街 (4) 〜お金をあげてみる
そうなると、自然にホームと街の距離感が薄れていった。それまでは、街との間に特にフェンスなどの仕切りがあるわけでもなく、土地の段差の違いで切り分けられているのでもないのに、ホームと街との交わりはなく、その大きさが却って違和感を強調して、街では、噂になることはあれども、それについて深く話すことは憚られるような対象としてあった。ホームの方も、街からの視線を察してか、街路に入所者を出すのを遠慮したりしていた。
しかし、今や、買い物にしても、ホームのマイクロバスに便乗して、それまでよりも大きな規模でやるようになった。そして、住民達もホームの中に足を踏み入れるようになった。夜になると各部屋からのライトの華やかさによって沈んだ街から浮き上がる外観と同様に、中の様子も、入ってすぐのロビーからしてやはり高級ホテルのような風だった。シャンデリアが吊るされているのには驚いたが、ホームに住む老人達の年代には受ける贅沢さなのだろう。受付には、明るいパステル調のユニフォームに身を包んだ、しっかりと接客を訓練された振る舞いの女性が数名詰めていた。初めてそこに入った街の住民達は、皆一様に中の様子に感心した。一応チェックしておこうと役人風の態度で臨んだ長老達も、彼らの拘る品の良さにそこが見事に適合しているのを認めて、頑なさを少し緩めたようだった。ホームの居住者達の品も良い。結局、街の住民達と同じような階層の人々がそこに住んでいたのだ。
私はヘリコプターでの輸送管理の街側の担当者になった。先ず、あの空き地をヘリポートとして使えるように病院と協力して航空局に申請をした。病院が関わる件のせいか手続きはすんなりと進み、予想よりもだいぶ早く許可が下りた。空き地の整備は寺がやってくれた。街のエリア内であるとはいえあくまでも寺の所有地なので町内会の定期掃除の対象ではないため、普段は手入れがされないままに草が伸び放題だったのだが、作務衣に頭には手拭いを締めた若い修行僧達が大挙してやって来て、統率の取れた元気一杯の動きで以ってあっという間に綺麗にしてしまった。
そういうことで、私はまた町内会館に通うことになった。町内会館にはマーケットを担当する主に主婦のメンバー達が日替わりで頻繁に出入りしたが、リーダーの井上さんは常駐していた。仕事が暇な時には、輸送管理もマーケット担当も一緒になって、メンバー達は一服しつつ皆で歓談したが、井上さんと私は各々の仕事の責任者で互いに共有しておくべきこともあるので、他の者達とは別に話すことが多かった。
「コーヒーがお好きなのよね?」と最初の時に聞かれて、それからは二人での打ち合わせには、必ず林さんがコーヒーを持って来てくれるようになった。林さんは、ここに来ても店での立居振る舞いと変わるところがない。コーヒーの香りが漂うと、そこにある具体的な物、打ち合わせ用のペンやノートやPCやパイプ椅子といったものが、すっと色を無くして、林さんの店の中と同じ様子に変わって、周りの音も遠くなり、井上さんと私だけがそこにいるような気になった。
「実はね、この前旅に行って来たの。」
打ち合わせとはいっても、すぐに慣れて短い時間で終わるようになったので雑談の方が長くなるのが常で、その内、この時間はそのためのものとなった。
「向こうの人達にお金を配ったの。」
「ああ、戦争や災害で被害を受けた子供達を支援するNGOのやつですか。」
私自身、そういう組織に定期的に寄付をしており、その組織は、寄付者が現地を訪れるツアーをやっているので、井上さんもそれと似たようなことをしたのだなと思ったのだった。
「ううん、一人で村に行ったのよ。あっ現地のガイドさんも一緒だったわ。」
「じゃあ、お金を配るって、どういうことなんですか?」
「だから、配ったのよ。」
「誰に?」
「だから、村の人にだってば。」
「村の誰に?」
「みんなによ。」
井上さんは、少し苛立って眉間に皺を寄せた。
「みんなで何人いたんですか?」
「そうね・・・100人位だったかな。」
「・・・一人ずつに配ったの?」
「そうよ。家を訪ねて一人に3万円ずつ配ったわ。」
「3万円って・・・。それは向こうではかなりの大金でしょう。」
「いいえ、そうでもないのよ。向こうの平均年収は日本の3分の1くらいはあるのよ。」
「他にもっと貧しい国があるということですね。じゃあ何故そこに・・・」
「あの国では、前に戦争があったでしょ。それも部族の間での。それで沢山の人が死んだ。だから、悪かったなって思ったの。」
悪かった、という言葉に私はややたじろいだ。そして、自分の物言いに少し恥ずかしい気持ちになった。商品を選ぶ時のように、いくつかの選択肢の中から自分の気に入ったものを選ぶという仕方で、井上さんもそこを選んだのだろうという含みがあったからだ。実際に私がやっている寄付では、私が対象を決めるのではなく、組織に寄付を打診すると、向こうがこの地域のこの子はどうですかと提案しそれにこちらが同意すれば成立するという手順になっている。それに寄付といっても正しくは組織に対してするのであって、金をどう使うかはそこ次第だ。そして、時々、寄付を受けた現地の子の現況の報告書が送られて来る。これは、リターンがあるわけではないが、投資信託と同じ仕組みをしている。いや、リターンが無いというのは正しくない。善行をしたという満足感が得られるのだから。
「でもね、最初は戦争で死んだ人がいる家族に死んだ人の人数分配るつもりだったのよ。けれども、彼らは死んだ人が天国に居ると思っているし、見えないけれども傍に居ると思っている人もいるの。それで思ったの。私は、死んではいるけれども残された家族にとっては居る人にお金を配っているんだなって。だったら、生きてそこに居る遺族の人にも配るべきだって。でもね、お金を貰った人は、他の人にそれを分けようとするのよ。そうすると、初めに3万円受け取った人達のお金が減るわけだから、私、その分を補おうと思ったの。」
「でも、補っても、受け取った人はまた他の人に分けるんじゃないですか?」
「そうなのよ。だから、村の人全員に3万円を配ることにしたの。」
井上さんは平然とそう言った。だが、ここで話をしているだけだからそうなのではないのだろう。きっと彼女は、現地でも平然とそう決めたのに違いない。
「でもね、それでもみんな他の人にお金を回すのよ。だから、お金が村の人の手から手へとぐるぐる動き回るの。可笑しいでしょう。」
井上さんは全く屈託なく笑いながら言った。
夕方4時になると、林さんがコーヒーカップを取りに来る。それが合図になって、町内会館のマーケットが閉じ、メンバー達は家に帰るのだった。
外に出ると、夏が深まった夕暮れの日差しが街を囲む山の緑に朱く照るのが見える。ヘリコプターの飛ぶ音が蝉の声のように聞こえる。ちょうど、近くの小学校から子供達が帰って来る時間だ。学校から直接町内会館に寄って、マーケットのメンバーの母と一緒に手を繋いで家に帰る子もいる。
私も帰る。毎日外に出て同じ人と会い同じ時間に帰るという生活は久しぶりだった。