新メンバーの自己紹介と留学体験記
こんにちは。この度、スタトラの新メンバー、ライターとしてこの団体に加わった臼井理湖です。
この記事では私の自己紹介と高校一年生の一月から半年間過ごしたオーストラリアでの留学について話していきます。
1,自己紹介
奈良県に住んでいて、大阪府のある私立高校の英語コースに通っています。
スタトラではライターとして、留学体験者にインタビューをし、記事を書く活動をしています。
将来の夢はまだ決まっていませんが、アジアの経済発展と留学支援に興味があります。
高校一年生の一月からはオーストラリアのタスマニア島に半年間留学をしました。
2,高校受験失敗
これは私の人生で良くも悪くも1番大きな出来事と言ってもいいでしょう。
中学時代、「憧れの先輩が進学した公立高校に私も進学したい」と熱い思いを持って受験勉強に励んでいました。ですがあっけなく受験に失敗。
高校はみんなが受験するからという理由で出願した併願校の英語コースに進学することに…
3,留学に至るまでの経緯
人生で初めての挫折に心を病み、「勉強なんて頑張っても意味はない」と思っていました。もちろん入学時は高かった成績も2学期にはクラスでも下から数えた方が早い方に。
ここで私に転機が訪れます。一年生の3学期に出発する留学の申し込みの開始です。
仲良い子がみんな留学を希望していたので、「それじゃあ私も」と軽い気持ちで両親に相談しました。両親は「高校生のうちから留学に行ける環境があるのだから行ってきなさい」と快諾してくました。
学校に申し込みし、留学エージェントにも契約し、あとは出発を待つだけだと思っていて私にここで試練が訪れます。
中間試験後の三者面談。
中間試験の結果を見て先生が「このままじゃ留学に行けないかもしれないですね。」と。追試にかかると留学には行けないのが規則だそうで、私のその時の成績では追試は間違いなかったのです。
「次の期末テストでだいぶ成績を挽回しないと厳しい」と先生が。
私は唖然としていました。
留学に行けなくなると、留学エージェントからキャンセル料として50万円ほど取られてしまうのです。
ここから私の猛進の日々が始まりました。
この日からいきなり期末テストの為に、最低限しか勉強しなかった私が通学中の電車、休み時間、すべてを期末テストに捧げました。
期末テストでは追試にはかからない点数をたたき出し、入学時の成績を取り戻したのです。
そして期末テストから1ヶ月後、無事オーストラリアに旅立ちました。
4,どんな留学をしたの?
ここからは私が留学を体験された方にインタビューする様に、私が私にインタビューして、それに答えていこうと思います。
Q どこの国に行きましたか?
A オーストラリアのタスマニア島です。
Q なぜタスマニア島に?
A 私の学校から一学年で大体20人ほど留学するんですけど、中には友だちと留学先が被ってしまうこともあって。私は周りに日本人がいる環境で日本人と距離を保つ自信がなかったので、そもそも日本人が少ない場所を選びました。
Q 留学の目的は?
A 語学の習得と「自立」です。
祖父が英語を話せるので、いつか英語で語り合おうねという約束を叶えたいという思いと、後は「海外旅行で英語ペラペラやったらかっこよくね?」という憧れからです。「自立」に関しては留学以前は両親と長期間離れて生活したことがなかったので、言語も文化の慣れていない環境に身を置いて精神的に「自立」するべきと考えたからです。
5,留学の価値って?
Q 実際に行ってみて、行く前に考えていたイメージと違ったことは何ですか。
A ホストファミリーが思っていた以上に私をひとりの家族として受け入れてくれたことです。色々な留学体験記を読んでいると、収入目的のために留学生を受け入れているなど、ホストファミリーに関してあまり期待はしていませんでした。でも、本当の家族のように受け入れてくれ、私の精神的サポートもそうですが、英語がうまくなるように一日に4時間ほどtalkingの時間を作ってくれました。
Q 留学の時に大変だった事
A 私は英語のレベルが比較的低い状態で現地校での生活が始まったので、とにかくコミュニケーションに苦労しました。私の学校は留学生用の英語の授業や先生もいなかったので、自分でstudy clubを探してそこは移民の子たちをサポートする所だったんですが、留学生は受け入れてもらえなかったけど何度もお願いして受け入れてもらいました。
後は文化の違いですね。日本食や湯船が恋しくて、帰国してから食べた母のご飯は美味しすぎて涙が出ました。
Q 留学で楽しかった事
A オーストラリアの高校生を経験している時間です。休み時間に友だちと芝生で寝たり、休日にbotanical gardenでピクニックしたり、何気ない時間が結局1番幸せでした。
Q 留学によって学んだ事
A 情熱の大切さです。当初は本当に片言の英語でしたが、いっぱい友達を作りたいと思う気持ちから「ハロー」「グッドモーニング」と言い続けていました。最初の方はみんな「この日本人なんだ?」という感じでしたが、4ヶ月も経つと、みんなが逆に私に話しかけてくれるほどになりました。
また、自分にとって厳しい環境に身において分かった事は、自分の知らない世界です。これはオーストラリア留学で見た景色だけではないと気づかされました。なのでこれからもいろんな国に行ってみたいし、そこで誰かと仲良くなっていろんな現地の世界を教えてもらいたいと思います。
Q 留学について不安だったこと
A ホームシックと友達ができるかです。
私は本当にお母さんが大好きで、空港では他の子たちは笑って「頑張ってくるね〜」とこれから始まる留学生活に胸を膨らませていたのですが、私はとにかく母と離れるのが嫌で、空港では泣き続けて飛行機が離陸しる時まで泣いていました。
Q どのようにホームシックと友達ができるかという不安を克服しましたか。
Aホームシックは結果的になりませんでした。でもこれは私のホストファミリーが本当の家族のように受け入れてくれたからです。友達ができるかという不安は本当に情熱で押し切りました!それこそ無理やりみんなを友達になってと頼み込んだ感じでしたね。
Q 現状の日本の留学に問題点はあると考えますか。
A 現地に行ってみないと分からないという点で情報量の少なさですね。私が現地で通う高校を決める時に「留学生クラスはないものの手厚いサポート」と書いてあったのが高校選びの決め手となりましたが、実際通ってみてわかった事は「そんなに手厚いサポートがない」という事でした。これは後々自分を成長させてくれたので結果的には良かったのですが。
この私が感じた情報量の少なさというのがスタトラの活動に共感する部分であって、これからのスタトラは留学版の「食べログ」作ろうとしているので。
以上が私の留学体験記です。
5,まとめ
どうでしたか?すこしでも皆さんに楽しんでいただけていたら幸いです。
私は高校受験に失敗したことがきっかけで、留学に行くことができました。
そして、留学がきっかけで、このスタトラという団体のメンバーになっています。一見すると、受験に失敗したという挫折経験ですが、その挫折が私の人生を
大きく変えてくれました。
そして、最後に私が皆さんに伝えたい事は
留学というのは楽しいだけではない!
ということです。私も英語が分からなくて英語の授業中に寝てるふりをして静かに泣いたことや、食事が合わなくて毎日逆にやけ食いしたりもしました。今となっては笑い話ですが(笑)
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