「エッシャーの宇宙」
はじめに
2018年3月13日、隣家の火事が延焼し我が家は全焼した。家財もろとも沢山の蔵書が灰となった。大好きだった本もたくさんあったがほとんど失われてしまった。失っても思い出す本というのは、やはり自分を構成している一部なのではないかと思う。何とか時間はかかっても買い直して側に置きたいという気持ちになる。ここに書く小文のタイトルは燃えてしまった本のそれだ。本文にはその本についてなぜ好きだったかを書いていく。そして、ご購読いただいたおあしを失った蔵書再購入のたしにさせていただこうと思う。また、最初にamazonアフェリエイトのリンクを貼っておく。リンクより本をご購入くださればそれも購入資金となり有り難い。
「エッシャーの宇宙」 ブルーノ・エルンスト (著), 坂根 厳夫 (翻訳), 朝日新聞出版 (1983/07)
小学生のころ、工作は好きだったが、絵なんて退屈と思っていた。しかし、のちに芸術大学に進学するまでにのめりこんだのは、彫刻でも工芸でもなく絵画だった。今思えば、その入り口となったのがこの本との出会いだった。
外連味あふれる図像がどのような思考過程で生まれてきたか、その発想や組み立てが詳細に書かれていて非常に興味深い。絵が単なる視覚の写しではなく組み立てうるものであると最初に教えてくれた本だった。
芸大に入るころにはその外連味ゆえに飽きてしまい、一度古書店に売ってしまったが、やっぱり自分にとって原点だったなと思い直し、数年前に再度購入していた。20年越しで手元に戻った時のしっくりと落ち着く感じは今でも忘れない。今回火事で焼けて真っ先に思い出す本の一つだ。
「無限」「反復」「循環」「入れ子」「複製」「ミクロからマクロへ」… 数理や自然科学の最新トピックを連想させるテーマを巧みに絵の構成要素に組み込む絵作りはやはり驚異的であり唯一無二だ。浮世離れしたイメージは時に幻想的ととられ、マグリットやダリ、デルボーなどと並べて語られることも多いが、エッシャーのコンテクストは文学でも心理学でもなく全く別のものだ。その主たるテーマはシステマチックな視覚的実験であり、醸し出される幻想性は絵画という表現による副産物にすぎない。とはいえ、その絵画としての表現も一級品だ。それはあたかも表情豊かに巧みに作られた仮面の下で冷静な表情による実験が遂行されているような、そんな佇まいを感じさせるのだ。
余談になるが、この本の訳者、坂根厳夫の編著「遊びの博物誌」シリーズも大好きな本だった。文庫化される前の単行本でぜひもう一度揃えたいものだと思う。この「遊びの博物誌」シリーズについては後日稿を改めようと思う。
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失っても思い出す本の話
2018年3月13日。隣家から出火した火災で我が家が全焼した。家人は皆、外出中で助かったが猫のジンジンは煙に巻かれこの世を去った。1月に保…
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