単調な日々を送る毎日更新の難しさ
抽象的な内容で文章を書ける人ってすごいなと思う。
具体例が一つも出てこないのになぜ長文が書けるのだろうと考えた時私自身が具体例を持って示された文章に共感する性質だからなのだと思い至った。
何故そういう感情が湧いて来たのか何に対して思うのかを提示された文章は素直に感情移入できるし更にその具体例を自身が経験したことがあったりすると「分かるー!」と嬉しくなる。
抽象的な内容の文章にはそれがないのだ。
これだけの論を述べているけれど果たしてこの人は実際に体験しているのだろうか。もしくは全くの机上の空論か小説のようなフィクションか。
もちろん空論やフィクションでもいいのだけどそこに共感することはあまりない。元々書き手が実際に経験したことに対して書いている記事を読む方が好きなので。好みの問題なのでこれは仕方がない。
あぁ。だからか。自分がどういう記事に共感出来るかを考えた時共感しづらい記事を書こうと思う人は少ないだろう。
私の場合は具体的な内容の文章に共感しやすいから抽象的な内容で文章を書くのが苦手なのだな。
どうしてこんなことを思ったか。
昨日朝洗濯物を干していた時にちょうどお隣さんが出て来てとあるエピソードがあったのだ。言うなら親子の兄弟あるある的な話。
これが自分の家族のことだったりするとここですぐさまネタにさせていただくのだが今回の内容はお隣さんのエピソードだ。勝手に文章にしてネットの海に放ってはいけないと思うとせっかくのネタにも手が付けられない。
こういうとき抽象的な文章が書ける方ならエピソードそのものには触れずにそのことに関する思いを上手に記事に出来るのだろうなと羨ましくなった。
なぜ急に羨ましくなったかというともちろんネタがないからだ。お隣さんのエピソードまでなんとか引っ張ってこようとする辺りどれだけ自分が単調な毎日を過ごしているのかと悲しくなる。
しかしそもそもかなりのリア充ならネタには事欠かないのだろうが多分そういう人はネット自体に存在していない。ネタには事欠かなくても記事を書く時間もないだろうし仮想世界で共感を求めなくても目の前に共感してくれる人がたくさんいるだろうし。
時々インフルエンサーや企業社長などがネット界にいるがあれは私のような自己満足の文章を書く人たちではなく自身の宣伝のためにネット界を利用しているだけだ。
温めぬいた記事を時々発信するようなジャンルの人は別として毎日のように雑記を上げている人で目が回るくらい日々が忙しくネタには一切困らない人なんて存在しないのではないかと思う。
となるとnoteに深みを持たせてネタに困らないようにするには抽象的な文章を書く練習をすればいいのだなと納得するがこれはかなり難解だと思い至る。
具体的エピソードを書かずに兄弟あるあるを示して更に兄の立場と弟の立場を想像しながら母親の心情も混ぜ込みながら読んでいて自分が面白いと思える文章。具体的にエピソードを書かずに。うん。無理。
しかし実際に書ける人も多く存在する。で、冒頭に戻る。
抽象的な内容で文章を書ける人ってすごいな。
昨日のメニュー
運動 縄跳び120回
朝 コーヒー2杯
水筒 麦茶
昼 いわしフライ(単品)・サラダ・ガム2粒
夜 肉野菜炒め・冷奴
晩酌 350ml缶ビール2本
化粧をしながら朝食を摂っていないことに気づいた。なかなか定着しない。
細切れ牛肉(実家からだいぶ前にもらったけど冷凍庫で眠り続けてたやつ)とかぼちゃとブロッコリーの炒め物 嫌な予感したけど予想に反して超美味だった。定着させたいけど牛肉高いから。鶏や豚でも同じように出来るかな。
夫は引き続き泊まり仕事中で留守。
いつも読んでくださってありがとうございます。
またしても疲れていたのかPC起動する気にもなれず食べてすぐ眠ってしまいました(涙)
私の経験や考え方が少しでもお役に立てたなら嬉しいです(◍•ᴗ•◍)