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Vertical AIスタートアップ:医療コミュニケーションAI Abridge

今回の記事では、医療コミュニケーションを変革するスタートアップとして注目を集める「Abridge(アブリッジ)」の共同創業者兼CEOであり、現役の循環器内科医でもあるシブ・ラオ(Dr. Shiv Rao)氏の取り組みを紹介する。アメリカの著名ポッドキャスト「This Week in Startups」のホスト、ジェイソン・カラカニス氏(以下、ジェイソン)との対談をもとに、Abridgeがどのように生成系AIを活用し、医療現場の大きな問題である医師の事務負担や情報伝達の非効率を解消しつつ、患者の理解を深める役割を担っているのかを解説していく。医師不足や医療従事者の過重労働、さらには医療データの安全性・信頼性確保など、ヘルスケア領域が抱える根深い課題に対して、Abridgeのアプローチがどのようなソリューションとなり得るのかを具体例や引用を交えながら考察する。


1. ヘルスケアとAIの転換点


1-1. 医療業界の変化と急速なAI導入

対談の冒頭、ジェイソンは、「2023年になって、医療分野がこんなに速いペースでテクノロジーを受け入れるとは思わなかった」と驚きを示す。これに対しシブは、「この6~8か月、医療業界は本当に急速に動いている」と指摘した。パンデミック以降、医療従事者の疲弊はピークに達し、もはや従来のやり方では医師や看護師を支えきれなくなっている。そこへ登場したのが、ChatGPTをはじめとする生成系AIである。

医療分野は、長らく「イノベーションの進みが遅い」と言われてきたが、コロナ禍をきっかけにオンライン診療が一気に普及し、さらに生成系AIの実用化が重なったことで、多くの病院やクリニックが一斉にAI導入を加速させた。シブは、その理由を「医療関係者が抱える記録業務や書類作成の負担、そして医療費の膨張への危機感が極限まで高まったから」と分析している。

1-2. Abridgeが目指す「会話」への着目

シブによれば、「ヘルスケアは本質的に“人間同士の会話”に基づく営み」だという。患者と医師、あるいはコールセンターのスタッフとのやり取り、テレメディスン(オンライン診療)など、あらゆる場面で「会話」が行われており、そこには診断や治療方針に関わる重要情報が詰まっている。Abridgeは、この「会話」をテクノロジーによって記録・解析し、効率的かつ的確に医療文書を生成することで、医師の大幅な時間削減と患者の理解促進に貢献している。

2. Abridgeが実現するAI活用の仕組み


2-1. SOAPノートの自動作成とマルチチャネル対応

Abridgeが自動生成するのは、「SOAPノート」と呼ばれる医療文書である。これは、医師が患者を診察するときの標準的な整理手法で、以下の4項目から構成される。

  • S(Subjective): 患者の主観的症状や訴え

  • O(Objective): 客観的所見や検査データ

  • A(Assessment): 診断や所見の評価

  • P(Plan): 治療方針や次のステップ

Abridgeでは、医師と患者の会話を録音し、リアルタイムもしくは短時間でテキスト化。その上で、生成系AIがSOAPノートの形式に沿って整理・要約し、疾患や検査名を正確に抽出してコード化(ICDコードなどの医療用コード付与)する。この過程で、過去の診療記録や患者の既往歴などとも突合しながら、重要な情報を自動で構造化してくれる。

さらに、Abridgeは、「病院の診察室だけでなくコールセンターやオンライン診療でも使えるオムニチャネル対応」を特徴としている。たとえば、医師が電話相談を受けている場合でも、AIが会話をキャプチャし、その場でノートを生成する。また、多言語化にも積極的に取り組んでおり、英語だけでなくポルトガル語やクレオール語など複数言語が混ざった会話でも、自動的に英語ベースのノートへと要約できる事例が既に存在するという。

2-2. 患者向けサマリー機能と用語解説

Abridgeでは、医療者向けのSOAPノートだけでなく、患者向けにもわかりやすいサマリーを提供する。専門用語には自動的に解説が添付され、患者が「自分の病状や治療方針を正しく把握できる」よう工夫されている。ジェイソンも「難解な医療用語を患者にわかりやすく提示する仕組みは、医師と患者の距離を縮める」と高く評価していた。

シブは、「医師用のノートと患者用のノートは別目的だが、双方を同時に生成することで、情報の正確性と患者の理解促進を両立できる」と強調する。医師には事務作業削減の恩恵、患者には理解しやすい治療説明の恩恵があり、医療全体の質の向上に寄与するのがAbridgeの狙いだ。

3. 今後の展望と課題


3-1. 医療の垣根を超えるAIの可能性

シブは近い将来、Abridgeのようなソリューションが「医療リソースの乏しい地域や国」においても大きな価値を提供すると期待している。医師や医療設備の不足する地域では、そもそも専門医にかかれないケースが多い。しかし、生成系AIを活用して遠隔で症状をトリアージ(優先度振り分け)したり、適切な検査や初期対応を提案できれば、救える命が増えるかもしれない。

さらに、ウェアラブルデバイスからのバイタルデータ(心拍数や血圧、血糖値など)をAbridgeが取り込み、医師と連携するような将来像も描かれている。ジェイソンは、「Apple Watchが心房細動を検知してくれたおかげで診断に至った患者を診たことがある医師がいる」と話し、シブも「センサー情報を自動解析して緊急性のある症状を検知し、医師にアラートを送る」というAIのさらなる応用可能性に大きな期待を寄せていた。

3-2. データ管理と信頼性への懸念

一方、医療データを包括的に扱う以上、プライバシーやセキュリティの確保は不可欠な課題である。会話の録音や自動生成された記録が流出すれば、患者個人情報の漏えいリスクは甚大となる。また、医療訴訟の観点から「録音は証拠としてどのように扱われるのか」という懸念を示す医療者もいる。シブはこれらの課題に対し、以下のように述べている。

Abridgeは、HIPAA(米国の医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律)の要件を満たし、患者情報は暗号化して安全に保管される。さらに、医療機関と導入範囲を明確に取り決め、必要とされるデータのみを扱うことが大切だ」

信頼性確保のため、Abridgeは、各種論文や学会発表などを通じて、自社のアルゴリズムの正確性や安全性を示す研究成果を積極的に発表している。クライアント(病院・診療所)の現場では、最終的に医師がノートをレビューし、必要に応じて訂正・追記が可能な仕組みを整備することで、誤りや「幻の情報」を生成してしまうリスクを減らす工夫も行われている。

医療業界における事務作業の煩雑さや医師不足の深刻化は、もはや看過できないレベルに達している。そうした中で、Abridgeの生成系AIプラットフォームは、単なる音声の文字起こしを超えて、「医師が本来行うべき診療や患者との対話の時間を最大化」し、さらに「患者の理解を深める」という形で医療現場に革新をもたらしている。

ジェイソンとの対談を通じて浮かび上がったのは、「会話」がヘルスケアの中核であるということ、そして生成系AIの進化が人間の能力を補完し、高める大きな可能性を秘めているという点だ。特に医療分野では、診断や治療といったセンシティブな領域だからこそ、正確性・透明性・信頼性が求められる。Abridgeは、自社の独自モデルや多言語対応、HIPAAをはじめとする厳格な規制遵守によって、高度なセキュリティと実用性を両立させようとしている。

今後は、医師向けソリューションのさらなる最適化だけでなく、デバイスからのリアルタイムなバイタルデータ連携やリモート診療支援、そして世界中の医療格差是正に向けたソリューション展開が期待される。医療のデジタル変革において、Abridgeはまさに「次なるユニコーン候補」として目が離せない存在だといえるだろう。


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