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ブラジルでの父の軌跡を辿って、自分探し(4)

リオ・デ・ジャネイロ

 サン・パウロからリオまで、車でほぼ丸一日かかる。飛行機でひとっ飛びという選択や、高速バスという方法もあった。しかし飛行機は高すぎると思ったし高速バスはなかなか複雑で、しかも相当治安的に危険とも聞いた。そこで、車移動を決行した。結果、正しい選択であったかはよくわからない。いろいろヤバいことにもなったが、車でしか経験できないことをたくさん経験したとは思う。

 驚きのブラジルの交通事情といえば、まず高速道路でも人が歩いていること。横切る人もいるし、横断歩道的なものすらある。中央分離帯があっても、人が通れるところも用意してある。中央分離帯で、乳幼児を抱えて、小さい子供の手を引いて道路を横断するチャンス待つ若い母親も見かけた。東京の首都高速のような構造になっている高架で、下に海か川があるところでは、背後を100キロの車がビュンビュン通るというのに長い釣り糸を垂らして釣りをしている人がいたりする。また速度規制は商業用車と、パッセンジャー車では違うようである。それで、一つのレーンでゆっくり行こうと思っても、さすがに商業車がゆっくり過ぎて、追い越さないとならない。そこのレーンで居座ろうと思っても、しょっちゅう、気が狂ったような高速でどけどけーと言っているとしか思えないような車のために道を譲らないとならない。それから、都会ではとにかくバイクが多く、クラクションを鳴らして、自分の存在を知らせながら、縦横無尽に追い越して来るから、恐ろしくてたまらない。実際、一度はぶつけられた。それと、これは帰国してから知ったのだが、至る所にスピードを検知するサンサーとカメラがあるらしく、スピード違反者には後からどかっとチケットが送られてくる。ブラジルの運転者よりも安全運転である自信はあるが、正直杓子定規に制限速度は守っていなかったのだろう、随分多額のチケットの請求を後日された。もう一つは、至る所で山火事(?)があった。開拓のため土地を焼き払っているらしい。


写真 21 リオ・デ・ジャネイロへの道

 バイクにぶつけられた後、かなり気が動転して、ガソリンスタンドに寄り忘れて、ガソリンスタンドをずっと探しながら運転していたが、どうしてもなくて、もうガス欠になりそうだった。それで、サービスエリアに止まって、しばらく途方に暮れていた。すると、話しかけてくれる人がいて、英語を話せる人を連れて来てくれたり、同じような立場の人を連れて来てくれたり、非常に親切にしてもらった。そして、ハイウェイ・レンジャーのような人が車でガソリンスタンドまで連れて行ってくれた。容器も貸してくれて、注入もしてくれた。治安が悪いことで有名なところだが、実のところ人々は非常に人情深く、一歩踏み込んで助けてもらえたことが幾度もあった。

 丸一日かけて、リオに近づいて来ると、早速、遠くの山の頂にリオの象徴とも言えるキリスト像があることに気がついた。本当にリオ全体を見守る神のようだった。小さい頃から写真で見ていた物の実物だ。神経疲労も限界に達していたが、胸が躍る。

 リオでは撮りたい構図のビーチ写真があった。だけど、治安的に朝方や夕焼け時、ストリートで一眼レフのカメラを一人でじっくり操作するには危険すぎるということで、ホテルから撮れる場所を探して、そういう観点からホテルを選んだ。


写真 22 コパカバーナのビーチ


  リオのホテルの最初の朝、朝食の最後の方で気がついたマンゴーがあまりにも美味しかった。ブラジルはフルーツ王国とも呼ばれているらしいが、さすがに美味かった。アジアのマンゴーも最高だが、南米のマンゴーも素晴らしかった。そこで、2日目の朝は、マンゴーをたくさん食べてやるって思い、朝食会場が開いてすぐに勇み立って入っていった(時差ぼけでとにかく朝早く目覚める)。しかし、マンゴーはまだ出てきていない。その前の日も、結構後になって出てきたので、最後の方に気がついたのだろう。それでも、どうしても食べたかったので、係りの人にリクエストした。すると、マンゴーはまだ切っている最中らしかった。それでも、まずは一人分を出してくれて、その後、全体的に持ってきていた。その、取り急ぎ一人分出してくれた対応にサービス精神を感じた。そして、やはりとにかく美味かった。僕はプリンも好きではあったが、ブラジルのプリンの甘さには驚愕した。ザラメの固まりかっていうくらい甘かった。父の甘党はこういう影響もあったのではないかと思う。ブラジル滞在中に出されたコーヒーを一口すすってみたが、そりゃー甘かった。父がコーヒーに砂糖をたくさん入れるのも、ブラジルの習慣から来ているのではないかと、想像した。


写真 23 オーラ・ホテルの朝食(1)
写真 24 オーラ・ホテルの朝食(2)


 リオで丸一日過ごせるのは1日だけ。父の写真にもあったコルコバードの丘の贖い主(キリスト)の石像と、シュガーローフ(ポンジアスカール)のロープウェイ、これだけは外せないと思っていた。そこで、いろいろリスクの伴う車移動はやめておいて、1日だけはガイドを使うことにした。正直、ブラジルでの運転には飽き飽きしていた。グループのつもりだったが、観光客は僕一人だったので、個人ガイドみたいだった。乗りたかったコルコバードの丘へのトラムには乗れなかったが、総合的に考えて、これは正しい選択だったと思う。父の写真に合わせたこだわりの比較写真を残すためにもガイドをつけたのはよかったと思う。

 まずは、コルコバード。トラムで登って行くことを期待していたけど、バスだった。まぁ、しょうがない。残念ながら、当日は霧が深くて父の写真にあったコルコバードの丘から見えるはずのシュガーローフの岩山は見えなかった。キリスト像は写真で見たそのままの姿がそっくり残っていた。圧倒される姿だった。この感動だけはシェアしたいと思いその場で両親にも電話したりした。父はこの場所に2度来ているようだが、初めて来たのはまさに初めてブラジルに降り立った日のようだ。当時から、この場所は観光の要、有名所で、ブラジル到着の実感をひしひしと感じたに違いない。特に、長い船旅の到達点として。父は、このリオ・デ・ジャネイロに着いた後、さらにサン・パウロに、旅の最終到着点として、翌日降り立つことになるのだが。



写真 25 コルコバードのキリスト像 2018年7月7日と1961年8月13日


写真 26 コルコバードからの風景 2018年7月7日と1955年12月5日  


写真 27 コルコバードのキリスト像



その後は、少しリオの市内観光をした。暑い中、結構歩いたのはきつかった。正直、市内観光にはあまり興味がなかったが、シュガーローフに上がるのが少しずれたお陰で霧が晴れてきたというのもあったと思う。でも特に治安の悪いところもガイドさんがいれば、安心して観光できたのも良かった。



写真 28 セラロンの階段



 そして、ついにシュガーローフのロープウェイに乗る。ロープウェイは2段階になっていて、父の古い写真と比べながら、自分の中の歴史的観光地を堪能した。父が立ったであろう撮影スポットも見つけて撮影した。霧は晴れていて、コルコバードの丘も見えて、遠くから臨むキリスト像も感慨深いものがあった。


写真 29 シュガーローフから臨むコルコバードの丘



写真 30 シュガーローフ中腹での撮影 2018年7月7日と1961年8月14日



写真 31ロープウェイステーション上部 1961年と2018年  


写真 32 シュガーローフから見える軍施設のグランド 2018年と1961年



写真 33 シュガーローフ中腹のステーション 2018年と1961年


写真 34 2018年と1961年のシュガーローフの下部のステーション


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