1995年宗教法人法改正の事例から輿論と世論に掛る区別の妥当性の考察
記号文化論 最終レポート(大学に提出したもののコピー)
「世論」やジャーナリズムに関する歴史的事例、もしくは現代的事例を取り上げながら、「輿論/世論」の区分の妥当性について考察しなさい。字数は3000から4000字程度。
1.はじめに
このレポートでは、1995年に施行された、オウム真理教事件に影響を受けた宗教法人法の大幅改正の施行という事例を通して、宗教に対する政策決定に関与する可能性のある「輿論/世論」の区分の妥当性について考察していく。
2.事例の説明、背景、「世論」の役割
まず、この法改正が成立するまでに「輿論/世論」が担ってきた背景について述べる。1995年に発生した宗教法人オウム真理教における連続するテロリズム事件によって宗教法人への不信感とテロリズム団体に認可を与えている当該法律の改正を求める声があがっていた。そこで、宗教法人に対する市民感情が悪化していった。それが契機になったかのように、当時の村山富市内閣は宗教法人法改正の論議を開始し、同年末には改正法案が衆議院、参議院を通過して成立した。
そもそも宗教法人法の目的とは、同法1条1項によれば「宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えること」とされている。日本国憲法においては信教の自由が保障されている。特定の信仰を行う者達が自ら主体となってその儀式的行事を行うため、信者を育成するための施設を備えている、という団体に都道府県知事もしくは文部科学大臣が認証を行うことで法人格が与えられ、宗教法人となる。1995年の法改正では、「収益事業停止命令、認証取消、解散命令の対象となる疑いがある場合、所轄庁は報告を求めたり質問したりできる」といういわゆる「質問権」を定める改正が行われている。これは、憲法で保障された信仰の自由、公益性、公共性をもつ宗教法人が、その性質に反する可能性のある解散命令を受ける可能性がある、という解釈ができる。
法改正のための議論が開始されたことをはじめとして、同年暮れの法案成立までの経緯を考えると、この流れの中には「世論」としての市民的意見が反映されていたと考える。事件の様子は逐一メディアで放映されていて、3月に起こった東京都での大規模テロリズムである地下鉄サリン事件や、事件発生後2日後に行われた山梨県上九一色村の教団本部への一斉捜索がワイドショーなどで放映された。ワイドショーや新聞などに連日掲載されるオウム真理教の事件のニュースによって、それを視聴した市民に宗教法人に対する不安感と不信感が醸成されたと想定される。こういった背景からは、この1995年の大幅な法改正が成立するには「世論」の影響が大きかったことが考察される。
3.妥当性の検討、「輿論」の存在
ここで、当該法の内容について考慮しておきたいのは、信仰の自由を制限する可能性が大いにある「解散請求・解散命令」と、1995年の法改正で新たに定められた「質問権」である。そもそも信仰の自由とは、前述したように日本国憲法第20条において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という文章で保障されている。しかし、「解散命令」とは宗教法人法という法律への違反を根拠とし、「政治上の権力を行使」することで命令されることであると考えることができる。
ここで、当該命令を行使することにおいて、また、その前段階において行使される「質問権」について日本国憲法に抵触しないのかという問題が生じる。後述するが、オウム真理教には1995年6月宗教法人として解散請求が行われ、要求が認められた。しかし同法人は、この命令が日本国憲法で定められる信教の自由を侵害しているとして最高裁判所に即時抗告を行っている。この信教の自由を侵害しないような政策決定を行うべき時、宗教法人に対して「解散」を要求する宗教法人法について、また、その改正による「質問権」について、非常にデリケートな問題をはらんでいる。
こういった議論をすすめるにあたって、「世論」が大きな役割を果たしたことはすでに述べた。では、ここでは一方「輿論」の存在はあったのかという疑問が浮上する。一般的に、憲法などに定められた権利を侵害する可能性が少しでもある法の成立や、その改正については、慎重な議論が求められる。
ここで、すでに広く知られている「輿論/世論」の区分をもう一度思い出してみると、「輿論」とは、public opinionの訳語で、議論を戦わせた末にたどり着く理性的政治的決断のことである。その一方「世論」とは、衆庶の民を含むすべての人間の考えや意見を反映させた結果のものと言うことができ、この点においては「輿論」とは明確に分けられていた。
本題に戻り、1995年の改正のケースに焦点をあてると、この信教の自由に関する「輿論」や議論は存在したのかという疑問点が存在する。
宗教法人法を改正するにあたって新たに定めた内容について、その新たな要素に着目し、妥当性はどこまで検討されるのかという議論はいったいどのように行われてきたのか。
法改正のための国会の議論として政府は、1995年4月に文部大臣の諮問機関である宗教法人審議会(以下、審議会)に宗教法人法の改正問題を検討するように依頼した。この審議会の参加者は、学識経験者が4人、宗教関係者が11人の構成である。この審議過程では、都道府県の宗教関係の事務担当者や学者、日本宗教連盟に加入していない宗教法人から意見聴取も行っていた。この審議は5回、特別委員会は8回開催され、議論を経て、審議会が行った報告はほぼそのまま例文化された。宗教法人法を改正するにあたって、政府は審議会の答申や報告は改正における必須事項ではないとの見解を出していたが、当時の文部大臣は「事柄の性格上審議会に検討を依頼した」といわれる。この際、文部大臣は審議会に「国民の広い関心も配慮され、できる限り幅広く、かつ可能な限り精力的な御審議をいただき、早期に考え方の取りまとめをお願いしたい」と述べたそうである。(小島 1996)
審議会の参加者の少なくない部分が宗教関係者であるなど、議論の余地はあるものの、ここで行われた議論のプロセスは、「広義輿論」に照らしあわせた議論のプロセスといえるのではないだろうか。
もちろん、宗教に関わってくる法制定という分野は一種有識者の少ないデリケートな分野である、ということを考慮したとしても、この手続きに「輿論」が関わっているのは疑いが無い。憲法にある権利の内容を侵害する可能性があるという非常に強力な効力を持つ法を整備するにあたって、「輿論」による成立が必要であると考えるのは妥当性があり、この議論は「輿論」によるはたらきかけが宗教法人法の整備において行われていたということを示している。
4.解散請求における「輿論/世論」の役割
ここで、宗教法人法における解散請求というプロセスに「輿論/世論」が占める役割について考察していく。
2024年現在、確定してはいないが命令が請求された例としては宗教法人世界平和統一家庭連合に対する解散命令請求が記憶に新しい。しかし、1951年に法律が施行されてから、実際に解散命令が確定した例は2件しかない。一件がオウム真理教に対するもので、東京地方検察庁及び東京都が東京地方裁判所に対して請求した解散命令が1995年12月確定し、オウム真理教は宗教法人としての法人格を失った。
「世論」に目を向けてみると、連日メディアを心配なニュースで席巻するオウム真理教には解散命令を発出するべきだという市民の声も聞こえてきていた。確定理由として、「宗教法人の代表役員及びその指示を受けた多数の幹部が、大量殺人を目的として、多数の信徒を動員し、宗教法人所有の土地建物等の物的施設と多額の資金を使い、大規模な化学プラントを建設して、サリンを計画的・組織的に生成したことは、当該宗教法人の行為として、宗教法人法八一条一項一号及び二号前段所定の解散事由に該当する」(1)とされた。
特筆すべきは、同法人は、この解散命令が憲法20条の定める信教の自由を侵害しているとして最高裁判所に特別抗告を行ったが、棄却されているということである。解散命令は憲法違反ではないという判断が下されているという事実からは、「世論」によって求められた解散請求であったとしても、憲法に抵触するものではなかったということが考察される。
「世論」は「輿論」と違う概念で、理性的決断という意味は必ずしも当てはまるものではないが、この解散請求の妥当性においては理性が示されたと言ってよいだろう。
まとめると、この宗教法人法の適用および法改正については「世論」、さらに「輿論」の影響があることを今までに述べた。しかし、オウム真理教に対する一連の宗教法人法の適用事例をみると、「世論」が既に理性的な判断を下せるようになるまで成長していると考えてもよいだろう。そういった考えに立てば、かつて分別されていた「輿論/世論」という区別が意味をなさなくなっていることが分かる。
今後の展開として想像できるのは、インターネットの普及によって理知的な意見へ誰もがアクセスできることで、より理性的で「輿論」的な「世論」が登場することである。しかし実際に「世論」がこういった性質を持つものに変化していくのかは未知数であるので、今後も注視していきたい。
引用文献
(1) https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=20195,裁判所,高等裁判所判例集 平成7(ラ)1331 宗教法人解散命令に対する抗告事件,全文,(閲覧25/01/07)
参考文献
小島和夫. "宗教法人法の一部改正法をめぐる論議." 中央学院大学法学論叢 9.2 (1996): 1-58. https://cgu.repo.nii.ac.jp/record/990/files/038-01.pdf,(閲覧25/01/07)
NKK政治マガジン,ねほりはほり聞いて!政治のことば>質問権(宗教法人法), https://www.nhk.or.jp/politics/kotoba/90649.html, (閲覧25/01/07)
藤原究. "公益法人制度改正と宗教法人." 杏林社会科学研究 36.4 (2021): 131-143. https://www.kyorin-u.ac.jp/univ/faculty/social_science/research/social-science/pdf/2020vol36no4_fujiwara.pdf, (閲覧25/01/07)