「対立するふたつのものの調和」の具体例さらに4選 物事の二面性27
陰と陽という対立するふたつのものが、ささえあい、補いあい、循環すると大きな力を生む。
ひとつめの例は出世と隠居。出世と隠居も対立する矛盾する概念である。極端な人はどちらかを徹底的に目指す。ひたすら出世に邁進する人もいる。逆の極端に走り徹底的に隠居する人もいる。
ちょうどいい中庸を超えて、極端に出世に邁進すると下手すると俗物になる可能性がある。出世に邁進し人間にとって本当に大切なことを忘れる。逆に徹底的に隠居すると下手すると完全な世捨て人になる可能性がある。
両者のバランスをとると言うのはひとつの優れた解決である。自分自身の能力に見合うだけの立身出世を志す。健全な人はこれを目指す。そうすれば最終的に間違いも起こらない。能力以上に地位につくと失敗したりして間違いが起こる可能性もある。最終的に自分に返ってくる。バランスが重要。完全な世捨て人になれば収入がなくなるが、それなりに出世すれば十分な収入も得られる。やはりバランス型中庸は優れている。
しかしもっと優れた人はハーモニー型中庸を執る。『菜根譚』から引用する。
これは出世と隠居のハーモニー型中庸について述べている。高い地位について栄達していると俗物になる可能性がある。しかし高い地位にあってもどこか隠居しているような清らかさを持っていると俗物にならない。隠居している人はただの世捨て人になる可能性がある。だから天下を経綸する見識を持つ必要がある。そうすれば完全な世捨て人にはならない。出世と隠居の絶妙なバランスがこの言葉にある。「対立するふたつのものの調和」のひとつ目の例である。
出世と隠居のハーモニー型中庸はまるで諸葛孔明のことを述べているかのようである。彼は隠居している時も天下三分の計という大計を持っていた。その後、出世し蜀の宰相になって位を極めても、ほとんど財産はなく、隠居しているかのような清らかさを保った。
『菜根譚』に次の言葉がある。
前半冒頭の「青天白日の節義」とは青い空や白い太陽のような天下に輝く節義を指す。それは「暗室屋漏」という暗い部屋でひとり誰にも知られずに長い年月にわたって研鑽を積み重ねたところから、培われる。「天下」と「孤独」という一見相反するふたつもののハーモニー型中庸だと言える。
後半の「旋乾転坤」を説明する。「乾」は「天」である。「坤」は「地」。だから「旋乾転坤」とは天地を動かすと言う意味。「臨深履薄」を説明する。「臨深」は深いところに臨むと言う意味で、絶壁とか高いビルから下を見下ろした時、落ちないように慎重になるのを指す。「履薄」は薄い氷を履むと言う意味で、川や湖が凍っていて薄い氷ができている上を歩く場合、非常に慎重になるのを指す。要は、天地を動かすような大胆な経綸も徹底的に慎重に考えられた計画から生まれると言う意味。大胆さと慎重さと言う一見相対立ふたつものの間のハーモニー型中庸。「対立するふたつのものの調和」のふたつ目の例。
恐らくそういう人たちは、計画の段階で徹底的に慎重に考え、実行の時は大胆に行うのだと思われる。慎重に考えているので大胆に行っても大丈夫。大胆に行うからこそ、あらかじめ慎重さが必要になる。大胆さと慎重さが補い合い、調和し、循環している。
『言志録』に次の言葉がある。
計画の時は詳細に情報を集めどうすればいいかを詳しく検討する。実際に決断する時は、迷わずシンプルに行動する。「詳細」と「シンプル」という一見相反するものが調和している。これは「大胆」と「慎重」のハーモニー型中庸に似ている。
次は三つめの例。ジェフ・ベゾスに次の言葉がある。
要は悲観的になることでリスクを直視し、リスクを排除し、その結果、心から楽観的になれると言う意味。これは楽観と悲観のハーモニー型中庸である。楽観的に過ぎる人は無謀になる。悲観的に過ぎる人は諦める。しかし楽観と悲観のハーモニー型中庸を執る人は、楽観的だからこそ恐れずリスクを直視できる。正しい意味で悲観的になれる。そして正しい意味で悲観的だからこそ、リスクを直視しリスクを排除し最小化できる。その結果正しい意味で楽観的になれる。「対立するふたつのものの調和」の三つめの例である。
「楽観」と「悲観」という一見相反するふたつのものが、補い合い、支え合い、循環している。
イーロン・マスクの言葉に次の言葉がある。
我々ビジネスの素人はジェフ・ベゾスやイーロン・マスクのような成功した起業家は恐れ知らずだと思う。大胆な計画を立て実行するから当然そう思われる。しかしふたりともそうではないと言っている。もちろん彼らは良い意味で楽観的であると思うが、良い意味での悲観をあわせ持っている。
松下幸之助に次の言葉がある。
松下幸之助も常に不安を抱えていると言う。悲観的なのである。しかし心配することから進歩が生まれるとも言う。要は単に悲観的なのではなく、そこから進歩が生まれると楽観しているのだ。
優れた経営者は楽観と悲観のハーモニー型中庸を執るものなのかもしれない。
次は四つめの例。『論語』に次の有名な言葉がある。
人類に普遍の昔からある、良い意味での古さがあるから、根なし草にならない本当の意味で良い新しさをつくることができる。新しいものを知っているから、古い普遍的な伝統を現代的に再現できる。新しさと古さのハーモニー型中庸が成立している。「対立するふたつのものの調和」の4つめの例。
松下幸之助の言葉に次の言葉がある。
能や文楽のような古典芸能は古い偉大さを古いままとっておく必要がある。先祖が創った優れた文化を消してはいけない。しかし我々一般人は古典を見てその伝統から学んで、新しい良いものを創る必要がある。私も儒教という古い古典から学ぶが現代的に表現出来たらと思っている。
松下幸之助は、古い伝統がないと新しい思想は根無し草になると言う。そして古い伝統を現代的に生かさないと新しいものは生まれないと言う。やはり古さと新しさがハーモニー型中庸をなすべきだという。
『老子』第十四章から引用する。
よく分からないが「古の道を執りて、今の有を御す。」とは、馬車の手綱を執って馬を御することに喩えているのかもしれない。昔というシンプルな時代の奥深い道に習熟し、現在の多様な現象を正しく制御する。非常に難しいが目指すべきところではある。