それでも世界と繋がるために 『水玉自伝 〜アーバンギャルド・クロニクル〜』について
『水玉自伝』について
アーバンギャルドが初めての自伝本を出す、と聞いたとき少なからず驚いたことを覚えています。
彼ら、特に主宰者松永天馬の、自分については語ろうとせず、語る時も比喩やコミカルな表現で相手をまやかす姿が印象に残っていたからでした。
もちろん本人もその態度には自覚的で、その背景には「自分自身を出すと、他者は気持ち悪いと感じる」という考えもあったことが本著でも語られています。
そんな彼が赤裸々に語るアーバンギャルドデビューまでの経緯は、異端児だった少年がアーティストとして社会に受け入れられるまでの流浪と苦難の日々でした。
学校という社会に馴染めず、将来の夢だったバレエも断念し、音楽で自己実現を図ろうとした浜崎容子のエピソードもこれに合致するように思えます。
両者は性格の面では正反対のような存在ですが、本著の序盤で語られる共通する「もがき」は、何かを表現する主体になるための産みの苦しみなのかもしれないなと感じました。
もちろん、ここでの表現とは何かを作品として発表することに留まりません。日常の会話や立ち居振る舞い、何を食べ、何を着て、誰とつるみ、誰と付き合うのか、その決断だって、個性を反映する立派な表現の一つと言えるのかもしれません。
そして、彼らの作品中の「少女」たちももがいています。彼女たちは、社会や学校に馴染めず、社会からはメンヘラとレッテル貼りをされるような存在です。
ただ、彼女たちは、自らへの欲望を利用し、恋の言葉を通じて他者と直接繋がることができます。
さらには、彼女たちは都市というメディウムを介し、匿名化された他者と繋がることができますし、都市に欲望される姿に意識的に近づくことによって社会と繋がるがる可能性を高めたり、擬似的に社会と繋がることもできるかもしれません。
しかし、その繋がりは都市というフィクションに依存しているため、極めて脆弱で、彼女たちの不安定さを解消するには至っていません。
そして、その不安さが、メンヘラ的行動として噴出しているのかもしれません。
ただし、そんな「少女」たちもいずれ主体性を獲得し、欲望されることで社会につながるのではなく、自ら欲望することで社会とつながるようになっていきます。
本著を読んで驚いたのは、バンドの状況と作品の中の「少女」、そして私たちが生きている社会が密接にリンクしていることでした。
バンド黎明期では「自己肯定感の低さから誰かに認められたいと願うメンヘラ少女」の姿が主に描かれていますが、それはバンドも誰かに認められ、「売れる」ことに目標を定めて活動していた時期でした。
彼らの苦悩や喜びは、「少女」たちの恋の苦悩や喜びと通ずるものがあるように感じました。「少女」たちが恋人や都市と共犯関係を結ぶように、彼らもまたファンと強固な共犯関係を結んでいったのかもしれません。
それを考えると、彼らのライブで恒例だった、舞台の写真に添えられた「セックスなう」というツイートも、単なる茶化しには留まらないようにも思えます。
バンド解散の危機では「老い/災害によって脆弱さを暴かれる少女と都市」の姿が、大震災に触発するように描かれています。メジャーデビューを飾ったにもかかわらず、震災で出鼻を挫かれ、レコード会社の無理解、事務所との軋轢に加え、メンバーの不義理で彼らはボロボロになっていきます。その姿は読んでいるだけで目を覆いたくなるようなものでした。
一方、社会においても、震災や原発事故などの影響で、大きな力に押し潰される絶望や無力感が蔓延していました。それゆえに、その中で彼らがつくり出した「生き残るための音楽」は多くの人にとって大切な作品となっているのかもしれないな、と感じました。
そんな状況を生き延びてたどり着いたバンドの再始動期では「病んだ環境の中でも個として生きる少女」の姿が描かれます。この時期の作品、特に『鬱くしい国』から『昭和九十一年』は個人的に難解な作品だったのですが、この本を読み鑑賞を深めることができました。
本著でも触れられているように、震災という「デカい一発」が来ても、終わりなき日常・昭和が続いている日本には閉塞感が漂っていました。
そんな中、一歩先に今までの環境を捨て、新たなフィールドで活動を模索していた彼らの作品は安穏と崩れていく日常の中にいた私たちにとっては難しくも必要な作品だったのかもしれないと感じました。
そして、令和という新時代に、アーバンギャルドという殻を飛び出し、より生身に近いソロ活動が本格化したこと、アーバンギャルドの作品でも『少女元年』、『ももいろクロニクル(REIWA RAP ver.)』のように直截的なメッセージソングが出ること、そしてこのような本が出ることは偶然にしては出来過ぎているように思うのです。
しかし特筆すべきなのは、本著で松永が言及しているように、強い個性と思想を背景にしているにもかかわらず、作品中の彼らの言葉は極めてフラットなことです。彼らはこちらに何かを直接訴えかけることも、時事問題への賛否など、何かを判断することもほとんどしません。
それ故に、彼らのメッセージ受け取るには私たちの能動的な鑑賞が必要で、作品に触れた感想も人それぞれのものになるのだと思います。しかし、だからこそ、そのメッセージや鑑賞の体験は個々人の中に深く残るのかもしれないな、とこの本を読んで感じました。
わたしの水玉自伝について
そのような形で彼らの作品に接してきた私も形は違えど彼らや「少女」のような苦しみを抱えていたように思います。私の言葉や思考、存在は他者の普通とは異なり、異なるが故に世界や他者と努めて繋がる必要がありました。
私が最初に与えられた世界と繋がる回路は勉学でした。大学教授と教育ママの下に生まれた私は幼稚園、小学校、中学校と受験し、名門中高一貫校に入学しました。しかし、そこには私の主体的な判断はほぼありませんでした。ただ、親や教師、直近の他者に認められ、許される手段として有効だったのが勉学だっただけなのだと思います。
そして勉学という回路が有効でない場所で、私は世界から孤立していました。今振り返ると、その孤独感や鬱屈は希死念慮にも満たない、通奏低音のような苦しみとして私の青春時代に流れていたように感じます。
大学生になり、一人暮らしが始まりました。ただ、住む場所や環境、周囲の人間が変わっても私の苦しみは大きく変わりませんでした。それまでまともに他者と交わる訓練を積んでこなかったのだから当たり前です。
そんな中、youtube上で偶然出会ったのがアーバンギャルドでした。彼らの派手なビジュアルや演出がきっかけで、『鬱くしい国』ツアーのライブへ参加したい、と思うようになりました。
これまでライブハウスに行ったことすらない私は、緊張しっぱなしでしたが、そんな中でも彼らの歌詞や言葉が自分の中にすんなり入ってくることに感動したことを今でも覚えています。それは、中二病の学生が、倫理の授業で「自分以外にもこういうことを考えている人がいるんだ」と知ったときのような喜びを伴う体験でした。
これが私とサブカルチャーとの出会いでした。
そしてアーバンギャルドは最初に触れるサブカルチャーとしてはうってつけの存在でした。彼らがパッチワークのようにつなぎ合わせた様々な作品や文化にあたり、屈折しながらも楽しい大学生活を送ることができました。それは、誰かの欲望したもので埋め尽くされている繁華街を歩くことと似たような楽しみだったのかもしれません。
しかし、まだ、触れる作品を選ぶという行為、そしてその作品を鑑賞して得た感想は、自分の存在を大きく反映しているという実感は持てていませんでした。
そんななか、大学も卒業に近づき、就活が始まると、もう勉学では他者と繋がれないという事実に直面することとなります。その苦悩は大きく、将来を悲観して自暴自棄になりかけたこともありました。
そんな中だからこそ、彼らの作品に込められた声は私の中に大きく響きました。
彼らの声に後押しされるように、誰もが持つその人固有の存在や言葉は、違うが故に他人にとって価値を持ちうるということ、他人に欲望されることへの欲望が幸せを産まないこと、そんな大事であるが故に誰も教えてくれないことを徐々に信じられるようになっていきました。
私は彼らの作り上げた青春のおかげで「少女」性を捨て、人間の大人になれたのだと思います。
そんな私は今、第一志望の職場で初期研修医として働いています。今は基本的な診療技術や応急的な対応を学ぶので精一杯ですが、将来は精神科医として、社会から異常とされ、切り離されてしまった人たちの手助けをしたいと考えています。
ただ、アーバンギャルドをはじめとした文化がが多くの人に受け容れられれば、正常範囲なんてものは限りなく拡大して、我々はお役御免となってしまうかもしれない、なんて思うこともあります。
最後にはなりますが、今、私たちはコロナウイルスによって都市や交通、仕事といった他者とつながるための回路/メディアを奪われてしまっています。多くの人々が、彼らが描いた「少女」、若き日の彼らや私のように、孤立しやすい状況に陥ってしまっているのです。
しかし、そんな中だからこそより一層、彼らの作品と軌跡は私たちにとって「私は他人とは違う」という根本的な孤独と向き合い、それでも世界と繋がろうとするための勇気を与えてくれる、そうあって欲しいなと思うのです。