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そもそも無償の愛ってなんぞ

よく「無償の愛がほしい」「お姉さんによしよしされたい」「60デニールの黒タイツを履いたお姉さんの太ももを触りたい」とプラトニックな愛を叫んでる私だが、これは母性的なものに飢えてるからだと思っていた。

でも、私はそもそも母性が何なのかわからない。
幼少期はたしかに享受していたように思うが、人間の記憶とは適当なもので、母親との思い出は負の感情に塗れている。
だからどんなものが無償の愛で、何を以て母性とするかがわからない。なんなら私にとっての母性は虐待の記憶なので、むしろいらないような気がしてきた。

じゃあ私はどうやったら満たされるのか考えてみたけど、満たされる前提で考えていることがおかしいと気づいた。
人間そう簡単に満たされない。仮に私を満たす何かを見つけたとしても、きっとそれを手にすることはできないだろうし、もし手に入れたとしても人間は「慣れる生き物」だから、その幸運にすら慣れていずれは満たされなくなるだろう。

恋人との関係もそんな感じ。
好きなタイプはあるけど理想の相手が明確にいるわけではなくて、好きになった人が好きだから、いまいちどんな人と付き合いたいかのビジョンがない。
そして好きになった人と付き合えることになったとして、(もちろん相手のことはずっと好きだけど)付き合った当初の熱量を半年〜1年経っても維持できる人はそうそういないように思う。少なくとも私は1年経つとだいぶ変化が減って良くも悪くも安定するタイプだ。

ご飯にも言えるし、服にも言えるし、趣味のものにも言える。
漠然とした欲求はあるけど、明確ではなくて、手に入れるとまた次のものが欲しくなる。

心を満たすとかそういうのは考えないほうが良いような気がしてきたけど、それだとなんかすごい暗い生き方になりそう。
夢とか目標とか欲がない人間は面白くない。現状を変えようとする意思が人を動かすと思ってるから、現状維持に努め始めた人間は面白くなくなる。

てことで再度無償の愛について考えてみる。
無条件でそばにいてくれる、正してくれる、包みこんでくれる、そんなところかなと思う。

…んなもんあるか。
どれだけ自分を愛してくれる人であっても、何かしら見返りは求められてるだろうし、そもそも私は私よりしっかりした人とは付き合った経験がない。
一般常識とか人生経験とか仕事への意識とか家事とか、総じて一人で完結してて、私より生活力のある人と付き合ったことがない。
毒親育ちの元ホームレスより生活力あったら怖いわ。

かといって、私が冒頭に述べた「お姉さん」「お姉さんの太もも」が下心かと言うとそうでもない。
女遊びはしたくないなーって思ってるし、例えばキャバクラに行ってセクハラ客ムーブかませば満たされるわけじゃない。
やはり私が求めるお姉さんや太ももには、慈愛の精神が伴っていてほしい。
小説とかでは人肌が恋しいだの刺激が欲しいだの色々な表現で性欲を言い換えてるけど、今の私の欲求がそれかと聞かれればそうじゃないと答えると思う。
いやまぁ、1年半ワンナイトとかしてないし女性との距離感が空いてはいるから、潜在的には飢えてるのかもしれないけど、言うなれば私が求めてるのは「メス」ではなくて「母性」であろう。

トラウマだらけのそれを求めている自己矛盾で頭が痛くなる。
メンヘラは嫌いなのに地雷系メイクが好き、とか、牛乳アレルギーなのにケーキが好き、みたいな感覚。
(ちなみに私は地雷系が好きな日と嫌いな日がある。日というか、相手によるんかな。それこそ前回の内容みたいに、あんな濃いメイクでも隠しきれない何かを感じ取ってるのかも。清楚系でもギャル系でもかわいい人はかわいいし、かわいくない人はかわいくない。かわいいひととお避け飲んで、弱音吐いてよしよししてもらいたい)

人間ってつくづく強欲で救えない生き物だなぁ…
私は特に心が満たされないから常に何かを欲してる。
でもやっぱり無償の愛が何かもわからないし、存在するとも思えないし、仮に存在したとして享受できる気がしない。
もっと自己努力で手に入れられるものを欲したほうが賢明だし健全だよね。

きっと疲労とか過去のトラウマとか孤独感とか、あと若干の欲求不満から、心の穴をお姉さんに埋めてもらおうという思考になってるんだろう。
でも今回考えてみて、それが正しいこととは思えなくなった。
まず声かけたり口説いたりする気がないけど、私みたいな人間を甘やかしてくれる人に出会える気がしない。
みんな自分のことで精一杯な世の中だし、私みたいな事故物件には誰も関わりたくないだろう。
私自身もそう。多分めっちゃかわいい闇深めな子に「お兄ちゃん」とか言い寄られても、「今そんな余裕ない」って振る。甘やかす気しない。手出す気にもならない。
せいぜいココアとか買ってあげるくらい。

他人に何かを求めてるようで、心の奥底では他人に期待してないし他人に自分をさらけ出す気がないから、私は陰キャなんだろうな。
上で今までの彼女について少し触れたように、私は与えられるより与える側なんだろう。
だから自分を発信してたまに人の力になれる配信をやってるだけが性に合ってる。
きれいなお姉さんといい感じになって、一緒に飲んで弱音聞いてもらったり、そのままホテル行ったりしても、満たされないどころかきっと罪悪感とか虚しさに飲まれると思う。

そうして私自身が欲してるものは満たされないだろうからこそ、いつまで経っても反骨精神の塊でいられると思えば、まぁ悪くないか。。?
いやまぁ満たされたいけども。お姉さんに包みこまれたいけども。
目の前に人参を吊るされた馬や豚のように、いつまでも得られないものを追うからこそ続けられる人生もあるってことかな。

p.s.私が最近(割とTwitter開設当初から太もも発言してたとは思うけど)お姉さんだの太ももだの言うもんだから、「九露瀬溜まってるの?」みたいなコメントを頂いた。
そりゃまぁ物理的には溜まってるかもだけど、そもそも潔癖だし飢えてはいないと思う。わざわざリアルで見境なく相手を探すメリットが薄い。溜まってるならスマホで変態女性を見つるなりしたほうが早いし楽。
強いて言うならストレスが溜まってる。だから弱音吐く相手とか、包容力ときれいな太ももを持った女性を欲してるんだと思う。
ストレス社会のばーかばーか。

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