村の生き残り。
東北大震災で、世界的に有名になった福島県のとある村の生き残りというか
震災やコロナでここ10数年会えていない村の近所の人から、お母さんと縁のあるひとたち、母方の親族、父方の親族とほぼ10年あえていませんでした。
それぞれに避難して、いろんな地区で暮らし、過ごし、亡くなった親族も友達もいる中で、村には葬儀委員長というひとがおり、地区や村の人に呼びかけてくれたので
老いました、みんな。顔をみただけで誰かわからない人もいました。声を聞いて思い出したり、名前を聞いて思い出したり、
私が小学生、中学生のときは、学校の帰り道、家に着くまで地域の人から話しかけられたものでした。
『ことねちゃん!学校おわったの?今日は塾ないの?気をつけて帰るんだよー』
三丁目の夕日のような、近所のひとが顔見知り、お店にいっても顔見知り、村も数千人しかいない親族や知り合いだらけの村で。
ああ、そうだったな、この村の人達は、温かくて。心が温かくて、声かけあい助け合い、生きていた村。
心の絆。
火葬までいくと、明日の仕事に間に合わないため、葬儀の後、ぬけて帰っていいと。バス停まで送り出されて。
失ったものは戻らない。村は元通りにはならない。だけど、すずめの戸締りのように、未来に向かって学んだことを活かすことは出来るのかもしれない。
喧嘩していたひとも、気まずかった親族も来てくれないとおもったひとまでもが、訪問してくれた。亡くなったお母さんを見送りたい、それだけじゃない、亡くして気を落とした私たち遺族を励ましにきてくれた、そう思う。
ほんとに、人間は捨てたもんじゃない。
日本人は捨てたもんじゃない。
福島県人は捨てたもんじゃないよ