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廃墟とか空き家とか。

最近、廃墟を見ていると何だか他人事には思えなくなってきた気がする。

昔から雑誌やテレビ、町歩きなどをしている時に廃墟を見かけてしまったら、ついつい見入ってしまっていた。
その理由がよくわからなかったが、最近なんとなく思ったのは廃墟の姿がどこか他人事には思えないということ。


明日は我が身。
自分もどこかで気を抜いたりしたら、何かのきっかけで廃墟のように朽ちた姿になる可能性は十分にある。
昔から一寸先は闇という。気を引き締めようと思った。

建物の朽ちていく姿が美しい。
朽ちていく建物に草が生えたり動物の住処として使われていることもある。
人が建てた建物から人がいなくなり、建物に無造作に草が生えて、至る所に蔓が伸びて建物をつたっているのを見ると、人間の繁栄なんて一瞬にすぎず、どれだけ人間が強がって自然と対峙しても勝ち目がない。

じっと廃墟を見ていると、人間の儚さをあらためて認識する。


誠に勝手ではあるが、栄枯盛衰な世の中を憂えるばかりだ。


廃墟に残された残留物から、時代の移り変わりを感じて感慨に耽ることもある。
私は実際に廃墟探訪に行かず、雑誌や映像を通して廃墟に触れることが多い。
自分が実際に訪ねるのは背徳感と恐怖が先行してできていないが、雑誌や映像などで触れる分には安心して見られるように思う。
廃墟になる前の、人々の平和で栄えた生活ぶりを想像する。栄華に満ちた時期から、いったい何がきっかけで廃墟になってしまったのか。その理由を残留物からあれこれ想像することも廃墟鑑賞する中での楽しみと感じている。

廃墟は歴史的な産物であり、反面教師のようでもあり、おのれの好奇心をくすぐるものでもあり、昔からよくわからなかったが何かに惹きつけられて見入ってばかりいた。


おそらく周りに廃墟を好きだと言う人がいなかったからだと思うが、周りの人に公言することはほとんどなかった。

いま存在している建物も何らかの導きによっては建物から人がいなくなり手付かずになったものが廃墟になってしまう。
高齢化うんぬんで空き家問題が取り上げられるように、私たち含めて身の回りでも夜逃げやら住み人がいなくなったとかいうやむを得ない理由で、自分の住処が廃墟なる可能性はゼロではない。もちろん絶賛営業中の施設だって同じだ。


今までもそんな事例は数多くあっただろうが、今後もさらに空き家が増えるだろうなと思っている。


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