【獣人処方箋】Case.13 「そして今日も獣人が湧く:前編」(No.0085)

獣人は自らの人生を捨てた者達です。

幼い頃から捨てられる様に育てられたりもしています。
一人前の様になった今でも、愛や自尊心や正義感は育っておらず、心に有るのは生存の危機感から来る不安や苦痛、苦悩や愛の渇望です。

もちろん獣人はこんな立派な事は考えられません。
あくまで彼らの振る舞いを他者が見た時にわかる事であって、当の本人は全く自分の苦痛、苦悩の根本的理由が見えないのです。

何度も書いているとおり、まさに暗闇の中をさまよい続ける人生です。

自然界でもそうですが、小さいものほど沢山湧いて群がります。

人間の世界でも同様ですね。
裏を返せば、群がり湧くものは全て小さいものと言う事です。

タイムセールで人を押し分けワゴンに群がるのも同じです。

暗闇の人生を生き続けるのですから、獣人は通常の思考も価値観も感性も感覚もありません。

何度も書いてますが「損得」の臭いだけを感じ取ります。

「得だ!」と、嗅ぎ取った瞬間に一斉に群がり、その群がる者たちのケダモノの様な悪臭が、更に獣人たちを呼ぶのです。

一人ひとりの個性も感情も、無いのです。


昔、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」と言った芸人が居ましたが、"みんな" と括られたときは、個人や個性が消え失せます。
これは善の時でも悪の時でも同じです。
この瞬間、何千何万の人々はその集団化した「目的」が人格化します。

ゴミに虫がたかるとき、「ゴミを食べる」という目的が1つの個性となり、たとえ何万いても1つの人格となります。

要は個人と世帯のようなものですね。

そうして、小さいもの一つ一つが集合して群れとなるので、その分集団を構成する個々の事情は希薄になり軽視されるのです。

獣人は群れていても仲間がいるように見えても、決して仲が良いわけでも信頼し合っているわけでもありません。
どんな人間とも仲良くも愛し合う事も出来ない存在です。

その獣人が、まるで「家族」のようになる瞬間が、目的が一致した集合時なのです。

ケダモノらしい欲望だけが一致した獣人の群れが争い貪るとき、彼らは僅かにだけ自分が決して得る事の出来ない仲間や絆めいたものを感じる事が出来るのです。

獣人は「損得」の欲望に取り憑かれた存在ですが、そんな彼らも結局欲して止まないものは愛や安らぎなのです。

しかしその大切な価値を人生でただの一度も手に取ったことも無く、一体どんなものなのかを想像も出来ないのです。
ですから、手に入れる方法もこのように間違え続けるのです。

普通の人よりも飢えた存在が獣人なのです。

もちろん同情は不要ですし、何も与えてはいけません。

こんな彼らも一応は「人間」です。
本当は彼らにも個人や個性や個別の事情があるのです。
でもそれら ”自分自身” と正面を向くことは許されていないのです。

何故ならあまりの汚れたこれまでの人生経験や思考、性根や愚かな知性に向き合う事が、彼らにとって本当に恐ろしいからです。

後編につづく

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