見出し画像

皆がおかしくなったら

秦の逢氏の子は、成長するとおかしくなってしまった。白を黒と言い、悪いことを良いと言うように、何もかもが倒錯していた。逢氏は魯の高名な先生に診てもらおうとしたが、その道中で老聃に出くわした。老聃はこう言った。

「どうして、あなたの子がおかしいと思うのか。天下の人々も是非に迷い、利害が分からず、しかもそのことに気付いていない。一人がおかしくなっても、天下が傾いたりはしない。天下がおかしくなったら、(すでに全体が傾いているのだから、)誰がそれを傾けられるのか。天下の人々があなたの子のようになったら、あなたがおかしいことになるのだから、誰がそれを正せるのか。私の言っていることも、おかしいかもしれない。ましてや魯の先生は、おかしくてたまらない。無駄になるだけだから、すぐに帰りなさい」


『列子』周穆王篇には、以上のような説話がある。老聃を『老子』の作者と同一視することには疑問があるが、『老子』58章にも「(絶対的な)正常など無い。正常は異常にもなり、善行は災いにもなる。それに人々が惑わされるのは、昔からのことだ」とある。こうした価値観の相対視は、道家に共通するものだ。

なお、魯は孔子と墨子の出身地であり、両者を暗に批判している。『荘子』斉物論篇では、儒家と墨家の論争を「相手が悪いとすることを良いとし、相手が良いとすることを悪いとする(だけだ)。それでは明智に及ぶはずがない」と断じている。

いいなと思ったら応援しよう!