22 めんどくさい同居人。
母もキーパーソンであったけど、兄もキーパーソンなのかもとふと思う。
年が離れてるだけあり、自分の名付け親(?)だったり、いろいろ年少時からやらかしている(?)兄であるが、今までいろいろ救けてもらっていると思っている。
我々の間には生まれてこれなかった姉弟がいる。
詳しくはカキコ出来ないのだけど、いろんな偶然が重なって生まれてこれなかった。
だから自分と兄は年が離れているのかもしれないけれど、その逢えなかった姉弟が居たら一体どういう人生を送れていたのだろうかと思う時が時々ある。
自分が生まれる前の話なので母から聞いた話なんだけど、兄はいまいち聞いていなかったようでして、最近教えた感じ。
「今更どうしようもない」
って言ってたけど、まぁ、そうなんだろうねぇ。でも、自分はその姉弟に今でも逢いたいのだ。
まぁ、そんな感じの我々なんだけど、子供の頃からよく周りから「仲良し」と言われてきた。
自分たちにとって「当たり前」だと思っていたことが周りの皆さんは「当たり前」じゃなかった、ということであった。
今は兄とふたり暮らしなんだけど、まぁ、いろいろありながらもなんとかやれております。
役割分担とかしながらね。
とにかく優しい兄でしてね。
小さい頃はよく兄が友達と遊んでいく時にくっついて行ったものです。
今ではありえないけども。(笑)
途中で自転車ごとひっくり返って号泣した時、抱きしめてくれたものです。
今はその欠片もございませぬが。(笑)
同じ血が流れているゆえか、仕事に関しては妥協出来ないところは似ておりまして、それでいろいろ兄妹揃ってヤラれたりしております。(笑)
自分は精神をヤラれましたが、兄は、ボディですかな?
兄はあんまし自分の意見を言えないタイプなので(自分とは正反対)本来はやりたくない業務や残業とか「そういう業界だから」という言い訳をして長年やってきました。
まぁ、兄は精神的にはかなり弱いと思われます。末っ子(自分)はある意味無敵ですからな。
自分が精神疾患になって「動けない」ってなった時にいろいろ言う母から守ってくれたのも兄でした。
母には精神疾患とかの知識が全くないし周りの目を考えてしまうのでいろいろ言ってきた訳であるけど、それなりに知識がある兄は「働く必要はない」って言ってくれたのである。
味方が居るのと居ないのとでは世界が違います。おかげでいまだに堂々と休んでおります。
母が居なくなり、「こんなに何も出来ないやつだったのかっ」と思うことは多々ありますが、なんとかフォローしつつこれまでやれております。
そんな兄が初めての入院でかなり落ちたことがあるんだけど、その時はどうやっていいかわからずにこちらも病みそうになりましたな。って、もう病んでるんだけども。
まぁ、退院してからはいつもの兄に戻りましていらいらしておりますが。(笑)
母も居なくなり、実の父ももう居ません。今の父を施設に入れていろいろやりながらふたりで生きております。
お互い頼れるのはお互いだけです。まぁ、叔母とか近所のおばちゃんとか頼めば救けてはくれると思うけど、出来ればふたりでどうにかしたい。
いつかはひとりになる時が来るのだけれど、兄は「(ひとりでは何も出来ないから)先に逝く」と言っております。
お互い持病はあるし、今後何があるかわかりませぬゆえどちらが先に逝くかわかりませぬが、同じ血が流れている者同士、いろいろ救け合って生きていけたらいいなと思っております。
まぁ、若くて爽やかなイケメンに「カモーン」言われたら速攻捨ててやるけどね。(おい)
だってさぁ、片づけられないし、ゴミ捨てれないし、あれも出来ない、これも出来ないっていうからこちらの仕事が増える訳ですよ。
母が居なくなった時も「結婚するな。するならマスオさんだ」とか訳わからんこと言いやがってさ。
なら嫁探してこいよ、自分でって思うよな。
こちらはまだ諦めてないのだっ。