哲学やってなんの意味あるの?

大学で哲学を勉強しています!というと決まってみんなタイトルのような顔をする。
それはそうだ。哲学と聞いてイメージするのはウンウンうなりながら小難しい話をしている険しい顔のヒゲモジャだろう。

しかし、私は反論したい。
「哲学やってなんの意味があるの?」と聞かれたら「逆に哲学をせずに何ができるのか」と問い返してやりたい。

哲学から科学は生まれた。先人は世の理について解き明かそうとしたとき、言葉から論理を生み出し仮説を立てた。それを再現可能なものにしようとしたものが現代の科学…僕はそう思う(かっこつけて言ってみただけなので異論は認めます)。

哲学の思考は世界のさまざまなものに根付いている。何気なしに僕たちが使っている言葉も気づけば哲学的だ。

大学に入ってから哲学は学ぶものではなく“するもの”ということに気づいた。ゼミで一つのお題、例えば“かわいいとは何か?(僕はこの議題が結構好き!ぜひ皆さんもお近くの人と話してみて!)”について議論をしていると先達の哲学者が考えたことに近づいていく。結局人間が考えることは似ている。どれだけ先にそれに気づいたか、それだけ。

哲学をやって何になるのと聞くことは自分が日々考えていることを否定することにつながると思う。常に人は考えて生活している。全ての選択肢にはそれなりの考えがあり、その人がこれまでの生活で得た人生の哲学と言えるものが判断の基準になっている。平たく価値観とでも言おうか。

哲学は人生であり、人生は哲学だ。哲学をしている人たちは、無意識に行なっているせいで無視されがちな人の選択に影響を与える哲学について考えているのだと僕は思う。これからどう生きるか、どんな人を好きになるのか、果ては今日の晩ご飯まで哲学の領域としてもいいのではないだろうか。

ほら?こう考えると哲学が実生活に役に立たない事なんてないような気がしてきたでしょ?人の生き方を考えるなんて難しいことから入らずもっと近くのことから考えれば哲学の有用性は自ずと見えてくるんじゃないでしょうか。そう思う僕は、今日も日常に転がる哲学の種を集めて育ててみたいと思うのでした。

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