ことねぇの母親の人生録。
私を23歳で産んだ。
農協のJAの銀行員勤務2年目にして、交通事故を起こして、謝罪にいった、事故の相手が
村の自営業の工業系高校を出て、お父さんの事業手伝いをしている、バイク乗りのドラム叩く私の父親、だった。
この2人が出逢わなかったら
私は産まれてこなかった。
村の中でも山奥、炭小屋をやる一家で、おじいちゃんもおばあちゃんも最初は、あまり賛成ではなくて、あまりにも価値観が違うのでは·····と
それでもお父さんは、この人と結婚すると言って、お母さんと結婚した。
まさにシンデレラのようだった。
ところが、ここからお母さんの怠け癖とかサボり癖とか、小さな誤魔化しをする性格が災いして、たくさんのトラブルメイカーとなる。
なんども離婚の危機があり、私が小学校6年生のときにまた交通事故を起こして、睡眠障害とうつ病を発症し
私は小学校6年生のときには、学校でイジメにあったり、自分でお弁当つくって学校いったり、おばあちゃんにお迎えしてもらったりしていて、お母さんがお母さんの役割を果たさなくなっていった。
それでも小学校6年生のときのイジメで
お母さんは眠れずに夜通し本を読んで起きている私に言ったのよ
『ことね、お母さんは何があってもことねの味方だから。世界中を敵に回しても貴方の味方になるから。いまは辛くてもね、いつか生きていて良かったと思う時が来るから』
その一言で、私は翌日、体育ペアで体操するとき1人で余ったけど
『だれか!私も入れてください!お願いします!』といって『私も辞めたい、ことねちゃんが悪いんじゃないのに、いじめている〇〇ちゃん怖くて私も無視してきた、ことねちゃんごめんね』
そういって翌日みんな翻して、いじめっ子孤立させてしまったけど。
私は『たった1人大好きな人が味方になってくれるなら相手が魔王でも1人で戦いを挑みにいくわ』
そのときの小学校6年生のいじめの
1件をとあるエッセイコンテストに提出して、最優秀賞をとり、全国出版をする。
すべては、私の人生の記憶の1ピースであり、パズルであり、断片だ。
この『ことねぇ録』は、私が死ぬ時に完結するのだ。そしてそれは、みんなも自分という物語の主人公でその中を生きている。
創作ならどれほどいいのだろうか。私のお母さんは、承諾書ひとつで、きっと死んでしまう。呼吸器や機械を止めたら、意識がないから死んでいるのと同じなのだ、きっと、もう·····
そんな馬鹿な·····眠りについても、の話を思いついて半年後に、まさに自分が実体験する羽目になると思わない。
想像以上に、精神的に来る·····。
それでも、私も『母親』で、私はまだ死ねないのだ。どんなに悲しくても、これは避けて通れないのだろう。