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夫婦同姓の合憲判断から考えるダイバーシティの必要性

2021年6月23日、夫婦同姓に関する最高裁決定が出た。2015年に合憲判決が出ているからたぶん違憲は期待できないだろうな。でも世論の変化も凄まじいし、何からの光が射せばいいなと思って少しだけ期待していた。結論としては、進んでいないどころか違憲だという裁判官の人数は5人から4人に減少した。がっかりしてしまった。

経験しないことに想像力を働かせることは難しい

1973年のロー対ウェードというアメリカ連邦最高裁判所の判決がある。これは女性の人工妊娠中絶の権利を認めた歴史上極めて重要な判決である。特に宗教的な観点もあって中絶への反対が大きいアメリカにおいて、連邦最高裁が個人の中絶の権利を認めた。この多数意見を書いたのはブラックマン裁判官である(共和党・男性)。

このような判決を出せたのにはブラックマン裁判官の家族が影響を与えていた可能性があるという。ブラックマンの娘が1966年、19歳のときに妊娠した。当時は中絶が選択肢にない時代だったため、娘は大学を辞め結婚したとのこと。

ブラックマンは1973年の歴史的判決を書くのに相当悩み、家族の意見も聞いたというが、それは7年前の娘の状況を経験していたからこそだろう。もしブラックマンが独身男性であり、女性の望まない妊娠の問題に直面したことがなかったとすれば、中絶は権利ではないというそれまでの見解に疑問を抱くきっかけすらなく、判決を出すために悩み抜くということすらしなかった可能性は否定できないと思う。

どんなに頭脳明晰であっても、一人の人間があらゆることに思いをいたすことは不可能に近い。そうであるからこそさまざまな経験・経歴をもつ人が集まって議論することが必要である。とりわけあらゆる人の人権を守る最後の砦である最高裁となれば、その人事構成の多様性が求められることは明らかではないだろうか。

2021年6月の日本の最高裁決定と最高裁裁判官

夫婦同姓の強制が問題が社会問題になっているのは周知の事実。それなのに15人も大法廷の裁判官がいながら意見はたったの4人で3つ(多数意見の補足意見は決定そのものなのでノーカウントとする)。意見1つと反対意見2つ。せめて多数意見の人たちも自分たちの見解をわかるように、読んだ人が納得できるように説明する責任があるだろう。同じ意見の人がより集まってそうだそうだと言っているようでは、個人の人権を守る最後の砦としての役割は果たせない。

姓と名を合わせてその人が形成されている。そしてその人が、その人として、相手に出会い、結婚したいと考える。それなのに結婚したいとなったとき、その人であることを捨てて結婚するか(または相手にそれをさせるか)、それとも結婚しないかという決断を迫られる。このような状況において、憲法上の婚姻の権利が保障されていないのは明らかじゃないか。そして、姓と名によって作られてきたその人にとって、姓はアイデンティティそのもの、人格権そのもの。それを法律によって奪う制度を設けることは個人の尊厳に反する。

こんな素朴な感覚を共有できないのであれば、いったいぜんたい何のために司法が存在しているのかなと。思う一方で、同姓婚が当然である時代に生きてきた人間にとってこの問題を自分ごとと捉え、真摯な想像力を働かせることは難しいのかもしれない。あるいは名字を変える経験をしていない人に変えた側の喪失感を想像することを求めるのは酷なのかもしれない。穿った見方をすれば、名字の変更くらいでアイデンティティに関わるなんて大袈裟だよ、そんなことで人格権を認めてたら何でもかんでも憲法上の人格権になっちゃうよ、あはは、みたいな感覚なのかもしれない(そうだとしたら悲しい)。

そうであればもはや現行の人々にこれを期待するのではなく、仕組みを変更した方が合理的かもしれない。最高裁判所の裁判官の構成にもダイバーシティを。

(2021年7月3日追記)

違憲判断と小法廷の構成

ちなみに最高裁は15人の裁判官で構成される。全員で審理判断する大法廷と、5人ずつの裁判官からなる小法廷(第一小法廷から第三小法廷)がある。通常、案件は各小法廷に配点され、そこで判断される。そして今回の判断の対象となった夫婦同姓にかかる案件は3件あり、1件が第二小法廷に、2件が第一小法廷に配点されていた。しかし、いずれの小法廷においても判断が拮抗したため、大法廷に回付された(違憲判断をするためには大法廷によることが必要である。また、それ以外にも全員で判断した方が良い場合に大法廷に回付できる)。新聞報道によれば、第二小法廷は、5名のうち反対意見を書いた草野裁判官と意見を書いた三浦裁判官が違憲の立場、第三小法廷は5名のうち反対意見を書いた宇賀裁判官と宮崎裁判官(そしておそらく交代前の林裁判官)が違憲の立場だったようだ。つまり、小法廷レベルでは、第二小法廷では2名が、第三小法廷では過半数の3名が違憲判断だった可能性がある。こういった流れがあるとすれば、普通の感覚からすれば、大法廷判決における合憲・違憲の判断も拮抗してしかるべきである。しかし、大法廷では第一小法廷を構成する5名分が単純に合憲側に積み上がり、その結果、夫婦同姓の強制が合憲と違憲とが拮抗するぎりぎりの判断を迫られるような重要な問題である、というメッセージすら伝えることのできなすらできなくなってしまったのである。第一小法廷がいかに同質の価値観を持った人物の寄せ集めなのかということが浮き彫りになったのではないか。



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