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娯楽は飽和しない

 先日私はふと「娯楽に終わりはないのではないか」と思いました。そう思うと同時に、少し前に「娯楽はもう飽和している」という記事があったことを思い出しました。そこで「自分の考えをまとめてみたら面白いのではないか」と思いこのブログに自分の考えをまとめてみようと思います。
 皆さんはどう思いますか?読む前と読んだ後で意見が変わったら、とても面白いですね。

1.飽和とは何か

 まず飽和と言う言葉の意味が何かを考えてみましょう。飽和と言う単語を辞書で調べてみます。

・最大限度まで満たされている状態。ある状態量を増加させる要因を増してもその状態量が一定限度に止まる、それ以上増えない状態。
・色の純粋さを表す語。白・灰・黒の混入が少ないほど飽和の度合いが大きい
・作業に飽きが来ること。心的飽和。
(出典:広辞苑)

 これが辞書に書かれている飽和の意味です。つまり、「飽和状態」とは新しいのもが入る余地のない空間であるとわかります。

2.娯楽が飽和するとは

 次に、娯楽が飽和するとはどういう事か。具体的な例を挙げて考えてみましょう。

 まず娯楽が飽和しているとき、世界にあふれる娯楽は既存のもののみです。すでに消費されたことのある娯楽と言う意味では「再放送」と言う言葉が一番わかりやすいですね。この再放送の中には「リメイク」、つまり既存の娯楽を新しい「役者」、「脚本」、「絵」、「CG」などによってつくり替えられたものは入りません。

 ここから、娯楽が飽和するとは「新しい娯楽が増えない」ことだとわかりますね。

 現代の娯楽にあふれた世界を考えると、娯楽が増えない世界と言うのは考えづらいように私は感じます。日常にあふれる娯楽のことを思うと、人間は娯楽なしには生きていけないのかもしれませんね。

3.現在の状況

 私たちには、様々な娯楽が与えられています。それは「テレビ番組」や「動画などの配信サービス」、「演劇」、「スポーツ」等様々です。皆さんも毎日ひとつは娯楽を消費していると思います。私たちの身の回りにある娯楽は絶えず増え続けています。このブログもその一つと言えます。

 娯楽は消費されるものです。そして、その消費する娯楽は自身で選ぶことができます。つまり私たちは自身で使用するサービスを選択し、消費する娯楽を選んでいるという事です。

 ここで大事なことは、「自分で消費する娯楽を選んでいる」という事です。私たち人間に与えられている時間は有限です。そして娯楽に使える時間も有限です。

 よって「私たちが娯楽に使う時間は有限であるが、選べる娯楽は無数に増え続ける」のが現代の状況です。ここから娯楽を消費する側から考えれば、「娯楽は飽和しない」ということが分かります。

もし娯楽が飽和しているのであれば、noteに私のブログを上げることはできないでしょう。

4.終わりに


 今回は私が「娯楽は飽和している」と言う言葉に疑問を覚えたので、自分の頭の中身を整理するという意味でブログに書き出してみました。

 書いてみて思ったことは、「私は消費者の立場で物事を考えている」という事です。しかし現在の私は、皆さんにブログと言う形で娯楽を提供している立場です。ですので、次回は娯楽の提供者と言う視点で同じ題材を考えてみようと思います。

 今回の記事について思ったことがあれば、皆さんの考えをコメントに書いてみてください。フォローやスキもお待ちしております!

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