【vol.7】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。
いざ、真夜中のウユニ塩湖へ
昼間のツアーを終え、20時ごろにウユニ市街に到着。
また3時からスターライト・サンライズツアーが始まるので、それまでしばしの休憩というか仮眠です。
実は滞在7日目にして時差ボケは顕在中。
そのため夜中に起きることは辛くなかったのですが、如何せん休憩なしにここまで来てしまったので、身体の疲労はピークに達していました。
それでもカイジに出てくる労働者のような顔つきでツアーバスに乗り込み、何とかウユニ塩湖へ出発。
道中はもちろんビルや街頭はなく、驚くほど真っ暗で。
日本のように夜でも青白い明りが煌々としている場所は、世界で見るとほんの一部なんだな。
真夜中のウユニ塩湖は、自分と満点の星空以外は何もない贅沢な空間。
人間の生活から遠く離れた場所だと、星の光だけでこんなにも空は明るくなるんだな。
ウユニ塩湖の必需品
私はミラーレスのカメラを持っていなかったのですが、この旅行のためにレンタルしました。
ウユニ塩湖での写真は三脚とミラーレスカメラを用いて撮影をしたものになります。
昼間はiphoneのカメラで撮影できるものの、夜空はさすがにミラーレスカメラがないと撮影ができません。
同じ車に乗ったツアー参加者の方は全員カメラを持っていなかったため、夜が明けるまでずっと車の中で過ごしていました。
ウユニ塩湖まで来て星空の撮影が出来ないなんて、なんともったいないことか...!
そのため私一人で夜空を撮影していたところ、たまたま別のツアーグループが近くにいたため、仲間に入れてもらいました。
長時間露光で撮影すると、このように光で文字を書いたような写真が撮影できます。
仲間の有難さが身に染みます...!
ちなみにこのグループは全員日本人且つ一人旅参加者の方が多く、ぼっち感を感じることなく参加できました。
ツアー会社よ、なぜ私をこちらのグループに入れてくれなかったのか...。
やはりウユニ塩湖ツアーは、参加者の方との相性が一番大事。
やわらかな朝の色
寒さで足の感覚がなくなりつつも夢中でシャッターをきっていると、段々空が白んできました。
もうすぐ日の出です。
太陽が昇ってくる方角には山があり日の出は見れませんでしたが、空の色が刻一刻淡い色になっていく様子はとても綺麗でした。
やわらかな紫色の空は、日の出の時間ならではの景色。
今でも朝がしんどいなぁと思ったときは、この紫色の空のことを思い出します。
目の前の現実的な朝は辛くても、世界の何処かでは美しく幻想的な朝があると知っているとは、日々をなんとか乗り越えていくための「おまもり」になっています。
あっという間に空は紫色から水色へ。
まだ太陽の光が弱く、昼間の濃くまぶしい色とは違い、ぼんやり淡い色。
和気あいあいと撮影していたところ、一人の方から「レインボーマウンテンで見かけました」と声をかけられて驚きました。
不審な行動をしていたのか、はたまたこの真っ青なパタゴニアのジャンパーのおかげなのか、国境を越えてもまた私を見つけてしまうなんて。(笑)
道中日本人に一人も会わなかったと思いきや、知らぬ間に結構すれ違っていたのかもしれません。
独り言とか聞かれていないといいなぁ...。
「ウユニ駅」に泊まる
今回宿泊したのは「Onkel Inn Wagon Sleepbox Uyuni」というホテルで、なんとウユニ駅を改装して作られたホテル。
なぜこのホテルに宿泊したのかというと、利用したツアー会社「hodaka」の真ん前だったから。
ツアー終了後、夜出歩くリスクを抑えるために、なるべくツアー会社近くのホテルに宿泊したかったのです。
結果的にウユニの目貫通りにも近く、大変良いホテルでした。
それでも日本人の方には出会わなかったので、日本人旅行客は少ない穴場ホテルなのかもしれません。
立地ももちろん素晴らしかったのですが、一番のおススメポイントは朝食のおいしさ!!
正直ボリビアの食事は口にあわず、ウユニに来てからもピザやパスタなど食べたのですが、脂っこいのに、味はなんかもの足りないというか...。
しかも観光客が食べるようなレストランは、平気で日本と変わらない料金をとってきます。
しかしこのホテルで食べた朝食はどれもおいしく、何なら日本で食べたとしても100点満点な味付け。
オーナーさんが毎朝作っているようで、愛を感じます。(そしてオーナーさんもすごくいい人)
なんとロビーでは日本対ボリビア戦のサッカーの試合がちょうど放送されていました!
数ある国同士の中でこの対戦表、なんという偶然でしょうか。
興奮しつつも久しぶりにJPNの文字を見て、ふと現実を思い出します。(笑)
ウユニ塩湖はあたりまえですが「塩」水なので、身に着けているものはあっという間に「カピカピ」になります。
今日の予定は16:00~のツアーのみだったので、それまで洗濯。
なんと長閑な風景でしょうか。
平和な街ウユニ
ホテルでまったりするもまだまだ時間はあったので、ウユニの街を散策します。
ボリビアの首都ラパスでは歩いているだけで危険を感じ、カメラを出すことすら憚られる雰囲気。
しかし、ウユニでは安心して街を歩ける雰囲気があり、写真を撮りつつ、ぶらぶらお散歩ができました。
観光業を生業としている地域は、観光客を守ってくれるような安心感があり、シティに比べ治安が保たれている気がします。
建物の様子はラパスとはさほど変わらないのですが、歩いている人の雰囲気がにこやかに感じます。
学校の周りはとてもにぎやか。
ペルーに比べ、民族衣装を着ている方の割合が少ないように感じました。
それでも生活の中に鮮やかな色を上手に取り入れています。
歩いている人、市場で売られているもの、子供たちの様子。
そんなものを観察して街の情報が自分の中にインプットされていく感じ。
あぁ、知らない街のお散歩はやっぱり楽しい。
ぶらぶらと歩きまわったのでお昼ご飯。
先ほどボリビアの料理は口に合わなかったと書きましたが、この写真を見れば何となくお分かりいただけるでしょうか。
何だか分からないけど、多分オムレツを頼んだのかなぁ。
旅をしたって死なない
数時間仮眠をとり、いよいよこの旅最後となるウユニ塩湖へ。
今回のツアー参加者はなんと全員が日本人。
皆さんは私よりも遙かに南米滞在日数が長く、何か月も他の国を回ってきた人、ウユニに長期滞在をしている人などなど。
前職を退職し、次の仕事が始まるまでの2週間で南米に来ていた私に比べ、旅の経験値がめちゃくちゃ高いのです。
当時の自分は仕事を辞めることも、南米に来ることも、とてもハードルが高く、「決められたレール」を外れて(外して)しまったなと思っていました。
大学を出たら新卒で会社に勤めて、結婚するまで(するのであれば)休まず働く。
呪いのようにその考え方は強く、心の奥底にこびりついていました。
しかし、この旅で出会ってきた人と会話をするなかで「決められたレール」なんてものは無いと、素直に感じることができました。
だって、会う人会う人みんな心から楽しそうで。
自分の人生を、自分の責任でめいいっぱい楽しんでいる。
会社を辞めたって死なない。
2週間、半年、1年...旅をしたって死なない。
そんなことは当たり前ですが、学校や会社だけの狭い生活圏で生きていたら忘れてしまう。
生活圏を飛び越えた価値観との出会いを、旅は与えてくれるような気がします。
いざ、最後のウユニ塩湖へ
ウユニ塩湖に行く道中に簡単な食事処に立ち寄りました。
とは言ってもウユニ塩湖に机やイスをただ並べただけの場所で、アウトドアな雰囲気の中、軽食や飲み物を頂けるようです。
四方をウユニ塩湖で囲まれているなんて、世界一景色の良いカフェだといえるかもしれません。
せっかくなので「コーヒーと呼ばれていたもの」を購入。
見た目はコーヒーのようですが、豆の味が薄すぎて麦茶のような味がします。
アメリカンを極限まで薄くすると麦茶になるんだ...。
コーヒーだと思って飲んだら「なんじゃこりゃ」でしたが、この麦茶に懐かしの日本を感じることが出来て、これはこれで良かったり。
そしてウユニ塩湖に到着。
本日は風も弱く、鏡張りを撮影するにはベストコンディション。
空と水面の境界線が分からないほど綺麗な鏡張りで、自分が景色の中で浮いているような感覚に。
昨日の空の色よりも淡く、幻想的な雰囲気がそう感じさせたのかもしれません。
日が暮れるにつれ、空の色がピンクに変わっていく様子がとても綺麗でした。
今までは写真を撮ることに集中していましたが、あまりにも美しい景色の前では写真も撮らず、空の色が段々変化していく様子をただただ眺めていました。
歩いても歩いても風景に終わりはなく、空も大地もぜんぶが夕焼けで。
風景と自分が溶けあってひとつになっていくような、あたたかな感情で心がいっぱいになりました。
これが、地球の裏側まで来て見たかったもの。
来てよかった。
最終日にして最大の危機
こうして2日間のウユニ滞在は危険な目に合うこともなく、天気にも恵まれ、無事終えることが出来ました。
最後の晩餐は中華料理。
本当にこの旅は中華料理に救われております。(しかもボリビアの空港で食べたものと同じ牛肉麺)
日本と同じくらいの料金でしたが、ボリビアで食べたものの中ではおいしく、旅の〆には最高の一品でした。
ツアーから帰ってきたのが夜の10時。そこから夜ごはんを食べたのでホテルに戻ったのは夜の12時くらい。
しかし何ということでしょう、ホテルの門の鍵が閉まっているではありませんか。
昼間は安全なウユニとはいえ、真夜中に女一人でふらふらするのは身の危険を感じます。
最終日の夜にして最大のピンチ...。
鍵をこじ開けるのも、塀をよじ登るのも無理そう。
万事休すか...。と諦めかけたその時。門の下に20センチほどの隙間を見つけます。
もうここを潜り抜けるしかホテルに帰る道はない。
覚悟を決め、隙間に身体をねじこみます。
最難関はもちろんお尻。柵が骨まで食い込みますが、構わず押し込みます。
勝利のゴングがウユニの闇夜に響き渡ります。
見事私の勝利。
疲れた身体に追い打ちをかける結果になりましたが、ボリビアで野宿の危機を脱出しほっと一息。
ここで学んだ旅の教訓。
「フロントの営業時間は必ず確認すること」
「柵をすり抜けられるように、(極力)痩せておくこと」
地球の裏側帰国録
そんな旅の教訓を守らなかったために、翌朝再びピンチが訪れます。
チェックアウト後そのまま空港に向かうべく、身支度を整えフロントに向かうと誰もいません。
チェックアウトだけなら受付に鍵を置くだけでいいのですが、問題は空港までの足。
ウユニは観光地とはいえ、タクシーがそこら中にいるわけではなく、ホテルなどで呼んでもらわないと来てくれないのです。
早くホテルを出ないと飛行機の時間に間に合わない。
絶望していた私ですが、ここで妙案を思いつきます。
そうだ、ツアー会社に行こう。
幸いにもツアー会社は開いており、無事タクシーを呼んでもらえました。
飛行機に間に合わないかもしれない!(空港までとても近いので、ギリギリに支度をしていました)と焦っていた私に、大丈夫だよと励ましてくれた皆さんありがとうございました。
ウユニに行った際はぜひ「Hodaka」を利用してあげてください。
と苦労して空港に到着したものの、飛行機のトラブルで出発が3時間も遅れたんですけどね(笑)
飛行機に乗り遅れる恐怖でヒヤヒヤしたあの時間は何だったんだ。
最後の最後でこんなトラブルが起こりましたが、逆に今までの旅程がすべてスケジュール通りに進んだことがラッキーだったのかもしれません。
ウユニ空港はとても小さな建物なので、もちろん時間を潰すような場所はなく、あとは出発するだけだったので現金もほとんどありません。
手持無沙汰に目の前の荒野を眺めつつ、心の中では次の飛行機に間に合うか問題で非常にハラハラしていました。
というのもウユニから日本に帰るまで、4回も飛行機の乗り継ぎを行うため、1つでも飛行機が遅れてしまうと、ドミノ倒しのようにどんどん次の飛行機に乗れなくなっていくからです。
既に次の飛行機(クスコからリマ)は確実に間に合いません。
おお神よ、普通に日本に帰らせておくれ...。
それでもなんとか飛行機はウユニを旅立ち、ペルーのクスコへと向かいます。
一秒でも早くクスコに到着してほしい一心で姿勢が前のめりになりますが、そんなことをしても飛行機のスピードが上がるわけでもなく。
こんなに不安な気持ちで飛行機に乗ったのは生まれてはじめて。
クスコ到着後はダッシュで航空会社のカウンターに向かいます。
乗るはずだった飛行機はすでに出発していましたが、同じ飛行機の乗客の多くは私と同じリマに向かう手続きをすると踏んでいたので、座席がなくなる前に手続きをすませたかったのです。
自分の英語が通じるか不安でしたが「前に乗っていた飛行機が遅れて乗れなかった。次に出発する飛行機に替えてくれないか」という旨を何となく伝えました。
もしかしたら不慮の事故なので、無料で変更手続きを行ってくれるかもしれないと思ったからです。
しかし結果はノー。
ウユニから乗ってきた便と、クスコから乗る便は別の航空会社だったため保障はできないとのこと。
こちらに非はないのに余分にお金を払うのは納得がいきませんが、外国に行くということは多少なりとも困難や理不尽を請け負うもの。
不満を「ぐぬぬ...」と飲み込みます。
幸いにも新たに云万のチケットを購入するのではなく、5000円程度の手数料で次の便に振り替えてくれました。
金銭的に安く済んでよかったのですが、次の便の出発は2時間後で、市街に出るには時間が足りないし、田舎の空港でぼーっとするには結構長い時間で中途半端に時間が潰れてしまいました。
本来であれば、早朝にウユニを発ったあとクスコ経由しペルーの首都リマで半日観光する予定でした。
海辺のオシャレなバーでサンセットでも見て優雅な気持ちで帰国...のはずが、ウユニでの機材トラブルのせいで全て移動時間になってしまいました。
しかし、逆に言えば観光のために空けていた時間があったからこそ、リマからの飛行機は遅れることなく、無事に乗ることが出来ました。
飛行機を4回も乗り換えなければならない僻地にお出かけの際には、どこかで半日程度「あそび」を持たせておくことをおススメします。
...一体どのくらいの人に役立つか分かりませんが。
余計な移動時間の疲れもあり、クスコからアメリカのニューアーク(ほぼニューヨークみたいな場所)、ニューアークから日本までの空路は気絶をしたかのように爆睡。
特にニューアークから日本までは機内食を一回も食べることなく、気が付いたら成田まであと30分だったという瞬間移動のような感覚を体験しました。
飛行機が着々と高度を下げていくなか、まだ日本に照準があわないぼんやりとした頭の中で、この旅の出来事を思い出します。
マチュピチュの山頂で一瞬だけ見えた青空、レインボーマウンテンで触れた馬の優しいぬくもり、ウユニ塩湖の空の色と交わしたことばたち。
自分の「日常」とあまりにもかけ離れた場所で起こった出来事は現実味がなく、別の登場人物の映画を見ていたような、そんな気持ちになりました。
もう間もなく飛行機は成田空港に着陸し、私は自分の「日常」へと帰っていきます。
だけど飛行機に乗れば、地球の裏側にだって行くことができるんだ。
「日常」の生活を営みながらも、これからもきっと、どこへだって行ける。
身体に大きな衝撃を感じ、キャビンアテンダントさんのシステマティックな声で東京の天気が伝えられる。
12時間ぶりになまった膝を伸ばして立ち上がると、東京を覆う曇った空も地平線の先まで続いていくのが見えた。
その他のお話
【vol.1】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。
【vol.2】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。
【vol.3】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。
【vol.4】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。
【vol.5】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。
【vol.6】ちょっと、ボリビアのウユニ塩湖まで。