多分、FIREの先に幸せはない
自分は学生の頃からFIREのような生き方に憧れていた。
奴隷労働の中で勤倹貯蓄に励み、毎月可能な範囲で最大限の金額をインデックスファンドにぶちこみ、ある程度の資産(1-2億)を貯めて、奴隷労働から徐々にフェードアウト。自分の納得できる内容の仕事を、納得できる範囲でやっていく。それに対する強い憧れを持っていた。
社会に出て働き始めてから、可処分所得のうち可能な範囲をiDECO、NISA(現在は新NISA)にぶち込み、さらに余剰資金についても世界株式インデックスファンド、一部は仮想通貨(ビットコイン)に投資してきた。
全ては、FIREのため。奴隷労働から解放されるため。
しかし最近、FIREの先に自分の幸せはないのではないかとも思うようになってきた。FIRE、それは小金を貯め、社会とのつながりを金で「清算」する生き方である。社会における役割や背負うべきものを全て放棄し、金によってそれを「清算」する生き方の先に拡張性があると思えない。
若い人からは支持される生き方かもしれないけど、社会において一切の役割を持たずにただ生き続けるの人生はしんどいのではないか。知り合いで地主家系で相続財産だけで食っていける、働く必要がなくて実際に働かずニート状態の中年男性がいるけれど、未婚独身で見た目もパッとせず覇気がない。こんな人間は異性から見ても到底魅力的とは思えないだろう。
人生は振り返ってみればあっという間で短いだろうけど、全く何もしないにしては長すぎる。一切の「役割」のない人生は、多分自分は耐えられない。
もちろん資本主義社会である以上、金は重要な武器だ。もし仕事を続けられなくなった時に飢え死にしないためにも、精神的安定のためにも、家庭を持った時に家族を飢え死にさせないためにも、金は重要。
でも金だけで人生から自由になることはできない。その先も人生は続く。
金を最大限貯めながら、合わせて背負えるものは背負う。できる範囲で社会における役割を担う。あるいは、自分の使命なるものに邁進する。
そのために、自分は何が背負えるのか、どんな役割なら担えるのか、自分の使命は一体なんなのか。
これらを探すことが、きっと自分の今後の課題だと思う。