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星野 厳起|自己紹介

はじめまして、星野厳起(ほしの げんき)です。

株式会社ウルトラホールディングスで人事・広報を担当しています。
また、”仕事と人生を☝にシフトする”為の情報をX(Twitter)で発信しています。

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このnoteでは、星野厳起がどんな人間なのかお伝えできればと思います。
長くなりますが、是非お読みいただけると嬉しいです。


略歴

・1985年生まれ
・新潟県魚沼市出身
・二松学舎大学文学部国文学科卒
 中学校・高校の国語の教員免許取得
・蕎麦屋で半年バイトののち東南アジアでバックパッカー
・与論島でバイト
・佐川急便の仕分けの深夜バイト
・株式会社ワイエスホーム入社
・株式会社Shiftを設立
・株式会社and Shiftを設立
・株式会社ウルトラホールディングスにジョイン

誕生~学生時代

1985年10月26日生まれ(マツコ・デラックスさんと同じです)新潟県魚沼市出身です。魚沼産コシヒカリの産地で、私の実家の周りも田んぼだらけでした。

中学校までは運動神経万能、勉強もそこそこできるといった子どもでした。推薦で高校に入り、入学後のテストでも上位でしたが、順調なのもここまで。遠距離(高校生にしては)の彼女ができ夢中に。授業中も隠れてひたすらメール。。。成績はがた落ち。。。赤点とりまくり。。。中学生のころから教員になりたいと漠然と思っていましたが、大学に入れるわけないと諦め気味に。。。

勉強は諦め部活のサッカーを頑張りました。大会での成績こそ振るいませんでしたが、強豪校とも渡り合えるくらいの実力の中、気合を入れるために坊主にし、1年の秋からサイドバックのレギュラーを勝ち取りました。

いよいよ高校3年生、進路を決めなくては。現実的に専門学校かなと思いつつもまだなんとなく教員になりたい思いはありました。3年の1学期の成績は3年生1年分の成績になる?よく覚えていませんがそんな感じのことを先生に言われ、希望を持ちました。要は3年の1学期頑張っていい成績を出せば今までの成績の平均が大幅に上がるから推薦もらえるかも!といった感じです。
それでまさかの大学行ける可能性が出てきて猛勉強。もともと体育や家庭科などは成績が良かった(10段階の10!)ため、なんとか推薦に必要な成績を確保!国語だけはなぜか勉強しなくてもできたため、文学部に無事進学できました。

二松学舎大学・文学部国文学科に入学。1~2年は千葉県の柏、3~4年は東京の九段下という変わった環境でした。
親への感謝の気持ちがこの頃非常に芽生え、大学では勉強を頑張ることに。勉強熱心な友達に恵まれたこともあり、いつも授業は前の席で受けていました。
しかしこのころファッションに目覚め、派手な服に髪型も色も奇抜(ファッション雑誌でいうとCHOKi CHOKiやTUNEでしょうか)そんな感じでも一番前で授業を受けているので非常に目立っていたらしいです。

そんなこんなでしっかり単位もとり、いざ4年生へ!教育実習も大満足のままに終わり、教員採用試験へ!とは行かず。。。
教育実習は非常に楽しく、校長先生にもS評価をいただき終わりましたが、「このまま教員になっていいのか?」と思い始めました。生徒と距離が近かったこともあり、色々な相談を受けました。恋愛相談、進路相談、学校が楽しくない、家庭の悩み、などなど。このまま教員になったら学校しか見てないのに、アドバイスなんてできないのでは?もっと広い世界を見なきゃ!と、ここでこのまま進むと思われていたレールがぶち壊れました。

色々検討した結果、やろうと決めたのは海外でバックパッカーになろう!でした。
もともとのバックグラウンドがあったわけではありません。1人で旅行に行ったことなんてなかったですし、海外も1度中国に大学のツアーで行っただけ。「深夜特急」という小説を読んだくらいで決めました。今までの自分とかけ離れてるからこそ行こうと。

バックパッカー時代~就職

星野 厳起 (1)

自分とかけ離れすぎてやっぱりや~めた。となりそうだったので、周りの人に「おれは海外に一人旅に出る!」と宣言しまくりました。
大学卒業後お金を貯める為に半年ほど知り合いの蕎麦屋でアルバイトをし、いざ海外へ!

行きの飛行機のチケットのみ用意し、初日に泊まるところも決めずに飛行機に乗り込みました。まずはベトナムのハノイへ。

飛行機を降りてまずは市街地に行かなくては、、、でもいきなり行き方がわからない、、、他のバックパッカーらしき人たちがいるのでなんとなくそうかなと思いワゴン車に乗り込みました。どうやら大丈夫そう。
「どこのホテルに行く?」みたいなことを聞かれた気がしましたが(現地の言葉はもちろん、英語も全然わかりませんでした笑)、決めてなかったのでガイドブックの一番安い宿を見せて、ここ!と伝えました。

いきなりやられました。。。
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バックパッカー編はしっかり書くと長くなるのでまた別の機会に書くことにします。すいません!!
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日本に戻ってからはベトナムの宿で知り合った人の紹介で与論島でアルバイトをすることに。住む込みでホテルのレストランやバーベキューのホールを務めました。

東京に戻ってとりあえず佐川急便の仕分け工場で深夜のアルバイトをしつつ、そろそろ就職しよう!と活動を始めました。
海外の頃から少しずつ思考が変わり、その頃は教員という道はほぼ考えなくなっていました。
何がしたいとか、何が向いてるとか全然わかりませんでしたが、東京に戻って部屋探しをして、不動産屋の営業っていいなと思って方向性が決まりました。ここだけの話し、、、人見知りで人と話すのは得意じゃありません(汗)。これまた自分とかけ離れてるいので選びました。力を試してみようと。

新卒のゴールデンチケットを捨てた私。就職活動はよくわからないままハローワークで探してとりあえずエントリー。準備もろくにしないまま面接へ。という状態。もちろん大手不動産屋は全滅。なんとか中小の不動産会社に採用してもらいました。

正直ハローワークは頼りにならず、この頃転職エージェントのサービスが身近なら良かったのになと後になってすごく思いました。

就職時代

不動産会社の営業としてスタートした初めての正社員。
もともと声が低くて小さい私。しょっちゅう「声が小さい!」「声を高くしろ!」と言われました。

「やっぱり向いてない。。。」

何度も思いましたが、負けず嫌いな私。なんとかいい成績を出せないかと本を読み漁り、営業する度に反省し、改善方法を考えて、実行して、考えて、実行して、考えて。。。をひたすら繰り返しました。考えた量なら誰にも負けないでしょう。

すると、入社半年で50名くらいの営業の中で売上トップに!
それまでは暗中模索状態でしたが、この頃から「なるほど、こうやればいいのか」と自分の中で営業方法が確立されてきました。そうなればこっちのもの。それからはほぼトップ独走状態。入社から1年で半年間の売上の記録と、1か月の売上の歴代記録を樹立しました。未だに破られていないとか。あとで知りましたが、賃貸甲子園という繁忙期の賃貸営業マンの成績を競う全国大会のようなものがあるのですが、その記録を見ると、全国1位の方の売上より私の方が上という驚愕の事実が判明しました( ゚Д゚)

入社から1年半で店長になり、店舗運営、人材育成を経験し、入社から4年ほどで独立を決意。

起業~現在

2014年9月、28歳で起業し、株式会社Shiftという不動産会社を創業しました。
いわゆるお部屋探しのお店を運営しました。店舗オープンから2か月目には資金が尽きるのでは!!??みたいな状態から経営がスタートしました。笑

不動産会社はもともと、お部屋を探しをしている人からも、働いている人からもイメージがあまり良くなかったので、これを変えよう。と思ったのが起業のきっかけです。

約9年間経営し、現在は譲渡しております。

また、2021年6月。今まで経営の中で採用に携わり、面接をし、人材育成をした経験を活かし、人材紹介会社の株式会社and Shiftを設立しました。自らもキャリアアドバイザーとして転職支援をする中、転職して終わりではなく転職してからもサポートしたいという思いが芽生えました。また、経営をしていく中で人・採用は経営の中でも最も重要と言っても過言ではないということを実感し、採用に携わりたいと思うようになりました。そして、自分の会社を辞めてでも入社したいと思える会社があればそこで人事をやろう。と考え辿り着いたのがこの株式会社ウルトラホールディングスです。

改めて2024年4月から株式会社ウルトラホールディングスに入社し人事として働いています。みなさんと面接でお会いできることを楽しみにしております。


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