脈絡と主題
日々の生活の中で次にすることをどう決めているだろうか、余程の難題で行き詰まる事でもなければ、大体において今やっていることの延長線上にある事を無自覚にすることになる。それが一区切りついたら、例えば前日にやりかけていた仕事とか、毎日続けていることとか、お腹がすいていれば食事をするとか、特に計画しなくても何らかの考えが自然に浮かんで行動に移される。何の疑いもなく当然のように。そう思うのは、やっていることに脈絡があるからだ。何の脈絡もないことを突然始める人はいない。
脈絡というのは、特に意識しなくても人の行動を規定する筋道であって、台風の予想進路のようにふらふらしつつも大体予想円の範囲に入る。間違っても、大阪にいた台風が次の瞬間北海道には現れない。脈絡はずるずると線状に連なっている。
小学生のころ、作文や日記の課題があると書くことに困った。何か特別なことがないと書けなかった。特に日記など毎日毎日そんなに特筆すべきことなんてないわけで、書いている子がいるのが不思議でしょうがなかった。
アーティストで作品がマンネリ化する人がいる。毎回同じようなものばかり作って変化がない。マンネリ化の原因はアイディアの枯渇だ。どうすれば汲めども尽きぬ泉の如くアイディアが出続けるだろう。美術を志した当初、自分にそんな素養があるか心配だった。
特別なことを書かなければいけないのではないか。毎回すごい作品を作りたい。そんな強迫観念や願望が思考停止を招く。
アイディアというものは日々の問題意識の中から脈絡をもって生まれてくるもので、突然現れるものではないということが当時は判らなかった。
「主題」すなわち書くべきこと、表現すべきこととは、生きていて「よく判らないことに出くわした時」に「それを判ろうとする自分なりの挑戦」であったり、ずっと気になっていた「謎を解く試み」であったり、「乗り越えるべき課題」であったりするわけで、詰まるところ、「判らないこと」や「謎」「課題」に対して無自覚に回避せずどれだけ意識的に向き合えるかということに尽きるのだ。
私たちは何も考えないで生きることはできない。考えなければならないということは、そこに判断を迫られる何かがあったのだ。しかし、冒頭にも書いたが、余程の難題で行き詰まる事でもなければ、大体において今やっていることの延長線上にある事を無自覚にすることになる。自動的に無意識が解決策を過去の経験からポンっとひねり出す。私たちは気にもかけず実行しそのまま忘れてしまう。
しかし、その無意識が発動する直前、一瞬考えた、あるいは考えようとしたその地点に「主題」が実は転がっているのだろう。