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自然は人間の規範なのか

『老子』において「自然」は、道のあり方を説明する重要な概念だ。それは熟語のように用いられているが、「自ずから然り」という原義を失ってはいないと思う。例えば25章の「道法自然」を、道が自然に従うと解釈すると、道を万物の上位に置く他章と矛盾してしまう。つまり、道は何者にも従わないということだろう。

『老子』の道は、14章にあるように目に見えないものだから、自然もそうであるはずだ。実際、山河や動植物のようなものを指す時は、「天地」や「万物」が用いられている。だから、『老子』の「自然」を、現代語と同じように捉えることは無理がある。

43章には、水を見て「言葉の無い教え」を知ったとある。それは教えられたのではなく、自ら学んだからそう表現したのだろう。『老子』を引いて、目に見える「自然」を人の規範とすることには賛同しない。以前、『「小国寡民」は文明批判か』という記事を書いたのも、そうした考えからだ。


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