「放課後」の郷愁は永遠に得られない
直らないアクセントの悩みを打ち明けていたら、そばにいた人から「A県出身ですか?!僕、5年暮らしたことあるんですよ!」と声をかけられた。
A県って方言きついですよね〜〜
そうなんですよ〜なにげにねえ〜。で、アクセント違いなんかは自覚できなくてちっとも直らないんです〜。
とかなんとか話は続き、やがて彼から発せられたのが
A県の人って、学校の休憩時間を「放課」って言いますよね
だった。
――そ・そうだった ! そうなんだった !!
今ではすっかりあきらめたけれど、かつて『放課後』というワードの使われ方に対する違和感とはずいぶん闘ったものだ。。。
A県人であるわたしにとって「放課」「放課後」とは、授業終わりではなく、授業の間の休憩時間をさしていた。なんなら時間割に課目名と並んではっきり「放課」と書かれていた。
※「ほうか」と打っても『放火』としか変換されないことに今びっくりしています。。。「ほうかご」と打って『放課後』と出してから、「後」を消す作業をしなければならないとは。そ・そうなんだ……。
そうなると、「後」は何を指していたのかな?と今さら疑問だったりはするけれど、当時は普通に15分とか20分とかの休み時間をさして「放課後ねー」と約束していた。
だから、「放課後」というワードが感傷的な使われ方をするたびに、ふうん……? みたいな気持ちを抱き続けた。誰かにとって思い出深いなにかしらの品物や場所に対して、共感したいけどできない立場で「へぇ~そうなんだぁ」とちょっと寂しく見つめる感じだ。
ちょっと……いや、こと「放課後」に関しては、なにかとても大事な、切なくて甘酸っぱい感傷や郷愁を失わされているような気がしてしまう。
ともあれ、昨今それすらすっかり忘れていたなあ。青春は遠くなりすぎた。
★ ★ ★
最近たまたま娘と話していて、A県では「つらい」「苦しい」の方言が何かあるかと訊かれたとき
「ないなあ。基本みんなしんどい思いして生きてるからかなあ」とかちょっと乱暴な応え方をしてしまった。すみません個人の感想です。
でも、「放課」の件で思い出した。「しんどい」「つらい」「くるしい」=「えらい」だった。
あと、「ほうか」と通じるような気がしなくもない点では、呼びかけに対する返答で「ああ、そうですかぁ」というところが「あーほーか ! (語尾強め)」となるので、他県から来たばかりの人はなぜいちいち「アホか ! (語尾強め) 」と言われるのかと怒り出すという逸話も聞く。
「放課後」と同じくくりにしてよいかどうか判然としないけれど、「えらい」とか「あーほーか」、他には「つる(←机を持ち上げるの意)」など、同じ言葉が別の意味になってしまいがちなところは、A県言葉として全国的に話題にしてもらってもよいかも、とたまに考えたりしています。