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【秀作】アニメ映画「僕が愛したすべての君へ」ほやほやレビュー

こんばんは。ヨタロです

先週に引き続き映画館を訪れた僕は、迷わずチケットを購入しました。

タイトルは、

「僕が愛したすべての君へ」(以下、「僕君」)

そう。先週見た「君を愛したすべての僕へ」(以下、「君僕」)の同時上映作品です。

「君僕」のレビューに関しては、既に投稿しております。ぜひご覧下さい。

そして、この2タイトルは見る順番は個人の選択次第なのですが、その見る順番によって、解釈が少し変わってくる、という作品です。風変わりですよね。

僕は「君僕」→「僕君」の順番で見た人間ですので、当然、「僕君」→「君僕」の順番で見た人と僅かに解釈がズレるのだと思います。ですので、その辺は悪しからず。

では、前置きはこれくらいにして、「僕君」のレビューに移りましょう!

【微ネタバレ】直後の率直な感想

まずこの記事のタイトルにもある通り、「秀作」で間違いないと思います!

秀作という言葉選びは意図的です。

日本語として厳密にどうか、というのはさておき、
僕は、「名作(殿堂入り)>傑作>秀作>佳作>力作」の順に評価が高いものだと考えています。あくまで感覚的な話ですよ。人によっては、佳作の方が秀作よりうえかもしれません。

ということは、

この映画は名作、傑作には1歩及ばない、「秀作」であった、というのが僕の素直な感想です。

では、何が1歩及ばない部分だったのかというネガティブポイント、逆に秀作だと感じるポジティブポイント、はどこにあるのか。

そんなのを軸にお話できればと思います。

でもまずその前に、

この物語の流れを、記憶している範囲でお話してしまいたいと思います。なお「君僕」を見た前提で記述しますので、

・「君僕」「僕君」ともに未視聴の方

・「僕君」は見たけど「君僕」は未視聴の方

は以下の記事を見ることをオススメしません。

ぜひ自分の目で耳で、十分に味わってから帰ってきていただけると幸いです。


では、物語の流れに参りましょ


※便宜上、作中で用いられていない用語で物語を整理している部分が多くあります。ご容赦ください

※こちらも便宜上、物語を9つのエピソードに分けてお話しますが、こちらも僕が勝手につけたタイトルです。お見知り置きを

物語の流れ


0.「君僕」の終着点、もしくは「僕君」の始発点

物語はなんとB世界線からスタートします。

すみません。B世界線、というのは「君僕」レビュー時に、僕が便宜的に名付けた、主人公「暦(こよみ)」が生きる世界線の1つことです。

世界線のひとつ。

この物語の世界観の根幹は、「平行世界パラレルワールド」にあります。では、「君僕」の復習も兼ねて、作中の世界観をざっとまとめましょう。

人の選択肢の数だけ、世界線は分岐します。

なお、作中で、世界は「泡」、複数の分岐した世界「泡」が存在する空間を「海」として表現しています。そして、「泡」は浮力によって上へ上へと登っていく、この上向きの流れを時間と捉えています。

しかしときに、「泡」と「泡」の間で、偶発的に「入れ替わり」が生じることがあります。

「入れ替わり」の対象はこの世に存在するありとあらゆるものです。ペンでも、ハサミでも、もちろん、人でも。

ある人が、別世界線のその人と「入れ替わり」を起こすことを「パラレルシフト」と呼んでいます。
もちろん、入れ替わった人は、入れ替わる前の世界線の記憶を引き継いでパラレルシフトする訳ですから、

移動先の世界では、元の世界の事情との差異の分だけ、「記憶違い」や「勘違い」のような現象が起きます。

たとえば、移動前の世界では「ハサミを戸棚にしまった」として、移動後の世界では「ハサミを机に出しっぱにした」とすれば、この二つの世界をパラレルシフトすることで、

「あれ?ハサミしまったはずなのに、机の上に出しっぱだ、変だな」

となるわけです。

でも、ちょっと待ってください。こういう些細な記憶違いって、リアルの世界の僕らにもありますよね?

そう。このアニメ映画の世界観の面白いところは、こうした僕らが直感的に理解出来る、「日常の記憶違い、勘違い」を、偶発的なパラレルシフトが原因である、と説明してるところです。

めちゃくちゃおもろしいですよね。

そして、この暦たちが生きる世界では、平行世界の存在が明らかになっていて、

世界観の移動を意図的に起こすにはどうするか、移動先を操作できるようにするためにはどうするか、について科学者たちが躍起になっているわけです。

その科学者たちが所属する学問分野が「虚質科学」と呼ばれるものです。

この「虚質」というのが物語のキーワードでもあり、もっとも理解に苦しむ概念です。

2作を見終えた僕も正直に言うと100パーセントは理解できていません。ただ、一先ず、

目に見える物質以外は、「虚質」!


この理解で十分でしょう。人の身体の周りを覆う空間も、人の魂も、目には見えませんよね。これが「虚質」というもので構成されている。こういうことです。

どういうことです?ってなりますよね。そう思って当然です。この「虚質」という概念がこの作品のズルいところだと思ってます。要は、都合の悪いところはすべて「虚質」で説明してしまおう、という「誤魔化し」が感じられるわけです。

まあでもそこを気にしていては話が進みませんから、

目に見える物質以外は「虚質」!


こんなまるで受験生の暗記みたいな強引な理解で留めておきましょう。

さて、「虚質科学」を発展させている機関こそ、「虚質科学研究所」。暦のお父さん(以下、「暦パパ」)は虚質科学研究所に所属する、この分野の第一人者です。

(ちなみにもう1人のメインキャラクター、佐藤栞(以下、「栞」)のお母さんが研究所の所長ですが、まあそれは置いておきましょう。)


では、復習はこのくらいにして、話を戻して行きましょうか。

物語は何と、B世界線からスタートします(実は正確にはB世界線ではないのですが、まあ今はB世界線としておきましょう)。

そしてなんと。「君僕」のラストシーンでもあります。
つまり、暦が時間移動を成功させて、A世界線から下降して、B世界線へと移行し、幼少期から成長して、おじいちゃんになった時点です。
B世界線の暦だから、B暦としましょう。

B暦は朝を迎えて目が覚めたようです。
「まだ生きていたか」と独りごち、老体をゆっくりと起こします。傍には、和音の姿。そうB世界線は、暦と和音が結ばれた世界でしたね。

ここからの流れは「君僕」と一緒ですから、細かな描写は置いておいて、描写が異なる部分に触れておきましょう。

午前10時に昭和通りという交差点にて待ち合わせ


という誰が書き込んだかも分からない通知が腕時計型のウェアラブル端末(IPと呼ばれていますね)に記録されていたB暦。

気になるものの、全く心当たりがないわけです。

同居(あるいは帰省?)している孫のアイちゃんは、その様子を見て、

「平行世界の暦おじいちゃんが書き込んだか、暦おじいちゃんがボケちゃったか、どっちかだね」

と生意気に言います。

和音はアイちゃんを窘めますが、暦は別の部分が気になったご様子。

「今では小学生でも平行世界って言葉を知ってるんだな」

そう。B世界では虚質科学もだいぶ発展して、平行世界の概念はもはや小学校低学年でも教えられる世界なわけです。

「行ってみたらいいじゃない」

どうしたものか悶々としている暦に、後押しするように声をかける和音。


そして、青色のガーデニング用の帽子を被った老人は、昭和通りへと赴くのでした。

そこで、栞の幻覚(あるいは、A世界線の記憶の断片が見せる虚質?)を交差点の例の位置で見つけるB暦(もう慣れたでしょうから、以下は「暦」とします)。手を差し伸べますが、その像は消えてしまいます。


慌てて歩道に戻る暦。IP端末を見ると「ERROR」の文字が。


「まさか、パラレルシフトか―?」


「君僕」と若干違うシーンになっていましたので、戸惑いますが、ちゃんと後でこのシーンに帰ってきて納得できるラストへと結びつきます。もう暫くお待ちを。


1.暦と和音が出会うまで


そして、物語はB世界線の最初の方、

暦が人生で最初に重大な決断をした時点に戻ります。

つまり、離婚した暦パパと暦のお母さん「以下、「暦ママ」」、どっちについて行くかという選択で、暦ママを選択した時点です。

ということは、彼の苗字は日高ではありません。高崎暦になります。

なので、暦ママの実家で暦は成長するわけですね。とすると…?

そう。分かりますよね。おじいちゃんが死んで、ユノ(実家の犬でしたね)が生き残る世界線です。

「君僕」と同様、

1度だけ、暦はA世界線に飛びます。そして研究所にて栞に出会い、研究所から実家に帰った(A世界線では厳密に言うと久しぶりに訪ねた)のち、おじいちゃんの部屋で夜を過ごすわけです。


このおじいちゃんと過ごす夜のシーンでも「君僕」にはなかった描写があったので、そこにクローズアップして記述しましょう。

A世界線に飛んだB暦は、おじいちゃんが生きている状態が不思議でなりませんが、
後味の悪い別れ方をしたおじいちゃんと再び出会えたことで、伝えられなかった思いを吐露します。「おじいちゃんと喧嘩したまんまだ」と。

もちろんA世界線のおじいちゃんはピンと来ませんが、久しぶりに一緒に寝たいと言って、涙目の暦に、ただならぬ事情があることを察したのでしょう。色々なことを言って聞かせます。

―暦は、自分が悲しむのと、周りが悲しむのはどっちが悲しい?

暦は自分が悲しむのは嫌だと返します。

―自分が悲しむのは、誰しも嫌だ。だからときに人は、自分が傷つきたくないあまりに、他人を傷つけてしまうことがある。
そして、傷つけてしまったあとに、「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」と後悔をする。
後悔をしても1度起きてしまったことを、無かったことにはできない。その悲しみはとても辛いものだ。
おじいちゃんは、暦にそんな思いをして欲しくないから、ときには叱ることもある。でもそれは、暦が大好きだからそうするのであって、暦が嫌いなわけではないよ。

※このとおりおじいちゃんが言っていた訳ではありませんが、要はこんなことを言っていた、ということです。

暦は、憑き物が取れたように、素直にこう言います。「僕もおじいちゃんが好きだよ」と。

その後、おじいちゃんは暦に、可能性の話をして聞かせますが、このときの暦には複雑でよく理解できなかったようです。

でも面白いのが、この「可能性」の哲学を

おじいちゃんがしている、

という点です。

覚えているでしょうか?「君僕」では、栞がパラレルシフトから帰ってきた暦に「可能性」の哲学を説いていました。

生と死の決定的な違いは、可能性の有無なんだと。この可能性の有無の差が、温度の差なんだ、と。

あえて人物を変えてでも2作品ともにこの話題を出したのは、作者の大切にしている死生観だから、なのではないでしょうか。とまあ、そんな気がします。興味深いですよね。

さて、おじいちゃんが言った、

他人が悲しむことの辛さ。それを感じられるからこそ、人を思うことができる。

というメッセージ。これは本作品全体に通底したテーマとも言えるでしょう。おいおいお話ししますね。


さて、おじいちゃんと一緒に寝た次の朝は?

そう。B世界線に戻ってくるんでしたね。お母さんと寝ているわけです。「君僕」で難解に感じたパラレルシフトも、ここまで来れば慣れたもんですね笑

そうして、A世界線の暦のせいで(&栞のせいで)、意図せぬパラレルシフトを経験し、無事もとの世界線に帰還した暦。

そして、暦ママとおばあちゃんとともに遺品整理を手伝うさなか、「君僕」と同様、おじいちゃんの最後のメッセージとともに、没収されたエアガンを発見します。「暦へ 銃を生き物に向けてはいけないよ 祖父より」

死んでしまったおじいちゃん、生きていたおじいちゃん、そして、やっぱり死んでしまっていたおじいちゃん。別々の3人と捉えていたおじいちゃんが、暦の中で、一人の「孫を心から愛していたおじいちゃん」として重なります。そして同時に、おじいちゃんは死んでしまった、という事実を受け止めることになります。

切ないですが、とても印象深い良いシーンですね。


こうして暦は、暦ママのもとで成長し、中学生になります。
頭の良さは暦パパ譲りらしく、学業面は全く問題がないご様子。

しかし、飛びぬけた秀才は、同時に孤独を経験することになります。これは世の常ですよね…。

中学時代、一人も友達と呼べる存在に出会えなかった暦。高校こそは、友達をゲットして見せると意気込みます。

【補足】
※「君僕」レビュー時に、確証がないものの考察した部分で、「A世界線とB世界線で、意図的に作画が変わっているのではないか?」というものがありました。それはどうやら半分正解半分誤りのようです。
正確には、暦のキャラクターデザインが全然違ったのです。ほかの人物にそれほど違いは見受けられませんでした。A世界線、つまり、暦パパに付いていった方の暦の方が、少し大人らしく、B世界線の暦の方が、少し子どもの面影が残る可愛い見た目をしています。こういう細かい描き分けが堪らないですね!Good!

2.世界「85」から来た和音?


しかし、現実はそれほど甘くはありませんでした。

成績優秀であったのもあって、地域の有数の進学校に首席で入学した暦。

【補足】
「君僕」と違いB世界線の暦は主席になれなかったものだと思っていましたが、ここも考察が外れました。
成績優秀であるがゆえに悪目立ちし、孤立した中学時代を反省して、高校では目立たずにスタートしようと考えた暦は、入学式の生徒総代を早々に辞退したのです。だから、B世界線では次席の瀧川和音(以下、「和音」)が生徒総代をやってるわけです。
要は、暦はA世界線だろうがB世界線だろうが、頭一つ抜けた秀才なんですね。

クラス分けも成績順で割り振られたために、クラスメートたちは皆、友達作りよりも勉強に取り組みます。お互いを探り合いつつも、干渉はしない。孫んなお世辞にも楽しいとは言えないクラスの雰囲気が醸成されていました。

友達作りをあきらめた暦。しかし、転機は突然に訪れます。

ある日家に帰ろうと教室を出たところで、和音に呼び止められたのです。


そう!「君僕」の挿入歌ガンガン流れていたあのシーンですよ!!!(大興奮)

この部分に関する「君僕」のレビュー記事での考察は見事的中しました。

やはり、「君僕」で説明が省かれたこのシーンは、「僕君」でしっかり回収され、補完がされたわけです。しびれますね。この構成のマジックは。

では、「君僕」では声なしだったこのシーンには、どんなストーリーがあったのでしょうか。順に見てみましょう。


和音は突然「暦」と話しかけます。当然、暦からすれば赤の他人も同然。戸惑います。

しかし和音は、まるで暦がとても親密な仲であるかのように、そして、この直前に暦と喧嘩していたかのように、暦に話しかけます。

暦からすれば、「ウワア、コノヒト、ヘンジンサンヤァ…」と引き気味。さすがに和音も冷静になり、ふと腕時計を見つめます。

そこですべてを察したように押し黙る和音。そして何事もなかったように立ち去ります。暦、動揺。

しかし、暦が下駄箱に来たところで、また和音に合流します。そして「話があるから付いてこい」という和音。

そして和音に付いて暦がやってきたのが。なんと。ジョイサウンド(笑)

A世界線と、時点と場面が違うのに、妙な一致が起こるのが粋な演出ですよね。そう。A世界線でも暦と和音はジョイサウンドに来ています。目的は和音の研究所の出所祝いでしたが。

カラオケボックスの個室で、和音は、暦に対して不審な態度をとったわけを話します。

いわく、今目の前にいる和音は、この世界から数えて85番目の世界からやってきた和音である(以下、「85和音」としましょう)。85和音は、85番目の世界での暦(「85暦」かな)と恋人なのだそう。

80和音は気づかぬうちにパラレルシフトを起こし、B世界線の暦に話しかけた。だからこそ、あれだけ馴れ馴れしく暦に接近してしまった。というわけです。

85和音(B世界線の和音もそうですが、)の両親は虚質科学研究所の所員であり、和音はいわば「関係者」なので、パラレルシフトに関する実験に関与しています。その一環として、元の世界を0として、いくつ隣の世界にシフトしたのかを数値化できる端末を携帯させられていました。
そう。85和音が見た腕時計は、腕時計としての機能以外に、パラレルシフトした世界と元の世界を図る機能が搭載されていたんです。

B暦と会話がかみ合わないと感じた80和音が、ふとこの端末を見たときに、文字盤には「85」と表示されていた。だから、85和音は自分がパラレルシフトをしたことに気が付いたわけです。

この事情を一般人であればなかなか呑み込めないでしょう。ただ、相手は暦。別居状態とは言え、虚質科学の第一人者である暦パパの一人息子です。

当然、並行世界の研究も、端末のことも、そこいらの高校生よりは熟知していました。納得した暦。

ただ、一つ不思議なのは、85も距離が離れた世界線なのに、85和音としては、暦が恋人であるかないか以外に、大きな世界の違いを感じなかったとのこと。
もう一度、この作品の設定を振りかえりましょう。世界線が近ければ近いほど、事情が似通った世界線になっている、でしたね。85も離れているということは、それなりに事情も異なる世界線のはずです。それでも、85和音は何の躊躇いもなく、B暦に話しかけた。妙な話です。

しかし、さすがは科学者を親に持つ二人。「不思議だねー?」「ねー?」で解決しません(笑)

お互いにいろいろと考察を繰り広げます。

和音が言うには、85という数値は、あくまで世界が分岐した数を表している。もし、分岐した二つの世界が、分岐後に一度距離をとったのち、再び接近したとしたら、数値上は遠くても、事情が近しい2世界線が存在すると考えられる。ふむ。なるほど。

では、一度離れたB世界線と、85番目の世界線を再接近させた原因は何だろう、と話を繋げます。

ここで暦が、B暦と85和音が出会うために2世界線が近づいたのでは、といいますが、言ってから恥ずかしくなります(笑)

85和音は、85暦に気があるのであって、B暦には何ら好意を抱いていないわけです。それなのに、85和音と自分につながりがあるような言い方をしたのは、さすがによろしくなかっただろうと。

85和音はその後、離席して、今後は何事もなかったかのようにお互いの高校生活を送ろうと言います。
またある日突然に85和音が85番目の世界に帰ってしまえば、B和音はB世界線に帰ってくるわけです。そのタイミングは分かりませんが、ともかく、二人の関係は、B世界線の事情を尊重しよう、というわけです。

しかし。暦も年頃の男の子。ほかの世界線から、ほかの世界線の自分を溺愛している可愛い女の子が来たら、そりゃあもう意識してしまうわけですムフフ

あと、純粋に友達が欲しい、という感情もあるでしょうね。

今日会う和音は、85番目の世界から来た和音か、B世界線の和音か、悶々としながらも、話しかけられない日々が続きます。


しかし、ある日思い切って、和音を再びカラオケに誘いだす暦。お、結構大胆ですね。

やってきた和音は、警戒心マックスのご様子。暦は瞬時にB世界線の和音であると理解します。

ということは85和音と入れ替わって、85番目の世界に行ったわけですから、諸々の事情は理解しているはずです。

興味津々で、それでも必死に抑えつつ、暦は和音に、85番目の世界はどうだったかを尋ねます。

もちろん、暦と自分が恋人の関係であったと語る和音。

暦も高ぶる気持ちを必死に抑えたんでしょうね。

「僕らも、友達から始めてみない?」と和音に言います。

しばしの沈黙。

ソファの端に座っていた和音は、途端、床に倒れこんでしまいます。

そして…。

和音は突然笑いだします。「まさかここまでやって、『友達』って…フフフ、ハハハッ」

何のことやらさっぱりの暦。もちろん、僕のわけが分かりません。どういうことだってばよ。

しかし次の瞬間。すべての種が明かされます。

和音は、右腕の端末を暦に見せます。文字盤には「85」の文字が。

と思いきや。その「85」の文字が和音によってぺりぺりとはがされていきます。文字盤に似せた、シールだったんです!ええええっ!

そして現れた真の表示は、「0」。ということは。

和音は、最初からこの瞬間まで、B世界線の和音その人だった、ということです。85番目の世界の和音は、B和音が作り上げた大嘘だったんです。

いや、どんな名演技だよ、和音さん。そんで、なんでこんな手の込んだ嘘をついたんや…?

和音は白状します。いわく、「暦に仕返しがしたかった」のだと。

首席で入学したくせに、生徒総代を早々に辞退して、次席である私に任を委ねるなんて、とんでもない屈辱だ、と。

ふつうそんなことでここまでするかよ…。ここばかりは暦と同じ感想を抱きました(笑)

しかし忘れてはいけない。相手は瀧川和音。A世界線でも暦にめちゃくちゃ対抗意識を燃やしていた、超が付くほどプライドの高い女ですから。それくらい予想外のことはやってくるでしょう(笑)

肩透かしを食らった暦。思わぬ展開に、情緒がぐらぐらになりながらも、和音に告白をします。「付き合わないか?」と。

和音も和音なら、暦も暦だな(苦笑)

これに対し和音はあっさりと断ります。私の暦は、もっと頼もしくて大人であると。80番目の世界の和音ではないことを白状したあとでも、なおそんなことを言う和音はなかなか意地悪です。

そして、和音は初めてカラオケ屋に来た時と同じように、帰り際、もうお互い話かけることはないだろう、と言って立ち去ります。

暦、15(16?)の初夏。はじめてにして衝撃の告白は、大失敗に終わります。何だこりゃ(笑)

【補足】
しかし、このシーンを見た時点で感じ始め、映画を見終えた後に確信に変わったことがあります。
このとき和音がこれだけ大掛かりな嘘で暦をだましたのは、本当に「暦に仕返しがしたかった」から、だけなんでしょうか。
そんなわけありませんよね。これ以上言うのは野暮というものでしょう。それにしたって、瀧川和音。めちゃくちゃ面倒くさく、計算高い子ですが、同時にめちゃくちゃかわいいキャラクターですよね。フフフ

3.家族になろうよ


※ここからは「君僕」でも描写されていたシーンになります。部分的に解釈があっていたシーンから、点で勘違いをしていたシーンまで様々ですが、順々に見ていきましょう。

さて、完全に和音にしてやられた暦は、また以前までと同じ退屈な高校生活を送ることになります。

しかし、そんな日々を打ち破るのは、またしても和音でした。

「和音から距離を置こうといったんじゃないか」と不満げな暦。

しかし、そんなか彼には耳も貸さず、和音は返却された数学のテストを暦に見せます。点数は95点。どうやら1問ミスしているようです。

「なんであなただけこのひっかけ問題に引っかからなかったの?」と和音。

どうやら暦は満点だったようですね。和音は不正解の問題の解説をしてもらおうと先生の所にでも行ったのでしょう。そこで暦が唯一の正解者であったことを聞きつけたわけです。

「ひっかけじゃないよ。まだ習ってない範囲ってだけで」と暦。

いますよね~。満点を阻止するために範囲外から定期テストの問題作る先生。大概、嫌われてました(笑)

問題を解説してあげる暦。

クラスメイトはこの様子に興味津々です。なんていったって、成績優秀者クラスのツートップが、勉強会を開いているわけですからね。

彼らに関心を持ったクラスメイトたちによって、勉強会の輪はどんどん膨らんでいきます。

勉強会をきっかけに、暦たちのクラスは賑わいを見せるようになります。お互いを探り合うようにしていた陰険な雰囲気は、いつしかなくなっていました。

結局、暦が望んでいた学生生活は図らずも実現されたわけですね。

こうして高校生活が充実していく中、暦はまだあきらめていませんでした。そう。和音に告白してOKをもらうことです。

もう、完全に彼女の術中にはまってしまっているわけですこの男(笑)

帰り道や、カラオケ店、場所を変え時間を変え、暦の告白は続きます。しかし、どの告白に対しても、返事は「いや」。か、和音さんも難しいお人だ。

そうした連敗記録が更新されていく様子を、クラスメートの女の子がノートにメモしているご様子。K vs. K。暦対和音、ってことですね。ハートマークが並べられて、暦の告白が失敗するたびに♡に✕がかけられていきます(笑)

※「君僕」では和音がこの連敗の様子を記録しているものと思っていましたから、てっきり和音が暦に告白しているものと思っていました。なんと、「暦→和音」だったんですね。意外でした。


その後、暦と和音は、同じ大学に進学し、虚質科学に関する研究に明け暮れる毎日を送ることになります。
このB世界線の暦に、A暦ほど虚質科学に対する執着心はないと思われます。でも、暦には別の目的がありますよね。もちろん、和音の存在です。ああもちろん、二人とも親が同じ道の科学者ですから、その道に進むしかないとお互い考えていたから、というのもあるでしょうがね。

そしてある日、暦と和音が、大学の研究室で夜までお互いのパソコンに向かって、研究をしているさなかのこと。

※「君僕」ではこのシーンを研究所のシーンと勘違いしていました。大学の研究室だったんですね。

そして、和音が驚くべき一言を暦に告げます。

「ねえ、付き合ってくれる?」

状況が呑み込めない暦「ああ、どこに?」なんて頓珍漢な返答をします。まあでもそう思ってもしょうがないくらいフラれてますからね。

しばしの沈黙。暦は和音の真意を理解します!

次の瞬間
暦のパソコンに「予期せぬエラーが発生しました」のポップアップ画面が。これ、作中でも結構好きなシーンです。

その後、暦と和音はさらに仲を深めていきます。そして、二人は晴て虚質科学の総本山、「虚質科学研究所」に入所します。

恋人になってからも、ライバル関係は維持されている(というか、和音が一方的に対抗心を燃やしている、というのが正確か)二人。所かまわず研究に明け暮れます。

電車で帰る途中に、なにか研究にかかわる重大な気付きを得たらしい暦が、メモを残しておこうにも書く紙がない中、自分のYシャツの袖に計算式を書き始めます。もうガリレオじゃんか(笑)

そして電車を降りて走って帰宅する暦と和音。よく見たら和音のシャツの背中にも数式がびっしり。暦、それはあかん(笑)
電車内はさぞ異様な空気が流れていたことでしょうね。

暦の家の帰宅し、和音も当然のように上がり込んでいます。もうそこまで関係が深まっているわけですねムフフ

畳部屋で大スクリーンのパソコンに向かって、先ほど書き出した数式を照らし合わせる二人。

和音のシャツの背中に数式書いてしまったので、
和音は上半身は下着一枚です。暦の前だからとはいえ、これはなかなかなんとも(笑)

二人にお茶を届けた暦ママも、この光景には言葉がないようです(笑)

翌朝、ホームで行きの電車を待つ二人。暦は眠そうに目をしばしばさせてコーヒーをすすります。

和音に昨晩数式で汚してしまったシャツをクリーニングするか弁償するか尋ねます。それに対し和音は、別にいい、と。和音としては、ね。補完したいですよね。

そして間をおいて暦がある発見をします。「あ、髪!」この時点でようやく、和音のヘアスタイルがショートボブになっていることに気が付きます。

B世界線の暦も、なかなかにデリカシーがありません(笑)

そして時は流れ。虚質科学は急速に発展し、自身の存在している世界がどこなのかを簡単に確認することができるウェアラブル端末(通称、「IP端末」)が、実用化に向けて、一般人の手首にも着用されるようになりました。

しかし、このIP端末によって、思わぬ弊害も生まれました。

暦が和音に思い切って求婚をしたシーン。和音はもちろん了承しますが、この了承した和音は、パラレルシフトを起こして別の世界線からやってきた和音だったんです。別の世界線とは言っても、かなり近い世界線との入れ替わりだったようで、和音は気が付いていません。暦も、和音のIP端末の数字の変動を見て初めて気が付いたくらいの、ほんのわずかな時間の、ほんの些細な入れ替わりです。

しかし、暦からすれば複雑です。暦が求婚した和音は、厳密には和音ではないわけですから。

こんな調子で、IP端末を実用することで、
自分が向かい合ってる「相手」が先刻までの相手なのか、常に気にするようになってしまいます。案外、やりにくそうな世界ですね。

しかし、平行世界を利用することで科学的にはかなり恩恵があるようで、

並行して膨大に世界が存在することで、世界全体がひとつの量子コンピュータのようになったようで、それまでできなかったような研究が可能になったようです。

要はいままではコンピュータ上でしか想定できなかった事情が、実際に世界で起きている事として観測できるようになった、ってことですよね、たぶん。それはものすごい恩恵でしょう。

ですが、個人レベルでは果たして幸せな世界かと言うとちょっと疑わしいですよね。


さて、こんな世界で、暦と和音はとうとう結婚します。おめでとう…。やっと結ばれたんだね(親目線)

式場に向かう2人は、事前に約束でもしてたんでしょうか、IP端末を控え室に置いていきます。

IPの情報に囚われて、人生に1度きりの2人の結婚式に水を差したくはありませんからね。

「君僕」レビューの記事でも言いましたが、このときの和音の幸せそうなウェディングドレス姿と言ったらもう、至高でしたね。


そしてまた年月は流れ。2人には一人息子ができていました。名前はキョウガ(表記は不明です)。和音はキョウと呼んで溺愛してますね。

4.転機(B世界線の分岐!)


比較的平和に進行していくこのB世界線。しかし、起承転結でいうところの転が、ここに来て訪れます。なかなかに鬱展開ですので注意。


ある日、暦たちが暮らす家(もう実家も離れてるんですね)の出来事。

暦がキョウガのいる部屋に向かうと、そこにはお絵描きをするキョウガと、それを見守る和音。すっかり息子が大好きなお母さんの顔になってます笑

キョウガは暦と自分だけが知っている、「お気に入りの場所」を書いている様子。和音はどこか知りたい様子です。

そんな2人にそろそろ出かけようと声をかける暦。どうやら家族でお出かけのようですね。

お絵描きを続けたいキョウガ。

そんなキョウガを見た和音は言います。

「今日だけは、クレヨン出しっぱなしでも良いよ。帰ってきたらまた直ぐに描けるようにね」

「片付けしなくていいの?!」と嬉しそうなキョウガ。よく躾られたいい子ですね。

「クレヨン踏まないようにね」と優しく声をかける和音。

この後起こる悲劇など、この時点では全く気がつく訳もなく。


三人が出かけた先は、科学博覧会(?)。巨大ロボットが行進したり、プロジェクションマッピングが投影されたり、様々なイベントがある様子。

家族連れがたくさん来ているようで、一帯は大盛り上がりです。

暦は、和音とキョウガと別れて、屋台で食べ物を調達に行きます。

屋台は長蛇の列。暦は和音に電話を掛けます。「あと5分、いや10分かかるかも」

ようやく食事をゲットした暦。二人のいるところに戻ろうと歩いているところ、悲劇は起こります。

場所は博覧会が開催されている公園の中央、小高い丘になっている地点。

意味の分からない奇声を上げた男が、ナイフを振り回しているのです。もうこの時点で「嫌な予感100%」です。

暦は、その男のすぐそばに和音たちがいることを悟ります。

周囲が混乱の渦でしっちゃかめっちゃかになっている中、暦は和音を見つけます。そして、少し離れたところにはキョウガが。

刃物を振りまわす男は、あろうことかキョウガの方へ近づいていきます。

暦は、男に追走し、決死の覚悟で男に体当たりします。

男は体勢を崩し、暦に取り押さえられる形になりますが、すぐに暦を跳ねのけて再び駆け出します。この時、暦の手をナイフが切り裂きます。

次の瞬間。キョウガを呼ぶ和音。しかしその足は恐怖ですくんで動きません。事態を理解できないキョウガ。

男は、キョウガと正面衝突します。倒れこむキョウガ。

そして。

倒れこんだキョウガの首からは、赤赤とした液体があふれ出します。


次の瞬間。


シーンは、暦たちの家に。ただ事ではなかったはずのキョウガが、ベッドでぐっすり眠っています。
その様子を見つめる暦と和音。暦の手の平にはケガの痕があるようですが、大ごとではないようです。

「何事もなくてよかったわ」と和音。おや、これは何かおかしいですね。

もう「君僕」で鍛えられた僕は察しが良くなっています。これは、パラレルシフトが起こっていますね。つまり、キョウガが死ななかった世界線です。

この世界線の名前を定義するのは、もう少し待ちましょう(あとで説明します)

翌日。暦は研究所が慌ただしいことに気が付きます。

無許可で「オプショナル・シフト」を起こした人間がいる。

オプショナル・シフト、というのは、任意の世界線の、任意の場所にパラレルシフトをすることです。

この時点で研究所では、オプショナル・シフトが技術的に可能になっています。しかし、いまだ未知数な部分も多く、実施するには複数の手続きを踏む必要があるようです。

それにもかかわらず、勝手にオプショナル・シフトをした形跡がある。研究所の所員たちは大騒ぎです。

その様子を見た暦は、なにかを察した様子で、上司(とはいっても暦パパですが)に早退することを告げます。

帰路についた暦。自宅には和音もキョウガもいません。
自宅のいたるところに付けられた監視カメラのログを確認すると、和音がキョウガを連れてどこかへ車で出かけた様子が記録されていました。

二人がどこへ行ったかについても、なんとなく検討が付く暦。そのまま出かけていきます。

そしてやってきたのは、工場地帯が広がる海岸線。その波止場の一画に、和音とキョウガはいました。
和音は、キョウガに絵を描かせているのです。そう、あの日、キョウガが描き切れなかったあの絵です。

「君は、違う世界から来たんだね」暦は和音に問います。

そう。オプショナル・シフトを起こしたのは、他でもない和音だったのです。しかも、B世界線の和音です。
キョウガが死んだ夜を境に、B世界線から、別の世界線に舞台が移っていたんです。「君僕」でだいぶ鍛えられたのか、今回は見ながら理解できました(笑)

なので、このキョウガが無事生きている世界線に名前を付けなければいけません。ここは敢えて、B0(ビー・ゼロ)世界線としましょう。

暦は、B和音に、キョウガを引き渡すように言います。しかしそれを断固として拒絶するB和音。

B和音は、自分がキョウガを救えなかったことを心の底から悔やみ、自分を呪っていました。そして、せめてキョウガが生きていた証を求めて、B0世界線にオプショナル・シフトしたのでした。

キョウガに絵を描かせていた理由ですが、

B世界線のキョウガは絵を描き切ることなく死んでしまったので、B和音はとうとう絵の続きを知ることはできませんでした。だから、B和音は、絵の完成を見たかったのです。世界線を移動してでも。暦とキョウガのお気に入りの場所を描いた絵だったから。

B和音は、きっとB暦は自分を許さないだろう、とも言います。その顔はひどく疲れ切っていました。
そんな和音に、暦は優しく声をかけます。「そっちの世界の暦は責めたりしない」と。別人ではあるけれど、どこまで行っても自分は自分だから、良く分かる、と。

和音が取り乱した拍子に散乱したクレヨンを、キョウガに拾うように言う暦。「クレヨン、踏まないようにな」と声をかける暦。この言葉、B0 世界では暦が言うんですね。

キョウガはB和音に、「あなたは誰?」と問います。子どもは目敏いんですね。姿かたちは同一であるはずの和音を、本当の自分の母親ではないと分かっていたのです。

自分が愛した息子は、もう世界のどこにもいないことを身をもって理解したB和音。もう見ていられません…。

暦に促されるまま、再び研究所に戻り、2度目のオプショナル・シフトを行います。移動先はもちろん、元いたB世界線です。

と、言いたいところですが、事態はそれほど単純ではありません。
この2度目のオプショナル・シフトでB和音が戻る世界線は、厳密にはB世界線ではないんです。

【補足】
どゆこと?って感じだと思うので、下に簡易的な図を描きました。
「キョウガ死亡」というできごとを機に、世界線はB世界線とB0世界線に分岐しました。その後、B和音はオプショナル・シフト(O.S)を行い、B0和音と入れ替わりました。
しかし、このO.Sのあと、しばらく時間が経過するうちに、B世界線はさらに分岐をしてしまいます(厳密にはB0世界線も分岐をしているでしょうが、話が複雑になるので)。B世界線は、B1、B2、B3 と枝分かれしていきます。
すると、B世界線に強制的にシフトさせられた和音は、B1、B2 、B3に分岐してしまい、もう元の純粋なB0和音は存在しないことになってしまいます。

B0世界線を「0」とすると、B世界線が分岐してしまった時点で、二回目のO.Sは、

単純な「0」⇔「1」間のトレード、ではなく
「0」⇔「1.1 or 1.2 or 1.3」間のトレード、になってしまうのです。


見にくくて申し訳ない(~_~;)

よって、O.Sによって帰ってきた和音は、記憶の誤差こそ少ないですが、
B0世界線を一緒に生きてきたB0和音とは厳密には言えないのです。難しい話ですね。

B和音は帰り際、暦に「ずるい…」と呟きます「なんで、あなたたちは幸せな世界にいるのよ」と。
これは考えさせられてしまいます。だって、誰も悪くないんですもん。

でも、そんな和音にも、わずかながら救いはあります。キョウガが描き上げたイラストを、和音にプレゼントするのです。せめてもの、愛する息子が生きた証。絵を胸にギュッと抱き寄せてB和音は並行世界へ帰っていきました。

話は、B0世界線のまま進行します。
無事O.Sによって帰ってきた和音(もう厳密にはB和音とは言えない存在ですが)を車に乗せて、帰路に付く暦。後部座席にはキョウガもいます。

暦は、この一件でいろいろ考えるところはあったようですが、結論は一つのようです。

どんな世界の和音であっても、自分は愛する、と。まさに「僕が愛したすべての君へ」ですね。

5.暦と和音の壮年期

やはりストーリーは、B0世界のまま進みます。

ちゃんとキョウガも生きている世界線ですから、高崎家は何事もなく平穏無事な生活を送ります。

キョウガにも愛する存在ができ、子どももできます。そう。孫のアイちゃんですね。

そして、さらに時は流れ。

暦は年老いて、余命も残りわずかとなりました。傍らには和音もいます。

ある夜。まどろむ和音は、ある異変に気が付きます。さっきまではなかったはずの便せんが、テーブルにおいてあり、「高崎和音様へ」と書かれているのです。テーブルの引き出しを開けると、確かにそこには便せんを一枚引き抜いた跡が。

さあ、物語最大の伏線回収に移ります!!!

6.和音の覚悟

手紙の主は、O.SによってB0和音と入れ替わった、A和音でした。

そう「君僕」の和音です!結婚もせず、栞の幸せのために半狂乱になっている暦に献身的に尽くした、あの和音です。

手紙の内容は、A世界線の事情に関する説明から始まっていますが、詳しくは「君僕」の通りですので割愛します。

A和音は手紙に続けて記します。

A暦が時間移動で下降し、流れ込む世界線が、B0世界線に決まったこと。B0世界線こそが、A暦と栞が決して出会うことのない、「幸せ」な世界であること。

しかしA暦が、A世界線を後にする前に、ある種の「一縷の希望」を残したこと。つまり、交差点の幽霊になってしまった栞に、B0世界線で再会する約束をしたこと。

自分は、A暦の願いをかなえてやりたいと思っているということ。明日の朝、目を覚ます暦に、交差点へ行くよう促してほしいこと。

こうして、すべてのピースが揃いました。

A暦が下降した世界線は、厳密にはB世界線ではなく、B0世界線だったんです。

そして、B0世界線の暦のIP端末に、交差点の待ち合わせの予定を入れたのは、和音だったのです(これがO.Sによって入れ替わったA和音か、手紙を読んだB0和音か、ですがごめんなさい見落としました(-_-;))

【補足】
そして「君僕」における最大の謎といった「アクアマリンの指輪」ですが、僕の読み通り、ちゃんと劇中で回収されました!やったね!
手紙の追伸に、A和音はこう記しました。
P.S.あなたが付けていたアクアマリンの指輪を真似して作りました。ごめんね
そうです。A和音の言った「お揃い」は、B0世界線の、和音の薬指に光るアクアマリンの指輪を指していたのです。
A和音の、秘めた思いが伝わりますよね。やっぱり暦と結ばれたかったんです。でも自分がその立場にはないことを嫌というほどわかっていた。
せめてこれだけは、と考えたのが、B0世界線の和音の指輪を真似して作って、小指にはめることだったなんて。あまりにも切ない。あまりにも健気じゃありませんか。


7.物語は「君僕」に合流する

翌朝目を覚ました暦は、B0世界線の暦であることには間違いありませんが、和音からすれば、昨晩までとは見方がだいぶ変わりますよね。暦の体には記憶こそないものの、確実にA世界線の暦が流れ込んでるわけですから。

和音は、A和音の意思を尊重して、暦を交差点へ行くように薦めます。このときの和音の心中は、どんなものだったんでしょう。

さぞかし、複雑だったんでしょうね。でも手紙の指示通りに暦を促す和音の姿には、決して迷いがありません。同じ暦を心から愛する和音からのお願いだったからでしょうか。詳しく語られない部分だからこそ、見る側の想像力を掻き立てます。

さあ、ガーデニング帽をかぶった暦が、交差点で狼狽しています。
この映画の冒頭。

IP端末が「ERROR」を表示したあのシーンですね。

【補足】
なぜ、IP端末が「ERROR」表示になったのか。ここは正直いまだに良く分からない部分です。和音が「ERROR」表示にさせた、ということなんでしょうが、なぜそうする必要があったんでしょうか?

暦は結局、待ち合わせの相手には出会えなかったと、あきらめて帰宅しようとしたとき、持病なのかせき込んでしまいます。

そして頓服薬ですかね、薬入れに入ったカプセル錠をといろうとしたところ、手を滑らせてしまい、薬入れを地面に落としてしまいます。

呼吸が浅くなり、意識が朦朧とする中で、ある人の声が聞こえます。

暦と同じくらいの、かわいらしいおばあちゃんでした。薬入れを拾って暦に手渡します。

暦が一言「失礼ですが、お名前は?」

おばあちゃんは一言「名乗るほどの者ではございません

き、きたああああああ!!!!

そう、我々が待ちわびたこのシーンです。栞が無事、おばあちゃんになっていました!!!
良かった!!!(号泣)

「君僕」はここで終了しますが、「僕君」はまだ続きます。

「一度行ってみたかったんですよ、この台詞」という栞。

暦は、記憶の遠くかなたに、目の前のおばあちゃんと重なる像を見ます。が、やはり思い出せません。「私たち、どこかで会いましたかな?」

「失礼ですが、お名前は?」と尋ねる栞。

「高崎暦です」と暦。

しばらく小首を傾げて考える栞。このちょっとした動作に、子ども時代の栞の名残があります。
「申し訳ないけど、とんと記憶にないわ」と栞。

ああ。やっぱり、奇跡は起こりませんでしたね。でも、僕個人としてはこれでいい気がします。お互いがお互いを知らない世界、それこそがA世界線の暦が人生を賭けて求めた理想郷だったんですから。

暦は、これだけは聞かなければいけないという風に、栞に尋ねます。
「今、栞さんは幸せですか?」

栞は一瞬戸惑いながらも、迷わず、これ以上ないくらいの幸せそうな顔で、

「ええ、幸せですよ」

A世界線の日高暦が報われた瞬間でした。

8.暦の「幸せ」

栞と別れ、家に帰ってきた暦。

和音は暦に尋ねます。交差点で誰かに会えたか?と

暦は「誰にも会えなかった」と。続けて「でも幸せな出会いがあった」と言います。

全く面識のない女性だったけれど、その女性は、今が幸せだと言った。それを聞いて、僕もとても幸せな気持ちになったんだと。

自分以外の誰かが、幸せでいることが、今の自分にはとても嬉しいことなんだという暦。

その言葉には、かつて暦がA世界線に迷い込んだときに聞いた、おじいちゃんの言葉が重なって聞こえます。

暦は続けます。

今の自分があるのは、自分が和音以外の誰かを愛したかもしれない世界や、和音が自分以外を愛した世界があるからこそなんだ、と。

だから、すべての自分や和音を愛し、幸せを願いたい、と。それこそが暦の「幸せ」なんだ、と。

シーンは、暦と和音のいる庭から、ゆっくりと上昇して、庭に立つ木の先端にクローズアップします。

木の先端は、いくつもの分岐を繰り返した枝があり、それぞれの先には、今にも芽吹きそうな花のつぼみが。

そして、物語は終わります。


総評

まず、僕は「君僕」の際にした総評を、改めることから始めなくてはいけません。
素直に謝ります。ごめんなさい。これは間違いなく素晴らしい作品でした。

「君僕」の総評はこのように言いました。

ずばり100点満点中、60点!
感動     ★★★☆☆
シーンの構成 ★★☆☆☆
世界観    ★★☆☆☆
作画     ★★☆☆☆
キャラの魅力 ★★★★☆
声優の質   ★★☆☆☆

ですが今回、こう改めましょう。

ずばり、80点であると!

感動     ★★★★☆
シーンの構成 ★★★★★
世界観    ★★★☆☆
作画     ★★☆☆☆
キャラの魅力 ★★★★★
声優の質   ★★★☆☆


ぜひ、パラレルワールドもののアニメ映画の代表作として、皆さんに見てほしい!そう思います。

僕と同じように「君僕」で「うーん、惜しい作品だけどなあ」と高評価するのに難色を示したあなたも。だまされたと思って「僕君」をご覧ください。

この物語は、「君僕」「僕君」の両方を見て初めて完成します。


では、冒頭に言った、なぜ「秀作」であるのか、といったところに話を移しましょう。

「僕君」が「秀作」たるネガティブな理由

①やはり、100分映画2本では語りきれない舞台設定である

結局、「君僕」「僕君」だけでは、虚質科学をちゃんと理解できません。圧倒的に作中の描写が足りないんです。

結果、説明の都合が悪そうな部分(特に時間移動のところ)については、誤魔化したようなササっとした暦やメインキャラたちの解説にすべて委ねられている。

僕のように、世界観をちゃんと知りたい派、の人間にとっては、どうしてもむず痒く思えてしまいます。

②これを言っては元も子もないが…

パラレルワールドが存在する、という設定は、物語として一つきれいに締めくくることができても、あまり後味の良いものではありません。

「僕君」においても、B世界線の和音たち(一人息子を失った世界)は、とてもハッピーエンドとは言えないでしょう。

それを、B0 世界線の暦が、「すべての暦や和音たちの幸せを願おう」って言ったって、
「そりゃ君は比較的幸せな世界を生きてるから、そんなこと言う余裕もあるでしょうよ」と正直毒づいてしまいます(-_-;)

くしくもパラレルワールドというこの作品の中核的な設定が、締めくくりを共感しにくいものにしていると言えます。

③「僕君」の伝えたいメッセージが弱い

②とつながりますが、

この「僕君」のテーマは「他者の幸せを願う=自分の幸せ」だと思うんです。

作品の冒頭、おじいちゃんが暦に「他者が傷つかないことの幸せ」について言って聞かせるシーンから始まり、複数の世界線の存在を感じさせるシーンが多く入り交じり(和音のO.Sや、A世界線との合流)、最後の暦の思う「幸せ」のシーン。間違いなく、この作品に通底するテーマは「他の幸せを願う」です。

ですが、繰り返しにはなりますが、物語のラストで、どこか「比較的うまくいっている世界線の暦が、勝手に自己満足してやがる」と思わせてしまうわけです。

原因は突き詰めればもっとありそうですが、

①暦が主人公として共感しにくい存在である(作中でも「他人の気持ちが分からない人」扱いされている)、

②並行世界という設定が、必ずしもテーマと結びつかない(他の世界線の不幸があってこその、B0世界線の暦の幸せ、という捉え方もできるから)

③物語の最後にメッセージ要素を詰め込み過ぎた(暦の和音に言って聞かせるシーンが、どうも説明くさく感じられる)

という3点が挙げられそうです。

「僕君」が「秀作」たるポジティブな理由


①和音を主人公と捉えたときに、途端に「超泣ける作品」になる

ついつい、モノローグが多い暦が主人公と思われがちですが、
僕はこの作品の真の主人公は「瀧川和音」あるいは「高崎和音」だと思います。

暦は、とにかく感情移入しにくいキャラクターなんですよ。特に「君僕」の暦はね。

それに対して和音は、最初こそ理解しにくいツンデレ少女ですが(あと、「君僕」では単純に和音の心情描写が少なすぎる)、物語が進むにつれて、本当に人間味が強い、健気な、それでいてたくましい、「いいキャラ」であることが分かります。

次見るときは、和音視点に固定して「君僕」「僕君」を見ると、さらに感動が深まるかもしれません。

②2作品をうまく使い分けた、考察の捗る作品

この辺りは「物語の流れ」の中で散々言いましたから、簡単に済ませますが、とにかくめちゃくちゃ頭を使う作品です!

ですが、二作品を見終わった後の、謎がすべて解けた達成感が素晴らしい。

「君僕」だけでは説明がつかない描写は、「僕君」で丁寧に補完されています。もうここはお見事という他ありません。脱帽です。

「君僕」レビューでは、説明不足感が否めない~とか、伏線が回収されてない~、とか偉そうに言いましたが、発言を撤回します。申し訳ない。


最後に

僕個人としては、間違いなくもう一度見たい作品になりました。心に残る作品になることは間違いないでしょう。

異論は認めますが、この作品は僕にとって「和音の物語」です。

皆さんは、この二作品を見て、誰の、どんな部分が、印象に残ったでしょうか。
人によっては、暦の熱意に強く共感したり、栞の健気さに感動したりするかもしれません。

人の数だけ、この作品の「世界」が存在しそうですね。どんな「世界」が存在しているんでしょうか。

そんな風に考えると、ワクワクしてきますね。

では、この辺で筆をおこうと思います。ありがとうございました

ヨタロ


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