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『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』初回鑑賞レポート
こんばんは。
ようやくネタバレ解禁らしいので、先日観に行っていた『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』の初回鑑賞後の感想を放ちたいと思います。
現時点ではプロセカ5年目、なかなかストーリーは追っかけ切れていないけど欠かさずプレイは続けている、そんな感じです。
そんな中、まさかの劇場版、しかもオリジナル(パラレル)ストーリーであるということでどうなんだろう、からのスタートです。
ちなみにライブと同様、本編映像なんてものはないですからスクショは実質ありません。あしからず。
情報公開から鑑賞まで
しかし、情報解禁早々に告知された何度も観に来いと言わんばかりのスタンプラリー施策の展開などもあってちょっと煙たい気持ちもあったりしました。なんですか26回て。そうそう聞かんぞそんな数字。
後に超大幅緩和したとはいえ、CD配るとかコレクター泣かせ転売厨大歓喜なことやるしでなんだかなー、という気持ち。
とはいえ一回は見てもいいでしょ、ということで見てきました。
踏んだ情報は第一弾PVと、プロセカ生で早々に公開しやがったされた劇場版で使われる新曲およびその曲名くらい。いや後者結構痛いネタバレなんですよ?
前置きが長くなりましたがそんなこんなで初回視聴。
ここから記すのはその時のメモベースにストーリーと買ったパンフまでの範囲で組み上げた感想文です。見落としやら気づいてないことやらいっぱいあるでしょうが、あくまで一回通しただけでどこまで考えられるか、というのが観点だったりします。では本編どうぞ。
本編について
結論
まず結論から。
劇場作品にふさわしい事象規模、メインキャラたちの最低限理解させつつ活躍の場も割り振った上で、プロセカ世界観を土台に「ミク」という概念をしっかり描いた、まとまりの良い作品だった。
ところどころ違和感ある描写もあったが、没入感は損ねない範囲であったので許容。鑑賞後の後味も爽やかで語らいたくなる作品でもある。
こんなところでしょうか。
ゲームにせよなんにせよ、私がシナリオの感想書く時の大きな土台は、「地に足ついているか」です。ファンタジーやフィクションが入るならそのルールは理解させた上で、用意した舞台の上で、起こりうる事象の範囲で物語が進むことが一番大事と思っております。
この後ストーリーに沿って色々と書き残しますが、基本この考えベースで感想喋っていきます。
開始~一歌とバツミクの出会いまで
最初は日常とセカイ、そして世界にバーチャル・シンガーたちがいる描写のあと、いくつかの人物にバツミクがアプローチする描写に移ります。
早速気になったこととしては、バツミクが電子機器を渡り歩くたび、周囲の電子機器まで異常を起こすこと。アプリだとそんな描写なかったはず…?
こういったところはどうしても違和感となったりします…が、これはある程度解釈は出来そうです。
バツミクが居る、「閉ざされた窓のセカイ」では、誰かが夢を捨てる度、ミクの概念と言える「0」「1」のオブジェクトとともに塵が吐き出されます。
つまりこのセカイはセカイが消滅したあとの掃きだめになっている…という解釈が出来そうです。壊れたセカイの果てもまた、壊れたセカイ。
夢や願望の種からセカイは生まれ、確立していると思われますが、ここまでの考えからバツミクのセカイは壊れている状態。それゆえに移動する際に電子機器は異常をきたしている、という見方になりました。
そんな中、ふとしたことで一歌がバツミクを目撃。
なぜ一歌たちセカイの訪問経験者はバツミクをノイズなしに声も明瞭に聞けたのか…
ここでひとつ疑問になるのは、ワンダショのイベスト「ワンダーマジカルショウタイム!」で描写されたパレードでのバーチャル・シンガーたち。
当時合理的な考えを持っていたえむの兄たち含め、フェニランにいた人、それを動画越しに目撃した人すべてがホログラムの彼女たちを視認できているように描写されています。
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あれを考えるとバツミクも誰もが視認できてもおかしくない…のだけどセカイに入れる人以外にはノイズ交じり。
壊れたセカイの住人に限りセカイとリンクしている人物でないと正常に知覚できない…ということなんだろうか。
バツミクとセカイの交流
一歌との出会いからシブヤには自身を知覚出来る存在が居ることに気づいたバツミク。あちこちに出没してはメインキャラたちに視認されて行き、歌の届け方を知るべく交流を深めていきます。
バツミクが他のセカイに来れたのは、壊れたセカイとはいえ複数人の想いを発端にしているだろうことから、「オリジナル」のセカイの裏側であると考えると、干渉可能だろうことにはある程度の納得ができました。
この場面で流れた「群青賛歌」ムービーVerは、セカイシンフォニーにおけるアレンジを思い起こさせました。
個人的にプロセカ生でこれが流れるという情報を公開1週目くらいの時期にネタバレされたのが一番残念。(私は2週目の土日だった)
なお考えてみたら歌詞がストーリーにマッチしてる以上流れても違和感はなんもなかったです。
拒絶と初音ミクの消失
バツミクは多くの支えと学びを基に再び諦めかけた人々へ声を届けに行くも、待っていたのは過干渉による拒絶。そもそもノイズはなくならず。
これ自体は仕方ない気もします。私だってよくしらんVの者とかにがんばれとか急にアピールされても「誰?」となるのはわかり切ってます。
セカイ崩壊の前に記憶のカケラから一歌たちがバツミクのセカイに辿り着く描写がありますが、アプリでも「オリジナル」たちのセカイに一時訪れる場面が多数ありましたからこれは上述の解釈もあって違和感ないです。
その後バツミクは感謝をしつつ彼女らをセカイから強制送還させ、閉ざされた窓のセカイは一度崩壊を起こしました。そこでも笑わせる司よ…
この時のセリフ「ありがとう…そして、さよなら!」、その後ミクが現実世界からも消える流れはまんまあの名曲「初音ミクの消失」でしたね。
で、この消失については正直よーわからん。
ミクだけを消し去ったのはあのセカイにまだミクしかいなかったから…?
そしてミクの歌という概念を消し去るがためにシブヤ中の電子機器がトラブルを起こすのもナンデじゃ、という気持ち。
天馬家をはじめ、被害を免れた施設、空間があったことについても理由づけが見当たらなかったのも気になりますし…
劇場版に相応しいスケール感ではあるんだけど、あの世界でのセカイの影響力が大きすぎて逆に怖い。
この辺が2大違和感ポイントのひとつ。
想いから生み出す新たな楽曲
ミクが消えてしまった以上、彼女が届けたかった想いを繋げられるのは関わった自分たちしかいない―5ユニットはそれぞれ、残されたバチャシンが繋いだフレーズからインスピレーションを起こし、自分たちなりに思いを届けるための歌を作っていきます。
ここで、ユニット新曲の作詞作曲が全部一人で担当することの意味を生んでいるのか、と当時情報解禁時に訝しんでいましたが納得しました。
一方で予想以上に歌詞の方向性が違うこと、バツミクが歌っていたフレーズ自体は入っていないことは気になりました。
そういった歌が届けたかった人に響いたことは、果たしてバツミクの希望となりえたのか…と。ある意味、単なる意訳でお届けしているワケで…
また、劇中は夏、つまり1年目の夏。
おそらく各ユニット結成後最初の壁は越えられたあたりのストーリー進捗であると考えた時、ワンダショとニーゴ、あとなんとかビビバスはその時点で新曲を披露するハコとして違和感はないんですが、レオニとモモジャンはまだその規模でイベント開けないんじゃないかな…とは素直に思いました。1年目終盤なら納得なんですが。作曲やサウンドメイク云々も本来この時期手が出ていないはずだがまぁ流石に目を瞑ろう
地に足ついてる感という観点で、ここが2大違和感ポイントのもうひとつ。
この新曲メドレーパートはよかったですね。
全員フルスロットル、各ユニットの特色が色濃く出ていた楽曲群、最終的に手書きメインで描かれるライブパフォーマンスといい、見せ場をバッチリ決めてくれました。ニーゴの「大丈夫」は強い。
そして窓は開かれる
一歌たちが同時刻、それぞれの場所で都合よく示し合わせたように新曲を携えバツミクの想いが間接的に届いたとき、それはバツミク自身にも反響し、彼女自身も歌を紡ぎ出します。
この楽曲、「ハロー、セカイ」は焦燥感を内に抱いたままだったメドレーパートの締めとして、開放感が凄まじかったのが特に印象に残っています。
極めつけに「セカイ」「Journey」のフレーズまで盛り込むサプライズには驚かされました。
そしてバツミクのセカイも真の姿である「開かれた窓のセカイ」となり、招いた一歌たちにお礼と別れを告げるのでした。
今のところアプリの描写では、セカイとして確立している場合はオリジナルのそれを除き行き来できません。これからはそれぞれ干渉することはないだろう…それゆえの別れなのでしょう。
そうして日常に戻っていき、あの夏の出来事に思いを馳せてエンディング。
EDの「Worlders」も視聴後の爽やかさを広げるような楽曲で、とても良かったです。
考察~「壊れたセカイ」とは何だったのか
色々整理して考えていると、サブタイトルで「壊れたセカイ」となっていた窓のセカイは「セカイになる前のセカイだった」と解釈するのが良かったのかもしれません。
本当に壊れてたらそもそも中盤のように崩壊しているはずで、セカイという空間として存在すらできてなさそうです。
また、最終的にはバツミクも本来のセカイの創造主に出会えたような描写があります。アプリの描写を見る限り、セカイは基本特定の一人の思いから創られており、またそこへ入れる人物は創られたきっかけとなる願望・夢に強くリンクする人物のみに絞られています。よって出来上がっているセカイは本来不特定多数の人に繋がることはないと考えられるため、バツミクが不特定多数の人物にアプローチしていたことはイレギュラーと言えそうです。
そして、閉じていた窓が開かれた後、バツミクは恐らく本来のセカイの持ち主に対して「待ってる」と一言呼びかけて撤収、夢追い人には一斉に「untitled」が生まれておりました。
以降はアプリの事象と違和感のない描写となったことからあのセカイは確立されたセカイではなかった…つまり、まだセカイのなりそこないだったのだと考えられる、という解釈です。
まとめ
映画の時系列順に、ババっと書き出してみました。ちょっとした考察もやってみました。頓珍漢なこと書いてたらヤダなぁ。
今回流石にややこしくなるのか、アプリにおけるガイド役でもあるプロセカ時空における「オリジナル」は出てきませんでした。ミクの消失時、どうなってたことやら…
アプリにおける鑑賞特典のエリア会話でも言及されていましたが、窓のセカイに他のバチャシンが未だいない、というのは地味に残念。だからミクだけが消えたとも見える
さて、劇中で夢や目標がブレていた人々はなんとか前を向けたわけですが、そうはいっても夢破れる人は悲しいけど世界中どこにでも、未来にも生まれることでしょう。
つまりセカイが壊れることはこれからも不可避。よって第二第三のバツミク、あるいはバツリンみたいなものも生まれることでしょう。壊れたセカイの受け皿はきっとこれからも必要でしょうから。
すこし視点を変えると、この作品、書き下ろし以外にも現実のボカロ楽曲もいたるところでたくさん流れます。一歌やレオニがカバーしているものもあれば、街頭や音楽ショップでそのまんま動画が流されてたり。ここで流すためだけに生み出された書き下ろしもあるという拘り様は◎。最近リアルの街で音楽が流れるシチュエーションなんてあっただろうか。すげーぜシブヤ
使われた曲は色々あれど「Glimmer」が印象に残りましたね。
ミクフェス'24(春)でDJパートに使われていたのがきっかけで知ったのですが、映画でも動画込みで使われたことで、私の中ですっかり定着してしまいました。
流石に劇伴まで意識を向けるのは一回の観賞だと難しかったです。とはいえ場面に対し違和感のある音はなかったですよ。
シリアス寄りなストーリー構成にはなっていますが、小ネタやクスっと笑わせる要素はあちこちでばら撒かれていました。
冬弥がバツミクを初めて視認して一切表情を変えずパンだけ落とすところや、ビビミクに作ってるお菓子を台無しにされて絶句するビビメイコなど、キャラの個性がそのまま生きているな、と思わせます。
あとは、日常の描写が多かったこと、そしてモブも多く描かれていたことも印象的。活躍するのは確かにアプリでもスポットの当たる5つのユニットの子たちですが、あくまで街から、セカイ全体からみたらそれはほんの一部であり、もっともっと多くの人々がいるわけです。
OP「はじまりの未来」が流れているシーンは一歌たちの日常で関係性などもきつつ、シブヤを中心に様々な日常もまた描いていたと思います。こういう世界観をさらっと触れていくの、結構好きですよ。
そんなモブに関連して少し気になったことといえば、バツミクがアプローチをかけていた相手について。
演奏やダンスなどもあれば、受験勉強や漫画家など…音楽と関わりあったりなかったりで法則性はなさそうに思えました。
どんな夢・目標であってもセカイは生まれえるのか?気になる所です。
映画の後にはアフターライブ。
まさか2曲ともフルサイズ披露だったのには驚かされました。演出やステージ背景はアプリのアフターライブというよりは、セカライチックだった、と言った方が伝わりそうです。
また衣装は2年目の衣装。つまり時系列的にも映画のエピローグ後、ということであり、かつて触れ合ったバツミクに思いを馳せるトーク内容でした。
ここでも当然盛り上がれるので、応援上映はさぞ楽かろう。
(わたしは初回なので通常上映一択でした)
ネタバレはできず、気楽に感想を話せる状態の知人もそういなかったこともあり、怒涛の勢いで色々と書けてしまいました。
小ネタはまるで拾えてませんが、果たして2度目を観ることはあるのか…といった感じ。映画館行く日を作れたとて別作品も気になるー
そんな理由でじっくり見たのではなく、一発で通してどこまで深く見れただろうか、と振り返るタイプの記事となりました。
ゲームに関連が深いとはいえ、映画の感想記事を書くことになるとは思いませんでしたが、いかがだったでしょうか。
プロセカがベースにある以上にファンタジーな要素も強まっておりますが、「あるミクの物語」「バーチャル・シンガーが与えてくれるもの」など受け取れるものもたくさんありそうです。
さすがに全くピアプロキャラクターズもボカロも知らぬ!だとちょっと難しそうですが、そうでなければ純粋に作品を受け取れると思いました。
今回はこのあたりで。ありがとうございました。