新渡戸稲造の『武士道』を読んで(21/06/15)
本人もキリスト教徒であり、奥様もアメリカ人である新渡戸稲造であるがゆえの、和と洋のバランスの取れた本である。武士道の心を、海外の書物や詩を引用する事によって、海外の思想との共通点を探したり、それを提示することで海外の人でも理解しやすいようにと腐心した有り様が伺える。
なぜ日本人の考え方や習性が、時として海外の人からみて奇異に映るのか(謙遜の文化など)も丁寧に説明されている。執筆のきっかけは、序文にあるように故ド・ラブレー氏からの「宗教がないのに、 道徳教育はどうやって授けられるのですか」という問いによるとの事だが、本を読めば、いかに体系だてて武士道を説明しようとしているかがよく分かる。
『礼』について述べている箇所では、「礼儀作法の中に不必要な細かい点があることは私も認める」とした上で、「それはある目的に到達するための最適な方法を長く考えた末に生まれた結果を示すもの」という解釈は面白かった。一見、手数が多くて手間のかかるように感じる儀礼が、実は一番効率がよいというのだ。茶道の例が引用され、「初心者には、茶の湯は退屈である。しかし、その規定された手順によって、結局は時間も労力も一番節約されることが、ほどなくわかる」とある。とても面白い解釈だ。私は常々、礼儀作法には無頓着な方だが、一つの考え方として取り入れたい。
本の後半には、失われつつある武士道を憂いて「 ああ、武士の美徳よ! ああ、サムライの誇りよ!鉦や太鼓で世に迎え入れられた道徳は、「将軍たち、王たちが去る」とともに消え去る運命にある」とある。今の日本人から武士道の心が全く消え失せるとは思わないが、一つの思想の在り方として忘れないようにしていきたい。