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最期を選ぶということ

 いまテレビ番組はオリンピックばかり。誰かが「オリンピックは嫌い、でも開会式・閉会式は見たい」と言ったらしいが、少し共感する。
 テレビ番組(無料分)のコンテンツが貧弱・不足気味になってから、いったい何年経つだろう。大宅壮一でなくとも、チャンネルを回してバラエティ番組だらけだと「ああ、バカになりそう…」と思う。
 私に対してテレビ視聴を禁じた両親が、年老いてからは、NHKの他に旅とグルメ番組ばかりつけ始めて呆れたこともある。(それしか観るものがないからではあるが。)

 そんな中、6月にBSフジで「最期を選ぶということ~安楽死のないこの国で~」というドキュメンタリー番組があった。何気なく観たのだが、強烈な印象を残し、終わってからしばらく立ち上がれなかった(なのに、合わせて三度も観てしまった)。ここまでショックだったのは、若い頃に初めて、原爆被害や慰安婦問題やハンセン病のことなどを知ったときに匹敵する。
 朝日新聞の番組欄の隅にある小さなコラムで、最近になってNHKアナウンサーの山根基世さんがこの番組にふれており、ああ、衝撃を受けたのは私だけではなかったか…、と納得した。

 このテーマに特に詳しくないもので、この機会に整理すると…、
*積極的安楽死は、患者に耐えがたい苦痛があって回復の見込みがない場合で、患者の意思に基づき医師が致死薬を与えるもの。同様の状況で、致死薬を患者が自ら摂取する形だと自殺幇助に当たる。ともに日本では認められていない。
*尊厳死というのは、回復の見込みのない終末期患者に対し、本人意思に基づき延命治療を中止して苦痛を緩和するもので、消極的安楽死ともいえる。(うちの両親も、尊厳死を希望してリビング・ウイルを書いていたが、最期の頃は悩ましかった。)
*自殺幇助を含む安楽死を認める国は、スイス、オランダなど、欧米中心に10数か国。日本では、医師による安楽死については要件が判例で示されているものの、有罪になる可能性が高く、医師は腰が引けている。
*障害者団体などは、安楽死を公認すれば、きっと多くがその道を選ぶだろうし、優生思想も広まる、と反対する。海外においても、優生思想のほか、臓器移植、介護をめぐる問題などとの関連性があるはずで、これらも無視できない。

 スイスでは死者のうちの2%が安楽死だとのことで、番組では医師が立ち上げた自殺幇助NPO団体が取材されていた。この団体は去年100人の安楽死に関与したという。
 スイスの年配女性が安楽死される、まさに亡くなる場面も映し出された。家族(夫や子ども)に囲まれて、まず乾杯、本人からみんなに謝辞を述べ、好きな曲を流して花束を抱く。自分で致死薬の入った点滴のスイッチを入れる。子どもたちは母を抱いて泣き出す。ほどなく本人は下顎呼吸になり、動かなくなる。家族は悲しみながらも「これでよかったのだ、本人も満足だ」と落ち着いた様子。

 日本では番組取材中に、京都のALS患者安楽死事件で医師への有罪判決が出た。判決では「自己決定権は生きることが前提」とされている。
 ご本人が番組に出てきたのは、東京方面だったかパーキンソン病のかた、神戸出身でITコンサルタントのがん患者のかた、オランダに恋人がいる難病患者のかた、であった。
 パーキンソンのかたは上記のスイスの団体に申し込んでおり、取材中にテレビ局との連絡が途絶えたと思ったら、もうスイスに行き、希望どおり既に亡くなられていたという。

 私が一番こたえたのは、神戸出身のかたの映像だ。2023年11月の記録である。家族とのやりとりを含め、本人のそばで死の前後を映しており、みんな関西弁である。本人も家族もよく取材を認めたな、と驚くと同時に、やはりこの事実を広く伝えることを希望しているのだろう、とも思う。
 40代の女性で、夫と娘(中高生)がいる。がんが、脳にも転移して視野が欠けており、痛みに耐えられないし、自分がこれ以上苦しみ、別人のようになる姿を家族に見せたくないから、安楽死を選ぶという。
 スイスの団体から許可が出て、娘たちと空港で最後の別れ。夫婦のみでスイスに渡り、少し観光する。「普通の旅で来たらすごく楽しいよね」「今もまぁまぁ楽しいよ」という会話も聞かれた。
 前夜に何十通もの手紙を書く。ハードワークである。死後作業に関する夫への引継リストづくりも。そして、娘たちの望むことばを入れたビデオ・メッセージ。録画中も平常心なのがすごい。最後のディナーはお寿司。
 当日、日本にいる娘たちとテレビ電話で話し、やはり、1時間ほど遅れる。スイスの医師に「今日はやめてもいいんだよ」と言われる。それでも娘たちに「大好きだよ」と言い続けられながら、亡くなっていった。
 夫の帰国後、偲ぶ会が開かれ、友人の女性たちが娘さんに「入学式や成人式、手伝うからね」と笑顔で声をかける。娘たちへの母の手紙は、数年分も用意されている。時々、涙で画面が見えなくなったが、このかたは本当に優秀でバリバリだし勇気がある、私などはとても真似できない、と思った。

 その一方で、オランダに恋人がいる難病患者のかたは、スイスの団体から許可が出ると同時に(よかったのだが予想外に)快方へ向かい、病気と闘う決心をして、方向転換される。恋人も電話口で喜ぶ。
 このように、希望をほのめかすような形でドキュメンタリーは終わるのだが、安楽死したかたが快方に向かうことはなかったのか、と考えると、もやもやが残る。
 簡単に答えは出せないのだが、これから自分にも迫る死というものにどう向き合うのか、たいへんな課題を突きつけられたドキュメンタリーだった。