「西極の化人」は仏教の影響だったか
『列子』周穆王篇に見える「西極の化人」の説話は、仏教の影響を受けたものという説がある。しかし、内容を見ると神仙思想はあるにしても、仏教の影響は希薄であるように思える。
穆王は「私は徳がないのに、楽しみにふけった。後世の人は私を責めるだろう」と嘆くが、人々は穆王の死を天子にふさわしい最期だったと考えた所で、この話は終わる。この思想は、やはり道家に属するものだろう。というのも、生きている間を楽しめというのは、まさに『列子』の中で楊朱が言っていることだからだ。
『列子』周穆王篇に見える「西極の化人」の説話は、仏教の影響を受けたものという説がある。しかし、内容を見ると神仙思想はあるにしても、仏教の影響は希薄であるように思える。
穆王は「私は徳がないのに、楽しみにふけった。後世の人は私を責めるだろう」と嘆くが、人々は穆王の死を天子にふさわしい最期だったと考えた所で、この話は終わる。この思想は、やはり道家に属するものだろう。というのも、生きている間を楽しめというのは、まさに『列子』の中で楊朱が言っていることだからだ。