「おられる」とは? 〜敬語の話〜
※特に後半部分にてお話しする歴史的内容に学術的な根拠は全くございません。一考察としてお楽しみください。
こんばんは!ステーキソースです!
普段は塾や教育についての話が多いのですが、今日は、趣向を変えて、敬語に関して、最近考えていたことがあるので、それについてお話ししたいと思います!
皆さんは、「おられる」って聞いたことがありますか?
誰かを訪ねる際などに、「〇〇さんおられますか?」という表現をしている人なんか見たことあるんじゃないでしょうか?もしかしたら、私も使ってる、っていう方もいらっしゃるかもしれません。
ですがこれ、厳密にいうと間違いなんだそうです。
日本語の敬語には、大きく分けて三種類の敬語があります。尊敬語、謙譲語、丁寧語、というやつです。国語の授業で習った方もいらっしゃるでしょう。これらの区別を考えてみます。よく言われるのが
尊敬語は「相手を高めて敬意を表す」、謙譲語は「自分を低めて相手に敬意を表す」丁寧語は「ですます言葉」というやつですよね?でも、この敬語の敬意がどこに向いているのかがわからずに間違った言葉を使っている人、意外と多いんです(^^;;
謙譲語の自分を低める、へりくだる、というニュアンスがうまくつかめずに敬語の勉強をやめちゃう小中学生もとても多いのですが、もしこれを読んでいたならば、この後もう一回教科書の敬語のページの例文読んでみてほしいなあ、、、
敬語は、その種類によって、文中の誰に敬意を表すかが変わるのです。具体的には、尊敬語ではその文の主語、謙譲語ではその動作の受け手(目的語)、丁寧語ではその文の読み手・聞き手に対して敬意を表すのです。目的語、とは文中で、「〜を」にあたる言葉です。
例は下のような感じです。
「もうすぐ先生がいらっしゃるよ」(主語である先生への敬意を表す尊敬語)
「山本様よりお菓子をいただいた。」(目的語のお菓子を中継した山本様への敬意を表す謙譲語)
「僕がその仕事を請け負います。」(聞き手に対する敬意を表す丁寧語)
このルール、大学入試の古文で聞いたよ!って人は結構多いんじゃないでしょうか?そうなんです。古文の舞台の平安時代から1200年経った今でも、日本語の敬語の文化はこれっぽっちも変わっていないのです!
ではここから本題の、おられる、という言葉について話していきましょう。先ほどの例文に名前を入れた「山本さんおられますか?」という例文で考えてみます。
おられる、という言葉は、おる+れる→おられる というふうにできています。れる、とは尊敬の意味を表す助動詞です。主語の山本さんへの敬意を表しています。
では、おる、はというとこれは、いる、の謙譲語です。謙譲語なので、動作の受け手への敬意を表すわけですが、そもそも、いる、には受け手がいません。
古文のように、敬意を表す相手が何人も出てきて、主語にも受け手にも敬意を表さなければならない状況なら、こういうミックス語もあるのですが、現代語は省略の文化が薄れたり、身分制が緩んだこともあって、異なる敬語をミックスすることはほぼなくなりました。つまり、「おる、は、いる、の謙譲語だから尊敬の形にしてはいけない」のです。
こういう場合は「山本さんはいらっしゃいますか?」が適切な敬語ということになります。
ところで、敬語は数多くあるのになぜ、おられる、の誤用はこんなにも正解っぽく聞こえるのでしょうか?それは実は、間違いにならない場合があるからなんです。
それは、方言の場合です!
私の地元は四国の香川県なのですが、小中とお世話になった先生が、そのブログの中で、おられる、という表現を多用していて、この先生はわかってるはずなのにおかしいな、と思っていたのです。
香川県をはじめ西日本の多くでは、いる、という言葉が、方言として、おる、に変わることが多くあるのです。
「山本くんおらんの?」「さっきまでおったけどもう塾行ってしもうたわ」
みたいな感じです(^o^)
このような場合であれば、おる、に謙譲語としての意味合いはないので、おられる、と言ってもただの尊敬語のため、誤用ではありません。
歴史が進むにつれ、日本国内でも人の移動が活発になり、方言を話す人が標準語の地域で話すことが増えた際に、謙譲語と方言の2つの、おる、を区別できなかった標準語圏の人が「敬語を2つ繋げている!より敬意が表せる!」と勘違いしてしまったのではないでしょうか。
冒頭でも申しました通り、おられる、の誤用の広がりについて学術的な根拠は全くないのですが、言われてみるとそんな気がしてきませんか?笑笑
これを機に、もう一度、敬語について勉強してみるのもいいかもしれませんね!素敵な日本語ライフを送りましょう!!!
ご清聴、ありがとうございました!
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