人はいつだって変わって良い 〜もりちゃんから学ぶこと〜
昨日はもりちゃんの話
昨日書いてから気づいた
もりちゃんから学んだことを書いてみる。
1 もりちゃんの今までの仕事
実はもりちゃんは商社をバリバリやっていた。
でも、今般のコロナ騒動でアメリカに行けなくなり、
商社の仕事もなかなか大変だと聞く。
それで始めたのはメシ屋。
旧来の考え方なら
商社でやってきたのだから
その強みを生かしたほうがいいと思うかもしれない。
2 今はメシ屋のオヤジ
でも
もりちゃんはそれを選ばなかった。
タイミングもあり、川内村で商売する上では一等地?のYo-Tashi
飲食スペースが空いた。
すぐ手を挙げたようだ。
これは論理的思考で決めたわけではない。
完全に直感だ。
この感性にまた驚く。
そして5月から今まで2ヶ月弱になるが、
休みなくやっている。
家族の協力があってのこと。
その心意気がまた心揺さぶられる。
本気度が伝わる。
疲れているはずだが
そのそぶりは見せない。
3 生きていければ良い
考えてみれば
生きていければいいのだ。
例えば、上述の通り
もりちゃんは商社だったけど
それに固執する必要はない。
それぞれの人が大切にすることだけを
大切にしていけば良いのかもしれない。
カレーガールも大切なことを大切にしようと
クラファン挑戦中。
生活できるだけの稼ぎがあれば良い。
人生に必要なことはそうたくさんあるわけではない。
もちろん
もりちゃんの場合は飲食もいずれやりたいと思っていた。
だからこそ、チャンスをつかんだわけだ。
やはりアンテナが立っていたからだ。
問いが立てば必ず自分なりの答えにたどり着く。
すぐの時もあれば、10年後の時もあるだろう。
4 人はいつだって変わっていい
今は時代の変わり目だと私は思っている
また
そう思っている人は多い。
旧時代の価値観を振りかざしていれば良い時代ではない。
かといって
新時代の価値観で生きれば、批判にもあう。
では
批判てなんだろうか?
批判する人がNOということであって
万人がNOではない。
詰まる所、一人称の「私」がYESと思うことを選べば良い。
二人称、三人称の「誰か」のいう生き方は
一人称の『私」にとって良いとは必ずしも言えない。
特に今までは世間がいいという生き方が
だいたい
万人にとっていい生き方だった。
「いい」の定義は曖昧だけど、
金が稼げることが一つの大きなものさしだった。
だけど、
それで本当にいいのか?という現実を
散々見せつけられた。
田舎で商売することは難しい。
それは
人が少ないから
そして
お金を使わないから
お金が絶対の価値になると
世の中が
というより
人生が
面白く無くなるように思う。
本気で取り組めば
道は開けるはずだ。
面白い時代でもあるはずだ。
何かはじまる予感もする。
今日もありがとうございました!
この記事が参加している募集
ご縁に感謝です。サポート頂いたら、今後の学習投資に使わせて頂きます。