「多様な性」とは何か? 東京都が公表した資料から考える
都が「制度案」と「意見募集結果」を公表
東京都総務局が5月10日、「東京都パートナーシップ宣誓制度(案)」(以下、制度案)と、同素案についての「意見募集結果」を公表した。都は同制度について今年11月1日(予定)からの運用開始を目指している。
制度案に対する意見募集は、2月14日から4月11日まで行われ、結果的に「5,811通」の意見が提出された(意見の件数は「8,363件」)。
公表された「結果」からは、賛否の件数や割合まではわからないが、項目ごとに「趣旨を踏まえて要約」された「主な御意見の概要」と、「都の考え方」が列挙されている。
都しては、「主な御意見」すべてに回答したつもりかもしれないが、「7. その他の御意見」の項目では、多くの意見を「既読スルー」しているようにも感じられたので、それらを改めて挙げておきたい。
・東京都には、コロナ対策や震災対策、経済対策など、他に優先すべき課題があると思う。
・他の自治体での制度導入の流れに乗り遅れないようにしているだけに思える。
・人の心を制度で縛ることはできない。制度化に当たって、考えや概念を扱うべきではない。
このような意見に対する、一括した「都の考え方」がこちら。
「人権尊重条例に基づき、東京に集う多様な人々の人権が、誰一人取り残されることなく尊重され、東京が、持続可能なより良い未来のために人権尊重の理念が実現した都市であり続けるよう、本制度を含め、引き続き様々な施策に取り組んでまいります」
「7. その他の御意見」では、同様の回答が4回もコピペ(コピー&ペースト)されており、壊れた音響機器が再生されているかのようだった。
さて、ここからが本題である。
この制度案では、「多様な性」という概念が掲げられている。今回は、制度案の中核にある「多様な性」という概念について掘り下げてみたい。
制度案の冒頭、「1 制度創設の目的」では、「人権尊重条例の理念を踏まえ、多様な性に関する都民の理解を推進するとともに、……」(1ページ)と、「多様な性」への理解を推進することが目的の一つに挙げられている。さらに「6 今後のスケジュール」でも、制度運用開始後の取り組みとして「多様な性に関する啓発等の推進を図ります」(8ページ)とある。
都が都民に対して、「多様な性」に関する「啓発」や「理解を推進」したくて、うずうずしていることがうかがえるが、そのためには「多様な性」とは何かを、まず明確に示すべきだ。
しかし、「目的」の項では、【用語の定義】として「性的マイノリティ」と「パートナーシップ関係」、2つの用語が定義づけられているが、「多様な性」に関する定義は見当たらない。
「多様な性」とは何か?
「意見募集結果」には実際に、以下のような意見が掲載されている。
「多様な性とは何か。男性と女性の性があるのみで、性転換をしても性は生まれた時から変わるものではない。性の多様性については、まだ医学的・科学的根拠が明確になっているものではない」(4ページ)
それに対する「都の考え方」がこちら。
「性の在り方(セクシャリティ)は、主に『身体的性別(性に関する身体のつくりや身体的・生物学的特徴など)』、『性自認(自分の性をどう捉えているか)』、『性的指向(恋愛感情がどの性別に向くか向かないか)』、『性表現(言葉づかい、服装、しぐさ等から見る社会的な性別をどう表現しているか)』の4つの要素の組合わせによって形づくられており、この組合せは多様となっています。性に多様性があることについての都民の方々の理解を深め、……」(4ページ)
つまり「多様な性」とは、「性の在り方」が「多様」であるということなのだろうか。
同様の主張は、例えば、大阪府の四條畷(しじょうなわて)市役所のウェブサイトにも見られる。
「性のあり方はグラデーション」という項目には、以下のような解説が加えられている。
「性はからだの性・こころの性・好きになる相手の性・性表現(服装や持ち物、口調など)の4つの軸で表現されることがあります。
でも、別に性別を決めなくてもいいし、人を好きにならない(恋愛感情をもたない)人もいます。
人によって違い、人の数だけ性別があると言ってもいいかもしれません」
ここでは「性のあり方」ではなく、「性別」自体が人の数だけあると言い切っている。果たしてそんなことがあり得るのか?
行政や学校側からこのような指導を受ければ、「性って、グラデーションなのかな…?」
「性別って、人の数だけあるんだ…(このクラスには36人いるから、36個も性別があるの!??)」等々、素直に受け止める児童・生徒も少なくないだろう。
このような「多様な性」に関する主張は、近年、日本でも盛んに吹聴されるようになったが、ここでは、都などは違った考え方を紹介したい。
「性の多様性」という表現が不適切な性の理解を助長
『同性愛と同性婚の真相 -医学・社会科学的な根拠-』(22世紀アート)などの著者で、弘前学院大学の楊尚眞(ヤン・サンジン)教授は、「Q&A形式による論文」の中で次のように解説している。少々長いが引用する。
Q.6 性に多様性はありますか?
A.ジェンダーイデオロギーの支持者は、人間の性には多様性があり、男女の性だけではなく、様々な性があり、自分で自分の性を決める性的自己決定権を人権として主張しています。
(中略)日本ではジェンダーイデオロギーは「ジェンダー理論」という言葉になっていますが、ジェンダーイデオロギーは理論ではなく、あくまでも思想です。「ジェンダー理論」という言葉を用いるのも、あたかも公認された真実であるかのように表現するためでしょう。
ジェンダーイデオロギーの支持者たちが、「性の多様性」や「ジェンダー主流化」を主張している根拠としては、多様な性的指向や性同一性や性自認や性表現が存在し、それらを人間の性として含めているからです。その4つは存在していますが、それらは心の領域にある傾向であり、人間の性(sex)であるとは言えません。
正確に言いますと、様々な性があるのではなく、心の領域に多様な性的指向や性同一性や性自認や性表現があるのです。性(sex)、即ち、生物学的な性は、男(XY)と女(XX)しかありません。稀に男でも女でもない間性(intersex)がありますが、これは医学的には染色体の異常による性障害です。ジェンダーイデオロギーの支持者たちが「性の多様性」という言葉を用い、それを社会に浸透させていることによって、人間の性には様々な性が存在しているかのように思わせていることは、真に不適切な性の理解を助長していることです。
人間の生物学的な男女の性と、心の傾向である性的指向や性同一性や性自認や性表現を、分けて考えなくてはなりません。性的指向や性同一性や性自認や性表現自体は、性ではありません。
「性の多様性」を容認する(orさせる)教育がありますが、性の多様性を容認させる教育は必然的に「性行為の多様性」をも容認する教育になります。「性の多様性」を容認して(orさせて)「性行為の多様性」を否認する(orさせる)教育はありえませんし、ジェンダーイデオロギーの支持者も「性行為の多様性」を支持しています。(『歴史認識問題研究』第10号、「<Q&A形式による論文>日本で知られていない同性愛と同性婚の真相」より)
また楊教授は、別の鼎談で以下のようにも指摘している。
「性的指向や性自認や性表現などは存在しているけれど、固定的なものではありません。誘導的なものです。心の問題ですから、変化する可能性もあります。これは多くのLGBT人権活動家も認めています」(『歴史認識問題研究』第10号の鼎談より)
東京都が、都民に対し「理解を推進」したくて、うずうずしている「多様な性」や「性の多様性」に関して、楊教授のような考え方は一切考慮されていないだろう。
これらの文章をご覧になったあなたは、都や四條畷市役所の解説と比べ、どちらに納得感があっただろうか。
いずれにしても、「多様な性」に関して、さらなる検証と議論が必要ではないだろうか。
次回、ある書籍をもとに「性別違和」や「性的指向」についても再考する。