第41葉, トーチとか 自己表現とか
すごく寒くなってきましたね、
最近 ふと思ったのですが、冬の朝って結構 好きです。
頭も、足先も少し冷たくなって なんだか動かしたくなってくる… かも笑
折坂悠太さんの「トーチ」「炎」、星野源さんの「灯台」
すごく好きなんです。
ああ、この人の言葉なら 信じられるなぁ… っていう瞬間が
確かにある。
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・長田弘 『一日の終わりの詩集』
・ルソー 『孤独な散歩者の夢想』
・荒井裕樹 『生きていく絵』
いずれも、読んでいる時に「この人の言葉は信じられる」と感じた本。
それから、(繰り返しになるが) 朱喜哲さんの『〈公正〉を乗りこなす』も
すごくいい。こういった言葉たちが もっと降り積もってほしい。
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自分を自分たらしめているものって、
一体 何だろうか? と最近 (頭の片隅で) 考えている。
それは、きっと
アイデンティティ的な何か ではなくて、もっと複合的で
かつ 気づき/気付かれにくい… 何かだと思う。
多分、記憶とか 自己表現に近いものなのだろう。
あると言えば 確かにあるし、無いと言われれば 見えづらくなる。
私が生きている「意味」というのは あまり考えない質だが、
記憶や自己表現によって… というより
ある種 記憶や表現たちに支えられることによって漸く
生きていける、ということが有りうるのが興味深いと思う。
いや、不思議だ。
自分を苦しめてしまうような「アイデンティティ」的位置付けより、
たとえ 誰にも通じなくても、伝わらなくても
そもそも 何かを誰かに伝えようとする意図すらなくたって
生きていける 記憶 や 表現 が確かにある。
自分は、その事実がある というだけで救われる思いだ。
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ここの所、常々 思うのだが
比較って 本当に何も生まない気がする。
一番 残酷な行為だといっても、差し支えない気がする。
むしろ、そう思えてならない という確信めいたものがある。
ー筆おきー