男の虚船


東京都板橋区の端っこにガラパゴススタジオというスタジオがある。ガラパゴスケータイという造語が生まれる前からある。本当はその施設自体に名前があるのだが忘れてしまった。音楽スタジオがあって、その中で一際巨大なスタジオ、というか、ライヴハウスとしても使用できる部屋があってそこで音楽の練習などもできるのだった。
サンボマスターも使っていたらしい。
ぼくは『子供のころ、』というバンドに入ってそのスタジオをよく使っていた。子供のころ、のリーダーは、練習なんかよりライヴをやったほうが技量が増すけれど売れていない俺たちはライヴをやるのに金がかかる、ガラパゴススタジオを使えば客はいないが安価でライヴハウスで練習ができる、客席を見下ろすステージの上で演奏が出来、それは高い経験値に繋がる、という理由で練習はほぼ毎回ガラパゴススタジオで行うことにしていた。
しかしぼくの方の志向は独歩して、なんで演奏者が客を見下ろさなきゃいけないんだ、という考えに至り、やる気が無くなって、個人練習をしていないのに個人練習のためにスタジオに行ったと嘘をつくと「どこに行ったんだ」と訊かれ新宿の○○だと言うとなんとリーダーはその店まで行ってぼくがそのスタジオを借りたかどうか確かめるということまでした。すごい。
それから10年くらい経つとさすがに、自分を守るために嘘をつくよりかは自分の歩みを止めないために正直に生きることが多くなり、江古田のフライングティーポットというべニューはステージという概念が無いような場所で客席とステージに高低差が無い、どころか客席とステージに境界が無い、どころかフロア全体が客席でありフロア全体がステージとみなせるような場所でとても良かったのだが、ある日自分が客としてそこへ行ってみると、〈矢張りちゃんとしたステージがあったほうがよく見えていいのでは?〉という感想を抱いた。
それに16歳か17歳の時分に川蝉というバンドのライヴを観ているとギターボーカルのワガユージさんが或る意味で歌いながら自殺して、ステージから飛び込んできたのだけれどそれもステージの高さがあってこそのものであった。
高さの話なぞ終わるわけが無いのだ。
田村隆一が〈おれは垂直的人間〉と謳っても批評家は〈あの人はああ言いながら実に水平的であった〉と言うし、
それでそう、ぼくの船だ。
ぼくはカナヅチだ。ウエットスーツを着て沈んだこともある。祖父は漁師だったしぼく以外の親族は皆泳げる。
虚船は黒く光っている。
あんたの構想にゃあ、あんたの方向性にゃあ立体性が足りないんよぉ、と言われたことがある。それは確かにそうだったかもしれない。
しかしぼくはわりと木登りなどはできるほうだし高いところから飛び降りることもできる。
ぼくの人生が終わる前にぼく以外のすべての物語が終わればいいのに、と思ったことが何度もある。
年号、それは幻想だ。
誰もおれを見つけることは出来ないと思うけど、あしたは出来れば自転車に油をさしたいと思った。

基本的に無駄遣いします。