【短編小説】左耳たぶとの会話
私は、ある日突然、自分の左耳たぶの形が気になり始めた。
それまで二十数年間、まったく気にも留めていなかったものが、ある朝目覚めたときから、妙に存在感を主張し始めたのだ。鏡を見るたびに、左耳たぶが「おい、俺のことどう思う?」と話しかけてくるような気がして仕方がない。まるで、長年眠っていた火山が突如噴火を始めたかのように。
もちろん、耳たぶが実際に喋るわけではない。そんなことになったら大変だ。耳鼻科ではなく精神科に駆け込むことになるだろう。ただ、左耳たぶの存在感が、私の脳内で擬人化され、ささやかな主張を始めたのだ。それは、静かな湖面に投げ込まれた小石が、次第に大きな波紋を広げていくようだった。
「君さぁ、俺のこと今まで全然気にしてなかったよね?」
「いや、別に…」
「いやいや、そんなわけないでしょ。上唇とか、鼻の頭とか、そういうところばっかり気にして」
「だって…」
「いいんだよ。俺だってずっと気づいてほしかったわけじゃない。でも、たまにはさ、こういう俺にも目を向けてほしいなって」
妄想の中で左耳たぶとの会話を繰り広げていると、電車の中で隣に座っていたサラリーマン風の男性が、少し身を引いた気がした。どうやら、無意識のうちに首を傾げたり、耳を触ったりしていたらしい。男性の目には、私が何かの呪文を唱えているように映ったのかもしれない。
その時、ふと思い出した。高校の生物の授業で習った、トカゲの尻尾切りの話を。切り離された尻尾は、しばらくの間動き続けるという。もし尻尾に意識があったとしたら、自分が本体から切り離されたことに気づくのだろうか。そして、その瞬間、自らの存在に思いを巡らせるのだろうか。
「ねえ、左耳たぶくん」
「なんだい?」
「もし僕の耳たぶが切り取られたら、君は僕から離れた後も意識があるの?それとも僕と一緒に痛みを感じるの?」
「そんな物騒な質問をされても困るよ。でも、興味深い問いかけだね。僕たち耳たぶは、君の一部でありながら、独立した存在でもあるんだ。まるで、量子力学における粒子と波動の二重性のようなものかもしれない」
耳たぶが量子力学を持ち出してきたことに驚いた私は、図書館に向かった。耳たぶについて調べるつもりが、いつの間にかシュレディンガーの猫やハイゼンベルクの不確定性原理に関する本を読みふけっていた。そこで出会った一節が、妙に心に残った。
「観測されるまで、粒子は複数の状態を同時に取りうる」
まるで、私の左耳たぶのようだった。気にするまでは存在感がなく、気にし始めたとたんに、様々な可能性を秘めた存在として立ち現れてきた。
そういえば、耳たぶって何の役に立つんだろう。進化の過程で残った名残なのか、それとも何か重要な機能があるのか。それは、砂漠の中でオアシスを探す旅人のように、答えのない問いに取り憑かれた私の姿だった。
大学の図書館で耳たぶについて調べてみると、意外にも多くの本に記述があった。しかし、それらの本を読めば読むほど、耳たぶの謎は深まるばかりだった。まるで、迷宮に迷い込んだ探検家のように、私は耳たぶの秘密に翻弄されていった。
ある本には「耳たぶは体温調節に重要な役割を果たす」と書いてあるかと思えば、別の本では「耳たぶの主な機能は装飾品を付けるため」と断言されている。さらには「耳たぶは異性を引き付けるフェロモンを分泌している」という、にわかには信じがたい説まであった。これらの説は、まるで深海魚の群れのように、私の理解の及ばない深みで泳ぎ回っていた。
結局のところ、誰も耳たぶの本当の役割を知らないのではないか、という気がしてきた。そして、その謎めいた存在感が、私の左耳たぶをますます魅力的に感じさせた。それは、未知の惑星に着陸した宇宙飛行士のような、好奇心と不安が入り混じった感覚だった。
「ねえ、左耳たぶくん」
「なんだい?」
「君の存在意義って何だと思う?」
「さあね。でも、今こうして君と会話してるってことは、それなりに意味があるんじゃないかな。ソクラテスも言ってたよ。『吟味されない人生は生きるに値しない』ってね」
「耳たぶなのに、ずいぶん博学だね」
「君が図書館で読んだ本の内容を、僕も一緒に吸収してたんだよ。耳学問ってやつさ」
確かに、左耳たぶのおかげで、私は今まで気づかなかった世界の不思議さに目覚めた。そう考えると、左耳たぶの存在意義は十分にあるような気がした。それは、暗闇の中でふと見つけた一筋の光のように、私に希望を与えてくれた。
それからというもの、私は左耳たぶと仲良く付き合っていくことにした。たまに電車の中で独り言を言っているように見えるかもしれないが、それは左耳たぶとの大切な対話の時間なのだ。周りの人は、きっと私のことを「あの耳たぶオタク」と呼ぶようになるだろう。でも、それもまた悪くない。
ある日、同じ大学の友人から声をかけられた。
「おい、最近お前、耳たぶばっかり気にしてるみたいだけど、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だよ。むしろ、すごくいいんだ」
「は?」
「だってさ、耳たぶのおかげで、今まで気づかなかったことにたくさん気づけたんだ。例えば、この世界の不思議さとか、自分の存在の意味とか」
「お前、哲学でも始めたのか?」
「まあ、そんなところかな。耳たぶ哲学ってやつさ」
友人は呆れた顔をしていたが、どこか羨ましそうにも見えた。きっと彼も、自分なりの「ふと気になること」を探しているのだろう。
こうして、私の「ふと気になったこと」は、いつの間にか私の人生の重要な一部となっていった。それは、茶碗の中に宇宙を見出すような、些細でいて壮大な発見の日々だった。
そして今、私は考える。人生とは、結局のところ、ふと気になったことの連続なのではないだろうか、と。気になることに気づき、それを追求し、そこから学び、成長していく。そんな過程の繰り返しが、人生という旅路なのかもしれない。
左耳たぶくんも、きっと同意見のはずだ。だって、彼こそが私の人生の新たな章を開いてくれた、かけがえのない存在なのだから。
「ねえ、左耳たぶくん」
「なんだい?」
「ありがとう」
「どういたしまして。これからもよろしくね、相棒」
耳たぶと握手はできないが、心の中で固く握手を交わした気がした。そして、鏡に映る自分の姿を見て、思わず微笑んでしまった。左耳たぶが、いつもより少し誇らしげに見えた気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。
(了)
小説集