見出し画像

杞憂を解くには 列子の洞察

人の心理を洞察することは、道家と法家に共通する要素であり、『列子』にもそうした説話が多い。天瑞篇には、有名な「杞憂」の話がある。ある人が天が落ちるのではないかと心配し、それを諭す人との問答があり、最後は列子たちがそれを笑い飛ばすものだ。しかしそこでは、杞憂を抱く人の心理にまでは踏み込んでいない。

一方で説符篇には、「斧を無くした者」の話がある。隣人を見ると、一挙手一投足が自分の斧を盗んだように見えたが、斧が見つかるとそう思わなくなったという。この文の注釈に、「疑心、暗鬼を生ず」ということわざが引用されている。つまり、恐怖や敵意というものは、疑うことで作られるということだろう。

「斧を無くした者」が疑う前にすべきだったのは、自分の斧を探すことだった。だから、「杞憂」も原因は別の所にあったのではないか。黄帝篇にある「朝三暮四」の故事は、まさに感情にとらわれて理性を失う例だ。直面している問題から目をそらせば、それは杞憂や暗鬼を生む事になるだろう。

いいなと思ったら応援しよう!