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Episode 072 「想い出は幻想・・・の場合もある」
今思い返すと、我々が足繫く放課後に通っていたマクドナルド(Episode 071参照)(併せて、マクドナルドとは逆方向に位置するWest TerraceのHungry Jack’sにも行った)では常に何かキャンペーンが行われている印象があった。
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特に個人的に好きだった(キャンペーン)のは、ドリンクのカップやポテトの箱にシールが貼ってあり、それを剥がすと何か当たる、という類のキャンペーンであった。実際に、非常に高い確率で何かしら(例えば、チーズバーガーなど)が当たっていた。ただでチーズバーガーが食べれるなんて、なんと素晴らしいキャンペーンなのだろうか、と当時常に思っていた。尚、2021年の半ばまでであったが、当時フランスの広告代理店に勤めており、そこでクライアントの一つにマクドナルドがあり、私も担当していた。つまり、(広告代理店なので)キャンぺーンなどを考える側に居た。
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因みに、ステファン(Episode067参照)は例の如く、バンズの裏についたみじん切りの玉ねぎを全て取り除いてからからチーズバーガーを食べていた。その一連の作業は、彼自身にとっても、また周りにいる我々にとっても、あまりにも普通の事となっていた。そう、目の前に水たまりを発見したら、特に考える事もせずにその水たまりを避ける様に。
月曜日から木曜日の放課後は学校の近くのマクドナルドに行くのだが金曜日となると、翌日から週末という事もあり、テンションが上がっているだろうか街の中心部に遊びに行っていた。頻繁に行っていたのはデパートなどの地下にあるフードコートである。フードコートと言っても、たかが知れていた。ケンタッキーなどのファストフードがあり、中華系のテイクアウトのお店がある、くらいの場所であった。
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他には、サブウェイやらピザやら、どう考えてもあまり体に良さそうではない食べ物ばかりであった。他には、チャイナタウン(中華街)にもよく行った。ヌードルやライスの他に野菜炒めや肉を炒めたものなどを自分で好きなだけ盛り付けをできるようなプレートの料理をよく食べていた。
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記憶が定かでないが、(当時、2000年前後)恐らく6~7ドル(日本円で約500~600円程度)であった。当時求めていたのは、兎にも角にも、質より量であった。
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尚、久し振りにアデレードに遊びに行った2018年、何と物価はほぼ倍になっていた(ただ、それから6年経った2024年の今は、更に高騰しているに違いない)。当時(2000年前後)チャイナタウンで食べていたヌードルは、倍の金額になっており、街中のファストフード店では、ランチのセットで何と一人頭20ドルを余裕で超えた。ファストフードで、だ。
また、チャイナタウンの輝きも、失われていた。2000年前後の当時(その場所に対して)感じていた、活気溢れるエネルギーなどが全く無くなっていた。まるで太陽の陽を浴びすぎて色褪せ、紙も波打つ様にガビガビになった雑誌の様に。当時の、ワクワクするチャイナタウンはそこにはなかったのだ。または、自分が大人になったから、なのか。
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2018年
尚、2019年の暮れ、転職のタイミング(つまり、有休消化中だったので時間があった)を機に、久しく行っていなかった(行く必要性も無かった)浦和に行った際、似たような経験をした。
最寄りの駅から小田急線にて新宿まで出て、そこから湘南新宿ラインで浦和駅を目指した。浦和駅西口には(当時私が小学生であった1990年代半ばからそうであった様に)「サッカーの街、浦和」や「頑張れ浦和レッズ」などのメッセージが至る所に見られた。
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西口改札を出ると、目の前にはバスターミナルがあり、複数あるバス停の一つから「大久保浄水場行」のバスに乗り込んだ。尚、このバスターミナルも、小学生当時、みんなで(確か伊勢丹だった)「Jリーグショップ」やら、「レッドボルテージ(浦和レッズのオフィシャルグッズ専門店)」に行った帰り、(バスを待つ間)騒いだ場所だった。
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浦和駅を出発したバスの窓から、久し振り(2019年の時点で、恐らく20年以上振り)の浦和の街の様子を眺め、ノスタルジックな気分になった。バスに揺られる事15分程度だっただろうか、バス停にて降車し、オーストラリアに発つ前(Episode001参照)に住んでいた家に向かった。
バス停からその家までの道のり、周りを良く見渡しながら歩いていたのだが、様々な記憶が押し寄せてきた。その後、当時(1991年~1996年の9月まで)登校していた道なりに、小学校を目指して歩いてみた。
約20年振りに見る小学校は、小さく見えた。また、小学校の場所から、(同じく、当時よく歩いていた道なりに)良く行っていた公園などにも歩いてみたが、(その公園も)悲しくなるほど小さく見えた。もちろん、悲観的になっているわけでは全く無いのだが、目に入る全て(家、道、学校、電柱、駐車場、お店、などなど)が輝きを無くしていた。
当時、小学生だった私の目に映っていた光景は、(少なくとも2019年に訪れた際には)もうそこにはなかった。活気あふれるエネルギーは、全く存在しなかった。その地域全体が色褪せていたのだった。
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想い出とは、或いは、幻想も含まれているのかもしれない。なんて、そう思う今日この頃。