私が学校に行かない理由。
はじめに
これは、私が2022年5月にこのサイトに掲載した記事の改訂版です。
この記事を読むうえで、これだけは忘れないでください。これは私の話であり、誰かに当てはめるための材料ではありません。
一人一人理由は違うのです。「こんな人もいるんだな」という軽い気持ちで読んでください。
小学4・5・6年生と、中学3年生、高校1年生
学校にあまり行かない時期があった私の話。
小学生
何となく頭が痛いと言って週に2・3回は休んでいました。
今思えば、思春期が始まった時期でした。気持ちの面では、自分は何か周りと違うように感じたり、兄の不登校に親が手を焼いていて少し疎外感を感じていました。
体調の面では、ホルモンバランスが乱れ、身体の変化が始まり、落ち着かない日々でした。
その頃はまだ自分の気持ちに気づく力も、気持ちを表現する言葉も知らなかったので「とにかく行きたくないし行けない」としか言えませんでした。
小さな子のイヤイヤ期のように、何だかわからないけど嫌なんだ!という気持ちを学校に行かないという方法で表現していたのかもしれません。
中学生
中学1・2年生は楽しく、それなりに学校に通っていました。
ですが、3年生になってすぐ、学校に行きづらくなりました。
男女10名ほどから、毎日悪口を言われるようになったのが原因でした。
悪口と言っても、ブス・デブ・死ね・臭い・消えろ・出しゃばりといった簡単なものでした。
ですが、1年間毎日大声で悪口を言われ続けるのは、とても苦しいことでした。また、彼らは、先生や他のクラスメイトにも暴言を吐いていたため
「大人には頼っても意味がない。」
「悪口を言われているのは私だけじゃないから、きっとこれはいじめではない。」
と思っていました。
気にしないようにしていました。
でもどんなに悲しみを押し殺しても、確実に心はすり減っていきました。どんどん朝起きれなくなり、毎日泣くようになり、過呼吸気味になる程泣きながら登校したりするようになりました。
その時の私は完全なる鬱病でした。でも登校しないと志望校に受験できないと思い、どんなに辛くても行っていました。行くことをやめられませんでした。
推薦の受験日(1月頃)以降は、1日も学校に行きませんでした。卒業式にも出ませんでした。
受験日以降は学校に行かず、高校から出された課題をしつつ、母とよく出かけて過ごしました。色々な人に出会い、母との時間をとれた、人生にとって意味のある時間でした。
それまで母とは分かり合えないと思いながら暮らしていましたが、一緒に出かける様になってからは心の底から信頼でき、私のことを愛してくれる大切な存在だと思える様になりました。
高校生
中学生の頃のトラウマと鬱病で行けませんでした。先生もクラスメイトも凄く優しくて、大好きで楽しい学校でした。
でも『学校』というもの自体が、怖くて苦しくて辛いものだと体が拒むのです。
制服の襟がチクチクして着れなかったり、教室の電気が目を刺すように痛かったり、感覚過敏が強くでました。
学校に行こうと思うと気分が沈み、動けなくなり、頭が痛くなりました。
「行かなきゃ」という焦りと、「体がいうことを聞かない」という葛藤でした。行きたくないのに行かなきゃいけない中学よりも、行きたいのに行けない高校の方が辛かったです。
高校一年生の終わり頃に「無理して通って心身ともに壊れてしまったら、今後の長い人生が楽しめない。今の私には少し休む時間が必要だ。」と思い、転校を決断しました。
高校2年生である今は、通信制高校に通いながら自分のペースで生きています。
鬱の影響で感覚過敏が生活を邪魔してきますが、その分多くの素敵な人に出会えました。私は今とても幸せです。
おわりに
私が所属する団体、NeBAの代表の言葉を共有させてください。
『学習拒否は問題かもしれないけど、登校拒否は別にいいと思う。』
実際学校に行かなかったことで成長できた私に、凄く響く言葉でした。身を守るための登校拒否もいいのではないでしょうか。未来のことを考えるよりもまず、今の自分のことを大切にしてあげるのもありだと思いませんか。
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