行う予定です。
書籍を何故考慮不要としたかについては下記をごらんください。コレについては今後続報も書く予定で、そっちが本篇です。
筆者の「フェイクドキュメンタリーQ」に対するスタンスについては下記まえがきをお読みください。
Q3: 発見されなかった友人の遺品
※本文はネタバレを含みます。本編鑑賞後にお読みください。
概要
タイトル: 発見されなかった友人の遺品
英語タイトル: What the deceased left behind
動画内タイトル: 遺品
扱う記録の概要
媒体: 映像・写真
入手経緯: 撮影者からの提供
動画作成者による編集
映像
ナレーション付加
かんたん感想
一見した「ドキュメンタリー」っぽさという点ではシリーズ中でも随一ですが、歪みもシリーズ随一という妙なお味。
本シリーズ(特に第1シーズン)の持つある傾向はここでも堂々健在。Q1、Q2でも見られた「変なものに関して特に説明もつけず、解釈も見せずに視聴者の前に放り出す」という困った態度です。それがここではさらに先鋭化を見せているのがわかります。
そもそも、ホラー物の(フェイク)ドキュメンタリーといえば心霊映像をお見せした後に「◯◯だとでも言うのだろうか……」と、わかったようなわからないような勝手な解釈をペタッとくっつけてくるのが定番じゃないですか。でも、本シリーズではQ1の「見たら死ぬビデオ」もQ2の変な留守番電話メッセージも、ポイッとそのまま放り出されてきました。それはQ2の「全ては謎である」という乱暴なぶつ切りにわかりやすく表れていますね。
で、Q3で放り出される変なものはもちろん後半明らかにされる写真……ではなく、冒頭から流される「遺品」発見の映像の方。この映像にはもう不審な点しかないのですがしれっと流してくるので楽しくなります。
むしろ写真を紹介する段では「これが幽霊の姿なのだろうか……」と若干のそれっぽいコメントを付けているあたり、映像のほうの不審さはスルーしようという硬い硬い意思を感じるところがあります。
今回は写真のほうがメインだから映像の方はまあ置いといて……という雑な態度に一見は見えるのですが、問題はこの心霊(?)写真の存在自体もおかしなところ。これについては後述します。
ともかくそんなあからさまにヘンなところを思い切りスルーしているわけでして、とくにこのQ3は放りだしっぷりが随一といえるところでしょう。
というわけで、今回は何一つ信用できないという困った状況になってしまっているのですが、とりあえず何か内容を紐解く糸口が無いか考えてみようと思います。
というわけで今回はまさに山の中をウロウロするような難物になってしまいました。
一応の結論はちゃんと出ていますが、相当ややこしい検討となっている点ご了承ください。
すべてが不審
さて、いかにもドキュメンタリーですと言いたげに示される撮影映像には不自然な点しかありません。
まず毎年慰霊登山に行っているという彼らですが、今回の登山ではなぜか都合よくカメラを回しています。毎回撮影してるんでしょうか。
ゴミを拾う段になると、なぜか十数年前から未発見だったとされる「遺品」をそのへんの地面から発見します。今までどこにあったんでしょう。
とツッコミにはキリがなく、今更カバンが発見されたとしてちょっと中を見てみただけで「ナオトのかな」じゃないだろもうちょっとリアクションあるやろ、なのですが全員さらっと受け入れている風なのが変。
これは再現ドラマだと言ってくれたなら、ギリギリ納得も行くでしょう。クオリティは知らん。
というわけでこの映像は不自然な点が多すぎるため、額面通りに信用することは不可能です。この不自然な映像はどう解釈すればよいのでしょうか。
映像はなぜ作られたのか
フェイク……としても余りに怪し過ぎるこの映像、何故撮られたのでしょうか。
例えばぱっと考えつくのが、ナオトが実際には「友人たち」に殺害されたという可能性でしょう。この映像+写真を示すことで、ナオトが「幽霊が見える」と言いつつ自殺したのだ、これが幽霊を見ていたという証拠だ、とするストーリーを作り上げるというわけです。その場合遺品が警察に見つからなかったのは、当然犯人が持ち去ったからということになります。
が、単純にそう考えるのには難があります。
まず問題となるのは、ナオトが死亡してから「十数年」経過しているとされる点です。自殺への偽装工作をするとしたら、その当時に行っていなければおかしい。警察が再捜査を行っているというような情報もないため、自殺として処理されて十数年も経ってから実行する理由が見当たりません。こんなことをすればむしろ危険だからです。こうした明らかに作り物めいた映像では、偽装どころか疑われるのが当然でしょう。
ナオトが幽霊を見たと言いながら自殺したというストーリーを作るなら、必要なのはナオトの精神状態が不安定であったという証拠です。本当にオバケのようなものが写っている心霊写真と、何故か撮影されていたその「発見」過程の映像なんて怪しすぎるものはいらないのです。
人はなぜ山に登るのか
もう少し細かく映像の不自然さを見ていきます。
まず気になるのは、毎年慰霊登山を行っている「友人たち」が――少なくとも撮影者は――登山慣れしているようには見えない点です。カメラを持っているとはいえ、映像で見る限りは毎年登っているならナレーションの言うように「息を切らせて」登るような登山道とは思えません。
また友人たちの格好を見てみると、大きめのカバンを持ってそれなりの装備をしている人とかなりの軽装の人に分かれます。これはこの慰霊登山というよりも、登山自体の経験の差が表れているようにも見えます。
そうしたことから、少なくともこのメンバー全員が毎年この登山を行っているというのは事実ではないと思われます。
登山はこの映像の撮影のために初めて行われた可能性は十分にあるでしょう。
「遺品」をさぐれ
ナレーションではナオトの遺体は登山客により発見されたと言及されています。警察等の捜索隊による発見ではないこともあり、この登山客等にカバンが持ち去られたことで発見されなかった可能性も考えられます。しかし、その場合動機は窃盗等と推察され、それが十数年経って同じ場所に置かれたことが説明できません。
またカバンの状況(対して傷んでいない)から、十数年間同じ場所に放置されていたとは思えないため、このカバン自体は撮影にあたって置かれたと考えるのが妥当です。
では「遺品」は実は友人たちが(ナオトの殺害時などに)回収しており、今回改めて見つけたフリをしたのか、というとこれも微妙です。前述してきた通り十数年隠してきたなら今更そんなことをする必要がないからです。
とするとやはり。
友人たちには、映像の中でこの「遺品」を「発見」せざるを得ない理由があったのではないでしょうか。
では、その理由について考えてみます。「遺品」の内容はどんなものだったでしょうか。そこに理由があったのかもしれない。
カバン
仏像(?)が書かれた紙(チラシ?)
「銀河鉄道の夜」の文庫本
メガネ(メガネ入れ等は確認できず)
衣類(タオルかTシャツ? これだけ汚れが多い)
薬類
カメラ
この中にはひとつ、明らかな問題がある品が含まれています。
それはもちろん、「心霊写真」を撮影したはずのカメラです。
カメラと「友人たち」
今回のメインとなっているカメラとその写真なのですが、その内容以前に何を信用すればいいのか分からない状態になってしまっています。
ナレーションでこのカメラは「デジカメ」とあっさり言われているのですが、映像中で彼らが遺品として発見するのはデジカメではありません。
一瞬背面を見せるシーン(4:22頃)がありますが、大抵のデジカメに備わっている液晶ファインダーがないのが画面上でも確認できます。
このカメラについては下記のリンクが詳しいです。2000年のモデルですね。
一方、カメラの発見時の映像では、友人たちの1人が「データあるのかな?」と言っていますので、彼らはこれがデジカメだと思い込んでいるように見えます。
しかし、それもちょっと変です。先ほどの画像を見ても明らかなのですが、これがデジカメではないのは見ればすぐにわかるはず。裏面に液晶ファインダーが無いからです。
ではこの発言をどう解釈すればいいのでしょうか。その直前の発言を含めて見てみます。
このように、"友人C"は「入ってる」という言葉を言い直すように「映ってる」と言っており、そこに重ねて"友人A"が「データあるのかな?」と発言していることがわかります。
「入ってる」という言葉を訂正しなければならない理由があったのでしょうか?
さて、カメラに「入ってる」と表現されるものは何があるでしょうか。
おそらく、主に3種類。
画像データ、メモリーカード、そしてフィルムです。
"友人C"は手元のフィルムカメラを見て「(フィルムが)入ってるのか?」と言いかけてしまったのではないでしょうか。そして、友人Aが「データ」という言葉を被せるように出したのは、このカメラがデジカメであると示すためのフォローではないかと推測できます。
つまり、見た目にも明らかにフィルムカメラなのにもかかわらず、このカメラはデジカメでなければならなかったのです。
一体これはどういうことなのでしょうか。
写真はどこ( ✌︎'ω')✌︎
「遺品」から発見されたカメラがフィルムカメラであるとわかったことで、困ったことになりました。肝心の「心霊写真」が、どこから出てきたものかわからなくなってしまったのです。
動画後半で公開される写真は、明らかにデジタルデータの破損によるものと思われるノイズが入っています。素直に考えればデジカメで撮影されたものと思われます。
であれば、「心霊写真」を撮影したのは「遺品」のフィルムカメラではない。
ここで先ほどの話に戻ります。
「友人たち」は、「遺品」のカメラがデジカメであるとする必要がありました。すなわち、そこに収められた写真は動画後半で公開される「心霊写真」であり、それ以外の写真を撮影したものであってはならなかったのではないかと考えられる。
構図としてはこのようになります。
「友人たち」の見せかけた状況
「遺品」のカメラ
内容: 「心霊写真」のデータ
実際の状況
「遺品」のカメラ(フィルムカメラ)
内容: 未知の写真
未知のカメラ(デジタルカメラ)
内容: 「心霊写真」のデータ
「『心霊写真』を写したのは『遺品』のカメラである」とすることで、太字で示したものが抹消されることがわかります。
「友人たち」の意図はそれなのでしょうか。
ここで、「友人たち」がカメラをデジカメだとしたことを考慮すると、デジカメの存在自体を隠匿しようとしたとは考えにくい。
となると、フィルムカメラの写した未知の写真の存在を隠そうとした可能性が高くなります。
そこにいたのは誰?
先ほどのことから、もうひとつ重要な点に気づきます。
「友人たち」は「心霊写真」を実際に動画製作者に送ったという事実があります。実際にそのデータを持っていたということです。
つまり、デジカメは「友人たち」の誰かが持っていた可能性が高いのです。
「心霊写真」というと、「ナオトにそっくり」とされる人物の後ろ姿が映った写真がありましたね。ではこの写真はどうなるかというと。
ナオトとされる人物はバックパックを背負っており、「遺品」のショルダーバッグは確認できない。
仮にバックパックの中に入っていたとすれば、ショルダーバッグが単体で”発見”された理由が不明になる。
ナオトの死後、このバックパックはどこへ行ったのか。死者はバックパックを持ち去る事ができない。
ナレーションによれば「所持していた荷物が見つからなかった」(1:16)とされており、バックパックは見つかっていたとは考えにくい。
タイマーでも使わない限り、人間は自分の後ろ姿を撮影できない。
タイマーを使って撮影する理由も想定できない。
ついでに、このバックパックを見てみると「遺品」のショルダーバッグが山歩きをするには小さすぎる気がしてきます。
ところで「友人たち」を見てみると……大きいバックパックを背負った人と、軽装の人が混ざっていますね。
余計なことを考えなければ、単純になります。
写真が撮影された場には2人以上の人間がいたのではないか。
だとすれば、バックパックの男の後ろ姿を撮ったのはその同行者になります。
さらに、この写真はデジカメで撮影されています。デジカメを持っていた可能性が高いのは、「友人たち」の誰かです。
つまり、この同行者は、「友人たち」の誰かである可能性が高いことがわかります。
一旦ここまでの推測をざっくりと整理すると、
「友人たち」は、「遺品」のフィルムカメラで撮影された写真の存在を隠す必要があった
「ナオト」とされたバックパックの男には、「友人たち」の誰かが同行していた
こんなところでしょうか。
しかしそれぞれのつながりがまだ見えませんね。
このあたりを考えるには、この妙な映像の原点に戻る必要がありそうです。
ナオトって誰?
さて、そもそも「友人たち」が映像を撮ったのはなぜでしょうか。もちろん「慰霊登山」をしていたためです。
慰霊登山をする理由は何でしょうか。もちろん、ナオトが数十年前に自殺したからです。
つまり、ナオトが自殺していなければ、慰霊登山を行うこともないし、この「遺品」を発見する映像を撮影することもないのです。
……そりゃ当たり前なのですが、疑問が浮かびます。
本当にナオトを悼んで登山をしているとするなら、この映像は不自然すぎです。どう見ても「遺品」を発見するところを撮影するためだけが目的としか思えない。
彼らは本当にナオトを悼んでいるのか?
というか、そもそもナオトという人物は実在するのか?
ナオトの実在を証明するにしても、友人たちとナオトの正確な間柄は不明です。学校の同級生等であればその線から辿れるでしょうが、それも作中からは確認できない。
逆説的になりますが、「山で自殺したナオトという友人がいる」という前提(設定)があれば、「慰霊登山を撮影しているときに『遺品』を発見する」という映像を撮影することができるようになるのです。
……回りくどいですねぇ。
そんな回りくどいことをして、どういうメリットがあるというのか。
「遺品の発見」を撮影することで、映像として残すことは、次のことを示すことになります。
「遺品」はナオトという故人のものであった。
「遺品」を自分たちが手に入れたのは映像の撮影時、すなわちごく最近である。
「友人たち」は、「遺品の発見」というかたちでそれを示す必要があった、とするなら。
「遺品」は、元々「友人たち」のものだった。ずっと前から。
ということになりそうですね。
特にそれを示す必要があった「遺品」は、もちろん例のフィルムカメラではないかと思われます。
ちょっと話を戻して、ナオトが実在しないと仮定すると、当然「心霊写真」についての問題が浮上します。「ナオトの後ろ姿」とされたバックパックの男が誰かという問題です。
先述したとおり、写真をデジカメで撮った人物は「友人たち」の一人である可能性が高い。
となるとバックパックの男もまた「友人たち」の一人である可能性が高くなります。
ということでとにかくまあ今回はグチャグチャとやってしまいました。
おそらくここまでの推測で、なんとか一定の結論は出せそうです。
ひとまずの結論
ここでひとまとめ
だいぶ妄想が混じっている気がしますが、ここまでの推測をまとめてみます。
「友人たち」の誰かは、「心霊写真」を撮影したデジカメを所持している
バックパックの男とそれをデジカメで撮影した同行者は、どちらも「友人たち」であると考えられる
「遺品」のフィルムカメラは、実際には「友人たち」の誰かの所有物であると考えられる
「友人たち」は、「遺品」のフィルムカメラを、デジカメだと偽る必要があった
「友人たち」は、フィルムカメラが自分たちの所有物でないと示すために映像を撮影した
1.2.3.を総合してみます。
「友人たち」の2人は山中にいた。一人がデジカメを所持していた。
そして、フィルムカメラもまた「友人たち」のものであった可能性がある。それが、山に持ち込まれていたとしたらどうなるか。
と考えると、「『心霊写真』の撮影された場に、カメラは2つあった」と考えられます。
「心霊写真」を写したデジカメと、
「心霊写真」を写してはいない「遺品」のカメラ。
どちらも、「友人たち」のものであるとします。
そして、4.を考え合わせてみましょう。先述した通り、これによってカメラの存在は「『心霊写真』を写した『遺品』のカメラ」一つだけということになります。
これで、2つあったカメラが1つに減りました。
5.も考え合わせてみます。これで、1つだけになったカメラが、「ナオト」という昔死んだ人間の持ち物になりました。最近まで「友人たち」はカメラを持っていなかったことになりました。
これによって作り出されるのは次の状況です。
「『心霊写真』を写した場所で、何らかのものを撮影したカメラ」を、「友人たち」はもともと持っていなかった。
言い換えるとこうなります。
"「遺品」のカメラに収められていたのは、「心霊写真」である。それ以外の写真は収められていない。"
実際にフィルムカメラには、「友人たち」にとって都合の悪い、または危険な写真が収められていたのかもしれない。そして、それは以上の手順で存在自体を抹消できたのです。
……ちなみに、実際にフィルムカメラに収められていた内容についてはスルーします。判断材料がないからです。
最後の一手
これで、「友人たち」の目的は達成されたのでしょうか。そうではありません。
"「遺品」のカメラに収められていたのは、「心霊写真」である。それ以外の写真はない。"
そのことは、何ら客観的に保証されてはいないのです。
そこで、「友人たち」は最後にあることをする必要がありました。
もちろんそれは、この動画を成立させる大前提となる行動。
「心霊写真」を、動画製作者に提供したのです。
心霊写真のつかいかた
さて原点に返って考えます。
公開された写真が、「心霊写真」であったのはなぜでしょうか。
山が呪われた地だったから。あるいは、写真を編集したから。
それは、わかりません。
いえ、どちらでも同じです。
ですが、それとは別の観点で、明確な理由があるのです。
心霊写真でもなければ、写真をYouTube上の動画として公開してもらうのは難しいから。
それが、写真が「心霊写真」であった理由です。
写真を不特定多数に、動画として公開してもらうこと。「友人たち」の目的はそれだったのではないか。
第三者の手によってYouTube上で公開されることで、「遺品」のカメラに収められた写真の内容は客観的に決定するのです。
そこで初めて、フィルムカメラに収められていた本当の写真は、客観的に抹消されることになるのです。
そのために、「友人たち」は動画製作者を利用した、と考えられないでしょうか。
息を切らして動画撮影
しかし、そうした意図があったとしては、「友人たち」の撮影した映像は雑である、と考えられてしまうのはやむを得ないところです。
これについてはおそらく、なるべく早く「遺品」のカメラを手放す必要があったのかもしれません。
このやりとりを改めてみると、「友人A」はカメラがデジカメではないこと、しかしデジカメでなくてはならないことを知っているようです。
しかし、「友人C」はそうではない。細かなところを打ち合わせる前に撮影を決行したという印象があります。
しかし、「友人たち」にとっては、写真の裏付けとなる「発見」の過程さえあればその内容は大きな問題にならないという判断が働いたのではないかと推測します。
それは、動画の主役は「心霊写真」のほうだから、です。
ホラー動画の制作者なら、不気味な「心霊写真」にはきっと飛びつくだろう。この映像はあくまでその背景。そこ若干不自然な箇所があっても、「心霊写真」を動画化することの魅力には抗えないはずだ。
そう考えて、こうしたかたちで写真を提供したのではないか。
映像の不審さを根拠にボツにされたなら、別のところに送ればいいだけです。
それにそもそも、映像に少し不審な箇所があったって、公開されるのは編集された動画です。
動画を仕上げるにあたっては、多少の不自然さがあったところでどうにでもなります。ナレーションでは「デジカメ」と言ってもらえますし、それだけで足りなければそのほかには……
あれ?
やる、やらない
さて。この奇妙な「映像」について追ってきましたが、ちょっとだけ目線を変えて。
動画を、あらためて眺めてみましょう。
映像ではなく、完成した動画です。
例えば、「遺品」を発見し、その中身を確認する場面。
メガネを取り出した後(4:19)。
カメラを確認した後(4:35)。
そのあたりに細かくカットが入っていることがわかります。このタイミングだけ撮影が止まっていたとは考えづらい。
これは、編集でのカットです。動画製作者による、映像のカットです。
しかし、そう考えてみるとおかしな点がある。こうして適宜カットを入れているというのに、明らかに妙な部分。
「遺品」のカメラが、デジタルデータである「心霊写真」を写したものではありえないとわかる瞬間――
すなわち、カメラを裏返すその瞬間は、そのまま動画に残っているのです。
動画にするにあたって、映像をカットすることは当然自由ですが……
カットしないことも、当然自由。
その一瞬さえカットしてあれば、(カメラに詳しい人でもなければ)「心霊写真」の存在は余計な胡散臭さもなく、真実味をもって受け入れられたはずなのに。ついでにいうと、私がこんなヘンな妄想ロジックを展開することも無かったのに
そして、「遺品」のカメラが写した本当の写真は、もっと確実に抹消されていたはずなのに。
「友人たち」に利用されたかもしれない動画製作者は、映像に適宜カットを入れながら、「心霊写真」にもっともらしいコメントを付けながら、その一瞬だけを。
「友人たち」にとって、ひょっとすると致命的なその一瞬だけを。
きっちりと、そのままに、残していた。
その真意は、「遺品」のカメラが収めた写真と同様、知れることはないでしょう。